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「無価値とはほど遠い」 外国人記者が嫉妬した「駄菓子」の真価
世界中にいる駄菓子ファンが憧れるもの
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世界中にいる駄菓子ファンが憧れるもの
街角の「駄菓子屋さん」。古き良き日本を感じられる文化として、世界が注目を始めています。ただ「絶滅」を待つだけの存在なのか、それともまったく新しい価値が見えてくるのか。日本に暮らす外国出身の記者たちが考えました。(Grape Japan、ゼビア・ベンスキー記者)
初めて駄菓子屋に足を踏み入れた時、私は好奇心に駆られた。
あらかわ遊園地は、東京に残る唯一の都電である都電荒川線を利用して訪れる人が多い、昔ながらのテーマパークである。荒川遊園地前駅から公園に向かう道で、私は「こどもの家 きくや」の看板に目が留まった。
中には、見たこともないようなお菓子がずらりと並んでいた。昼下がりの日差しが優しく差し込む中、私はひざまづいてじっくりと見てみた。日本のコンビニで見たことのあるお菓子もあれば、見たことのないお菓子もあった。帰ろうとしたその時、店に中年のご夫婦とその娘さん(孫娘かもしれないが)が入ってきた。「懐かしいね」と女性は話していた。
私は何も知らなかった日本文化の一面を発見したことに興奮したと同時に、彼女が表現したその「懐かしさ」に嫉妬した。日本で育ったわけではないので共有できなかったその幼少期の思い出の世界を、今になって、私が急に知りたくなった。
後に知ったが、駄菓子は「値打ちのない」という意味の「駄」という字で書かれていて、江戸時代に高級な上菓子と、雑穀と砂糖を混ぜて作った安物のお菓子を区別するために付けられた名前だそうだ。しかし、私にとっても、そして多くの外国人にとっても、駄菓子は決して価値のないものなんかではない。
かわいい形やイラストやキャラクターが描かれていたり、時にはなぞなぞやクイズが出てきたりするようなパッケージの面白さ、甘味・塩味など味のバリエーションの豊富さ、販売しているお店の昭和の雰囲気など、それぞれの魅力や歴史を持った宝箱の中の宝石のような存在だ。
ある人にとっては懐かしさの埃をかぶっているような、ある人にとっては、ガチャガチャ販売機から出てきたばかりのカプセルトイのようなピカピカした新しさがあるようなもので、発見され味われるのを待っている、そんな存在だと感じる。
悲しいことに、「こどもの家きくや」は、2018年に、半世紀の歴史に幕を下ろしてしまった。かつては全国の都市部でもよく見かける存在だったが、日本の駄菓子屋は年々減少しているという。しかし、駄菓子はすぐになくなるという危機に瀕しているわけではない。様々な意味で、時代の変化に合わせて駄菓子や駄菓子文化は適応している。
昭和生まれの日本人には、友達と一緒に駄菓子屋に立ち寄って、袋に安い駄菓子を詰めて食べた幼少期の思い出がある人も多いだろう。駄菓子屋は、社交の場でもあった。
しかし、駄菓子屋はどんどん少なくなっている。(※経済産業省によると、駄菓子店を含む菓子小売業の事業所数は、1982年から2002年の間に約7割減の約1万4千店にまで減少した)
そもそも、駄菓子屋の主な客層である子どもたちが、高齢化が進む日本では、少なくなっている。昭和の終わり頃になると、コンビニエンスストアがお菓子を販売する場所として影響力を高めていった。
そして、テレビゲームやゲームセンターの普及が、子供たちの関心を奪ったこともあるかもしれない。
最近では、新型コロナウイルスの影響で、子どもが集まる場所としての価値も薄まりつつある。千葉県のとある駄菓子屋には、「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」という脅迫めいたメッセージが届き、話題になった。
様々な理由から駄菓子屋経営は若い世代を中心に魅力が薄れてきているという。子どもたちが家業を継ぐ気がなければ、店主が引退したり他界した時に、店を閉めざるを得ない。
そんな駄菓子に、雲の間から覗く数本の希望の光が現れた。
ひとつは「昭和への郷愁」。駄菓子や駄菓子屋に懐かしい思い出を持つ大人たちが生き残りに新たなチャンスを生み出している。
代表的なものが「駄菓子バー」だ。昭和レトロなインテリアと相まって、ノスタルジックな駄菓子やスナックを、お好みのお酒(またはソフトドリンク)と一緒に楽しむことができるバーが、いくつかの街にできた。
駄菓子メーカーも手をこまねいているわけではない。時代に適応して生き残る駄菓子もある。
例えば、「ココアシガレット」が有名なオリオンは、禁煙を目指す大人向けの商品としてのイメージチェンジに積極的に取り組んできた。2018年には、電子タバコから着想を得た「my Cos(マイコス)」という新しいタイプのキャンディシガレットまで生み出した。
また、駄菓子屋の定番である「さくらんぼ餅」で有名な共親製菓株式会社は、2013年にスマートフォンをイメージした「たべプリ 」という商品を発売し、新世代の子どもたちにアピールしている。
Amazonなどのネット通販でも駄菓子を注文できる時代になり、店頭に限らず、世界中の駄菓子ファンが買うことができるようになった。
私が駄菓子と出会ったのは日本での経験がきっかけだったが、まだ日本に来たことのない外国人にとっては、アニメで初めて駄菓子を見たという人も多い。ここ5年くらいの間にアニメにハマっていた人は特に、駄菓子を目にする機会があったはずだ。
実際、2016年は駄菓子の国際的な知名度を高めるための分岐点となった年だったと言えるかもしれない。
まずは、「だがしかし」。小学館の「週刊少年サンデー」で連載されていたコトヤマによる漫画だ。第1期は2016年1月から放送され、第2期に続き、日本以外でも配信サービスを通じて、ファンが増えていった。
「実家の駄菓子屋を継いでほしい」という父親の願いを聞き入れられない青年が、駄菓子マニアの女の子と出会う。女の子が彼に店を継ぐよう駄菓子の魅力を説得する物語。駄菓子を紹介するだけでなく、現在の駄菓子屋の苦境も浮き彫りにしている。
海外の視聴者の中には、紹介されている駄菓子を取り寄せたり、日本を訪れた際に食べてみたいと思った人もいるはずだ。
2016年は、スタジオジブリの1991年の高畑勲監督作品『おもひでぽろぽろ』がついにGKIDSにより北米で劇場公開され、GKIDS/ユニバーサル・ピクチャーズ ホームエンターテイメントより英語吹き替えでDVDとブルーレイ化された年でもある。
主人公・岡島タエ子の幼少期に経験した山形県でのほろ苦い思い出、懐かしい昭和の風景の象徴が描かれている。この世界観のモデルなったという店が実在すると知り、喜んで訪れた外国人ファンもいるはずだ。
東京・雑司が谷の鬼子母神内に店を構える「上川口(かみかわぐち)屋」。江戸時代から続く老舗の駄菓子屋だ。現在は廃業した「こども家 きくや」と同じく、都電荒川線を利用してアクセスすることができる。
もう一つ言及したい作品として、「電脳コイル」というアニメがある。磯光雄監督のTVアニメデビュー作で、2007年にNHK教育テレビで放送された。オーストラリアとニュージーランドでは2012年にボックスセットが、北米では2016年にDVDとブルーレイで発売された。
「電脳メガネ」というAR装置を使って半現実半仮想状態になった街で暮らす近未来の日本を舞台にしたSFアニメで、主人公の優子(ヤサコ)は、祖母「メガばあ」が子供たちで構成させる 「電脳探偵局」の一員となる。そのメガばあの店「メガシ屋」は、「メガネの駄菓子屋」の略であり、「電脳駄菓子屋」とも表現されている。しかし、彼女が駄菓子の代わりに売っているのは、子どもたちが大人の管理者の許可を得ない方法で仮想世界にアクセスして操作するための強力なメタタグやソフトウェアである。
この点で、「電脳コイル」の「メガシ屋」と現実世界の駄菓子屋の間には共通点を見出すことができるかもしれない。それぞれの方法で、彼らは子どもの領域に大人が侵入することへの抵抗の場を提供しているからだ。
「未来の駄菓子屋は売り物が形を変えるかもしれない」
「電脳コイル」に登場するメガシ屋を観た時から、筆者はこう考えていた。
例えば駄菓子屋でしか手に入れない「食べるアプリ」だったり、子どもが買える「駄菓子系仮想通貨」を使ったNFT駄菓子くじだったり、駄菓子屋に集まる子ども同士がARメガネをかけてゲームで遊んだり。そうしたものも提供する様になるのでは、と。
考えようによっては、駄菓子屋は様々な境界線をぼかすことで、幅広い人にエンターテインメントを提供してきた。子どもをターゲットにしながら大人もノスタルジーを感じさせる、安い価格設定のために格差もなくしてきた。そうすると、これからはバーチャルとリアルの境界線もぼかすことで、新しい時代の楽しさを提供するかもしれない。
いずれにせよ、これからも子どもが楽しめる場所、そして日本の大切な文化であり続けたらいいなと願っている。
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