連載
#6 #戦中戦後のドサクサ
「帰りなさい!」母親を門前払いにした社長 少年が職場で知った現実
混沌とした社会で光った人情
「貧乏から抜け出したい」。終戦から間もない時期、そんな思いを胸に、中学卒業と同時に金物問屋で働き始めた男性がいます。勤め先の名物社長に支えられながら、汗を流す日々。しかし、あるとき、離れて暮らす母親が訪ねてきて……。東京の片隅で、実際に紡がれたエピソードを基に、漫画家・岸田ましかさん(ツイッター・@mashika_k)が「人情」を描きます。
主人公のコーヘイは、中学校を出たばかりの少年です。卒業と同じ月の昭和27(1952)年3月、故郷の千葉県を離れ、東京・大森の金属問屋に勤め始めます。
「君がコ―ヘイ君か、よく来てくれた」。父親、中学校の元担任教諭と社屋を訪ねると、社長が笑顔で出迎えてくれました。そして、3人に語りかけます。「うちで出す給料で、10年で50万円貯(た)まるくらいには働いてもらう」
喜ぶ父親の様子を、コ―ヘイは冷めた目で見つめます。当時は、終戦直後の食うにも困る時期。実家には進学できるだけのお金もなく、就職は実質的な「出稼ぎ」だったからです。在学中の進路面談でも、就職しか選べず、悔しい思いをしました。
「とにかく俺は、貧乏から抜け出す! 東京で働いて金を貯めてやる!」。コ―ヘイは、社屋の敷地内にある寮に住み込み、同僚たちと汗を流します。共同浴場での風呂焚(た)きや掃除、オート三輪での資材運搬まで務め、身を粉にしました。
そして待ちに待った初任給が入りますが、食費や積立金が天引きされ、手取りは月1千円ほど。さらに勤続3年目までは帰省できず、午後9時の門限を厳守させられるなど、厳しい現実が待ち受けていたのです。
やがて時折門限を破り、仕事仲間と夜遊びに興じるのが、大きな楽しみとなりました。
「コ―ちゃん、実家には帰らないのー?」。入社同期の女の子に尋ねられても、コ―ヘイは「帰んねーよ!」。徐々に仕事に慣れてくると、衣食住が満たされる職場での生活が、代えがたいものになっていきました。
ところが、ある日。一人の女性が、突然コ―ヘイを訪ねます。「……おふくろ!?」。母親は、どうやら会社の建物前で、社長と何か話しているようです。
「帰りなさい!」。社長は何と、母親を一喝し、追い返してしまいます。その様子を眺めていたコ―ヘイに、彼はこう告げました。
「よくあるんだ。子どもが稼ぐそばから吸い取っちまう。俺はそういうことさせねえからな」
「お前たち若い者は、ここで稼いで、ここで家を買って、ここで結婚しなさい」
荒っぽく見えても、社員を守るための行動だったのだ――。コ―ヘイは真実を知り、社長への感謝の念を、一層強めるのでした。
とはいえ、門限を過ぎてから、同僚と夜遊びに出かけ続けていたのは、また別のお話……。
コ―ヘイのモデルは、横浜市に住む男性(84)です。9歳で終戦を迎えた頃、日々の糧を得るお金もないほど貧しかったといいます。中学卒業から3日後、金属問屋に就職し、定年まで勤め上げました。体験談を聞き取った、岸田さんが語ります。
「当時の金属問屋には、コ―ヘイさん同様、中学を出たばかりの若者が多く働いていました。混沌(こんとん)とした時代にあって、問屋の社長は、働くことを通じ、人生に目標を持つ大切さを彼らに伝えたかったようです」
実際、家を買って財産を持ち、結婚するよう勧められるうち、社員たちも影響されていったといいます。
しかし、まだ社会保障が整っていない時期の話です。農村部に残った親が、子どもたちの給料を取り上げ、生活費に充ててしまうトラブルも多発していました。
そのため、漫画でも描かれたように、社長が社員の家族と衝突することもありました。そうやって、雇用主としての責任を果たしつつ、会社の業績を伸ばしていったのです。
「経営者が、親のように社員の私生活に干渉する。現代の価値観には合わない振る舞いですよね。でも一つ一つの行動の背景には、その時代ならではの意味が必ずあります。そうした事情について、漫画を通して伝えられれば幸いです」
「戦中戦後のドサクサ」では現在、太平洋戦争前後の思い出に関するエピソードを募集しています。おじいちゃん・おばあちゃんから聞いたお話を記録したい。そんな思いを抱える方、ぜひ以下の入力フォームより、ご連絡下さい!
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