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「買い物できない子どもたち」 駄菓子屋とともに失ったものは
「もうからないけど好き」から、残せる商売へ
街角から徐々に姿を消している駄菓子屋。子どもたちは「身近だった存在」とともに、経験の場を失っているーー。立ち上がったのは「元・駄菓子屋好きの子ども」でした。全国の駄菓子屋を行脚し、新たに店を開いたという男性に聞くと、失いたくない「価値」の残し方が見えてきました。
お小遣いを握りしめ、放課後は駄菓子屋へ――。
そんな風景を、日本でもう一度当たり前のものにしたいと頑張る人がいます。
2019年6月、埼玉県加須市に開店した「駄菓子屋いながき」。店主の宮永篤史さんは、もともとは学童保育の仕事をしていて、ゼロから駄菓子屋を始めたという、業界では珍しい「新規参入者」です。
【宮永商店リトルグルメ研究部】
— 駄菓子屋いながき@駄菓子屋文化の保存活動中 (@kazoinagaki_s2) June 15, 2021
【メンバー募集中!】
駄菓子という素材を使ってひとひねりある企画やメニューを作る仲間を募集しています!遠隔参加でも大丈夫ですのでお気軽にご連絡ください。詳細を折返しいたします。 pic.twitter.com/VqHgz9jT8t
駄菓子屋に興味を持ったのは、学童保育所を経営していた時。ある日、子どもたちを遠足に連れて行きました。おやつは現地調達にさせようと、「自分の好きな物を買っておいで」と子どもたちにお小遣いを持たせたそうです。
ところが数人が、ぼうぜんと立ち尽くしてしまいました。
「買っておいでと言われても、何をしていいか、分からない」
「『おつり』が何か、分からない」
学童で預かる子どもたちは、親が共働きで、平日は学校が終わると学童で過ごします。土日も親と一緒で、子どもだけで買い物をした経験がない、というのです。
宮永さんはふと、少年時代に自分が入り浸っていた、駄菓子屋を思い出しました。そこは、コンビニやスーパーなど、大人たちのために作られた空間ではなく、子どものためにある世界、子どもが自分で考えながらお金を使える場所でした。
「子どもが『社会』を経験するのに、駄菓子屋は貴重な場所だったんじゃないだろうか」
宮永さんは、シングルファザーになったのをきっかけに、学童保育の仕事を辞め、「未就学のうちに、ゆっくり親子で旅しよう」と、当時、5歳だった息子の明(めい)君と、日本一周旅行を始めました。
ただの旅行ではなく、「全国の駄菓子屋を訪ねる」という旅のテーマも設けました。
グーグルマップで調べたり、菓子卸に聞いたりしながら訪ねた駄菓子屋は、これまでに全国約400カ所になりました。
駄菓子屋には、どの店にも、話し好きの店主がいました。5軒回る予定が、話に花が咲いて、2軒しか回れない日もザラでした。
店主たちは物を売るだけではない、子どもの学ぶ場を作るための「持論」がありました。
子ども同士でトラブルになった時はどうやって収めたらいいか、「お金が足りない」と言った子どもや、万引きしてしまった子には何と声をかけるか――。
「駄菓子屋をやっていることが好きという人がやっているので、基本的に人柄がいい人ばかり。個人店だから店主の生き様や哲学が店に現れるんです」。宮永さんは駄菓子屋の魅力を総括します。
一方で、店主たちは年金をもらいながら、採算度外視で続けている人が多く、宮永さんに「駄菓子屋はもうからない」とこぼしました。一代限りで閉店し、学区によってはすでに駄菓子屋がない町も多くありました。
【#いながきの駄菓子屋探訪】
— 駄菓子屋いながき@駄菓子屋文化の保存活動中 (@kazoinagaki_s2) June 24, 2021
鳥取県米子市「岡本一銭屋」
有名店。佇まいに唯一無二の迫力がある。吹き抜けのある三階建てで、上は骨董置き場だそう。個性的な店主が濃いめの関西弁(神戸出身)で語ってくれた。いながきbot 中国 pic.twitter.com/177YCNnKdT
魅力のある駄菓子屋を維持するためには、「マネタイズ」できる仕事だと証明して行かなければ――。宮永さんの挑戦は始まりました。
8円で仕入れた菓子を10円で売るような商売。全国各地の駄菓子屋で見たもうかるコツを分析していきました。
賞味期限が近い菓子をたくさん付けた、「お得感」のあるくじ引きを作り、客にも喜ばれていた店。神戸では明石焼き、静岡ではおでんなど、地域に合った利益率の良い飲食物を売る店もありました。
2019年6月に開いた宮永さんの駄菓子屋でも、くじ引きや10円ゲームを取り入れました。さまざまなオンラインゲームが流行っている現代でも、くじ引きで「みんなが当てたいあの商品を当てた!」という射幸心は子どもたちを魅了するそうです。
全国の駄菓子屋を巡りながら、ツイッター(@kazoinagaki_s2)などで情報発信をしてきたかいもあり、インターネットで「駄菓子屋いながき」を見た親が、子どもを連れて来店します。そして子どもの方が駄菓子の魅力にはまって、リピーターになってくれるそうです。
ぱっと見ると「伝統的」にも見える駄菓子屋ですが、宮永さんは「実は、時代に合わせた面白い新商品も続々と出ていて、駄菓子屋でしか買えない商品にも出会える場所なんです」と、駄菓子屋の良さを話します。
そんな思いから、宮永さんが外国の友人に駄菓子屋を紹介するときは、こんな風に訳すそうです。「Brandnew old candy shop」――どこか懐かしくて、ちょっと新しい場所。そして、きっと世界のいろいろな場所にもある、子どもたちのよりどころ。
「駄菓子屋は、人との触れあいがあり、地域性を知ることができる場所です。コロナが落ち着いたら、ぜひ海外の旅行客にも、日本の駄菓子屋を訪ねてほしい。自分の国の文化と比べて、楽しんでもらいたいです」
取材を通して、筆者は小学生の時に通っていた駄菓子屋を思い出していました。放課後、お小遣いを握りしめ、くじ付き菓子や、アイドルのプロマイドを見つめた「子どもだけの秘密基地」。
バズった終売情報の中には、あのとき食べていた駄菓子もありました。「もう、食べられない」と知ると、それまで思い出すことも減っていたのに、確かなショックがありました。
それは、駄菓子は思い出を閉じ込めたタイムカプセルみたいなものだったからなのかも。
「駄菓子」を共同取材のテーマとしたいと提案してくれたのは外国人記者の方でした。外国人記者との共同取材で、「日本の駄菓子はすばらしいね」と言われて、ようやく、その価値に気づきました。
「あの頃に戻りたい」と思ったときに、いつでも触れられる場所が残るように。世界の視点から思い出させてくれたこの価値を、懐かしむだけじゃなく、これからは手に取って味わいたいと思います。
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