連載
#7 #戦中戦後のドサクサ
社用車選びで分かれた明暗 一枚上手だった名物社長の「生きる知恵」
「憧れの一台」を巡る悲喜こもごも
1950年代前半の東京・大森。千葉県生まれの少年コ―ヘイは、中学卒業と同時に、工場街に建つ金物問屋に就職しました。親代わりに生活の面倒を見てくれたのが、勤め先の社長です。
終戦間もない時期に起業し、取り引きはいつも現金決済。札束をポケットに入れて移動していたので、スリの被害に遭うこともたびたびでした。しかし、いつも社員たちに寄り添い、厚い人望を得ていたのです。
その社長が、部下たちに告げました。「社用車を買おう!」。みんなで乗るものだから、好きな車種を選んでいい――。そう言われ、若手社員たちは沸き立ちます。
彼らが選んだのは、フランス・プジョー社製の最新車種でした。ハイカラで洗練された外観に、皆が魅了されていたからです。ところが、社長の表情はさえません。
「……仏車か。俺はドイツの方がいいと思うな」。想定していたのはドイツ・フォルクスワーゲン社の小型車です。「ビートル」の愛称で世界的に知られていたものの、社員たちの評価は「あの見た目がなあ」「どう見てもカブトムシ」と散々でした。
結局、納品されたのは、当初の希望通りプジョー社の車。それを見たコ―ヘイは、取引先の社長が、外国車で正月のあいさつにやってきたことを思い出します。「いざ自分たちが乗れたらうれしいよなあ!」。心はときめくばかりでした。
ある休日、コ―ヘイは同僚と、社用車で遊びに出かけました。国道1号をひた走り、江ノ島へ。快適なドライブと海岸での時間を、ひとしきり楽しんだ後、帰路につきます。
ところが、当時「開かずの踏切」として有名だった、「戸塚の大踏切」に引っかかってしまいました。運転手の先輩・サカイさんは、第二京浜経由で、大森方面に向かうことを決断します。
そして国道を快走する社用車の前に、見覚えのある車が現れました。そう、あの「ビートル」です。
「カブトムシだ」「あんなの追い抜いてやるぜ!」。サカイさんはアクセルをめいっぱい踏み込み、一気に加速します。
しかし二台の距離は、どんどん開いていきました。「あれっ……!?」「負け……」。圧倒的な性能の差を目の当たりにして、少年たちはあぜんとするばかり。言葉も出ません。
「……だろうと思ったよ」。一部始終について知った社長は、ポツリとつぶやきます。
社長は自動車の免許を持っていません。しかし毎日、新聞を隅々まで読み込んでいました。そのため工業製品の国際事情に詳しく、外国車のつくりについて、正確に把握していたのです。
金物問屋は後年、自動車資材の工場として成長していきました。そして日本車の発展を下支えすることになりますが、それはまた別のお話です。
横浜市に住む男性(84)の実体験に基づく、今回の漫画。話を聞き取った岸田さんによると、社長は名古屋出身で、早くから実家の商店を手伝いました。その経験から戦後は金属加工業が流行すると踏み、自ら金物問屋を興したといいます。
漫画で描かれている出来事は、その会社に男性が勤めて、2年目に起きました。「社用車を買うにあたり、異論はあっても、社員のほしがるものを選ぶ。社長には、そんな『親心』があったようです」。岸田さんが語ります。
社会全体が貧しかった終戦直後、外国車を買うことなど、夢のまた夢のような選択でした。問屋の社員たちにも、それぞれ憧れの一台があったことを、今回のエピソードは伝えてくれます。
「とはいえ、社長が理解していたのは、あくまで当時の情勢。現存する企業や製品の優劣ではありません。そして公道でのカーチェイスなど、もちろん言語道断でしょう。価値観や常識は時代とともに移り変わり、上書きされ消えていきます」
「それでも、かつて街に広がっていた光景や、男性が社長に抱いている尊敬の念について、知って頂けたなら幸いです」
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