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連載

#9 101歳からの手紙~満州事変と満州国~

中国人学生の検挙と真珠湾攻撃がもたらした衝撃 101歳が語る満州国

真珠湾攻撃でハワイ軍港の上空を飛ぶ日本海軍機
真珠湾攻撃でハワイ軍港の上空を飛ぶ日本海軍機 出典: 朝日新聞社

目次

101歳からの手紙
1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日本が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第8回は「真珠湾攻撃の衝撃」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之)
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現実主義だった中国人学生

建国大学での生活は、少なくとも開学3年間は創立の趣旨である学内の自治が守られていた。しかし、1941年暮れから1942年春にかけて10数人の中国人学生が反満抗日分子として憲兵隊に検挙されたことを境に、学内の雰囲気は大きく変わった。

振り返ってみると、理想主義に燃えていた日本人学生と比べても、中国人学生たちははるかに大人で、現実主義であったように思う。

憲兵隊の手入れがあった日の朝、私の隣に寝ていた中国人学生Rの姿がいつの間にか見えなくなっていた。まさか、とは思ったが、何事も気兼ねなく話し合える間柄だと思っていたRが黙って私の前から姿を消したショックよりも、それまで何も気づけなかった自分の未熟さに辟易(へきえき)した。

中国人学生にとっては、大学でいくら「五族協和の国造りだ」と教えられても、実際は関東軍がにらみをきかし、日米開戦につきあわされるだけの「きれいごと」だと本質を見抜いていたのだろう。

これは後で知ったことだったが、Rだけでなく、数人の中国人学生があの日の朝、同時に姿を消していた。Rは建国大学に失望して国民党軍へと走ったが、中にははるばる延安まで逃避行を続け、共産党軍に身を投じた学生もいた。彼らの中には戦後、日中国交再開後に外交官として日本に赴任してきた者もいる。

満州国の首都・新京(現・長春)の駅構内(建国大学同窓会提供)
満州国の首都・新京(現・長春)の駅構内(建国大学同窓会提供)

解放嘆願の一方、始まった日米戦争

中国人学生が逮捕された後、我々日本人学生は憲兵隊へと日参し、彼らへの差し入れと解放嘆願に走り回った。

面会を求めたが許されなかったため、封書で「諸君は破廉恥罪で捕らえられたのではない。民族のために自ら信じることを命懸けでやろうとした政治犯である。胸を張って生きて欲しい」との激励文を送った。

学生たちはそれぞれの民族の将来を考え、進むべき道について議論し合い、青春の血をたぎらせていた。腹を割って話し合える友を得てこそ、国際協調の道が開かれると信じていた。

1941年12月8日に起きた日本の真珠湾攻撃は、建国大学で異民族と共に学ぶ我々学生同士の関係に大きなくさびを打ち込む出来事であったように思う。

建国大学の学生たちは講堂に集められ、作田荘一副総長から「動揺することなく我々の目指す国造りに精進しよう」と訓示を受けたが、私にとっては、日本軍による真珠湾攻撃がまるでどこか別世界で起きた出来事のように思えてしかたがなかった。

建国大学の門の前で仲良く肩を組むロシア人学生と中国人学生(建国大学同窓会提供)
建国大学の門の前で仲良く肩を組むロシア人学生と中国人学生(建国大学同窓会提供)

「戦争をしないための国造り」のはずが

中国大陸では今、満州事変から日中戦争へと泥沼化した紛争をなんとか止めようと躍起になっている。そんな混乱の最中になぜ、超大国である米国と戦争など起こそうというのか。

万里の長城を越えた先にある中国の東北地方は、元々は清朝の父祖の地である。そこに諸民族が共存共栄できる平和国家を建設できれば、新興アジアの諸国にとってのモデル国家となり、日本にとっても、中国にとっても、物心両面で貢献できる、と我々は教えられていた。

建国大学の理念は「戦争をしないための国造り」のはずだった。ならば、日本が新たに仕掛けた真珠湾への奇襲攻撃は、建国大学の存在意義をも否定する行為であるように思えた。

日米開戦は、私たち日本人学生を含めたすべての学生たちに「話が違う」と思わせ、大学の前途に大きな不信感を抱かせるきっかけになっていった。(※第9回「脱走旅行計画」はこちらです)

先川祐次(さきかわ・ゆうじ) 1920年、中国大連市生まれ。旧満州の最高学府建国大学を卒業後、満州国総務庁に勤務。終戦後は西日本新聞に入社し、ワシントン支局長としてケネディ米大統領の取材にあたった。同社常務を経て、退社後は精華女子短期大学特任教授などを務めた。

 

満州事変から90年。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいます。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。先川さんが当時の内実を初めて語る「101歳からの手紙~満州事変と満州国~」を随時配信します。

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