連載
#13 #戦中戦後のドサクサ
「財産は三つに分けろ!」名物社長が少年に伝授した〝究極の処世術〟
戦後の混乱期に光った親代わりの愛情
主人公・コ―ヘイは、東京・大森の金物問屋に就職した、15歳の男の子です。大人への憧れから、仕事が一段落すると、こっそりタバコを吸ってしまうこともしばしばでした。しかしすかさず、社長からげんこつを食らわされます。
「未成年が良い気になるな! これは没収だ!」。鬼の形相で、部下の行動を正すさまは、まさに〝親父〟そのものです。「金の卵」ともてはやされ、地方から次々やってくる少年少女たちにも、分け隔て無く接しました。
名古屋に生まれ、家業の商店を手伝った後、上京し起業。商人気質ゆえ、お金の使い道や生活ぶりについて、社員に細かく説きました。更に、地域の大人と触れ合う機会も、積極的に設けます。
地元の教育委員会の委員長に、プロ棋士、謡(うたい)の先生……。終業後、様々な分野で活躍する人々を招き、専門領域について語ってもらったり、指導を依頼したり。社員たちは、時々夜遊びを挟みつつも、見聞を広めていきました。
若手思いの社長が、もっとも口酸っぱく繰り返した言葉があります。それは「財産は三分割だ!」というフレーズです。
財産を現金・土地・証券の三つに分け、価値の変わりにくいもの・将来的に価値が上がるものに変える。そうすることで、安定的に資産を管理できるようになる――。社長は、一人ひとりの将来を見据え、そんな処世術を伝えたのでした。
しかし、思春期まっただ中のコ―ヘイには、その意味がいま一つ理解できません。給料をもらうために働いているんじゃないのか……。しかし、勤続年数が長くなるにつれ、疑問は氷解していくことになります。
土地と家、会社の証券を購入。結婚し、定年まで勤め上げた後、その証券を現金に戻すこともできました。社長の言いつけが、日々を越えていくための糧となり、身を助けてくれたのです。
社長はきっと、生きるための知恵や教養を授けてくれようとしたのでしょう。もちろん、仕事面でも大いに支えてくれました。コ―ヘイにもの作りの適性を見いだし、新工場の職人として登用するなど、働きやすい環境を整え続けました。
名物社長の、人情あふれる教えは、多くの社員に影響を与えたといいます。戦争の傷が生々しく残る社会において、こうした交流が、人々の未来を切り開いていったのです。
今回のエピソードは、横浜市に住む80代の男性から、岸田さんが直接聞き取りました。社長は社員たちをわが子のように思い、教育に心血を注いだといいます。
「社外の人々を招く際は、自動車免許を持っている若手たちが運転手役を担いました。一方、課外授業にかかる費用は、全て社長持ち。教養を身につけさせる色合いが濃かったそうです。お金の管理についても、何度も語っていました」
実生活で役立つ資産運用などの知識を、学校などの教育機関で学ぶ機会は、なかなかありません。だからこそ、若者の視野を広げ、カオスな時代を生き抜く知恵を伝えたかったのでは――。岸田さんは、そう推し量ります。
その上で、次のように語りました。
「今回のお話はあくまで、日本の高度成長期前夜にあたる時期の出来事。そのまま現代に適用できるわけではありません。社長の資産運用の考え方も、昭和特有の時代性を感じます。少し昔の光景を、令和の今から見つめ、何か感じて頂けたら幸いです」
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