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「もう死ぬんだ…」漫画家・高浜寛を変えた熊本地震 作品で描く自立
「若い人たちの力になれる存在にならないといけない」
19世紀の長崎とパリを描いた漫画「ニュクスの角灯(ランタン)」 (リイド社) で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した高浜寛(たかはま・かん)さん。現在は出身地の熊本県天草市で漫画を描きながら生活しています。2016年4月、熊本地震の際は熊本市で被災しました。死を意識したあの日から、創作活動への変化はあったのか。当時の手記とともに、振り返ってもらいました。
被災した当日、前震で家が壊れたときはそこまでのショックがなくて、古いし壊れて当然だろうなと思いましたね。母の家で本震に遭い、築30年くらいのマンションが住めなくなるくらいボロボロになって初めて実感がわきました。
寝ているときに大きな揺れがあって、押し入れから水が流れてきたり、天井からパラパラ粉が落ちてきたりしました。ぐにゃぐにゃ揺れている中で避難をしたら、駐車場のアスファルトが、足元から割れていきました。
そのあと、新しい家が見つかるまでの約1カ月は車中泊になりました。メンタルは結構やられましたね。いつ地震が収まるか分からないし、電気もガスもいつ復旧するか分からない。お風呂にも入れず、気持ちはずっと重い感じでした。
<2011年の東日本大震災では、仕事で訪れていた東京で揺れに遭いました。電車が止まり、4駅先のホテルまで歩いて戻りましたが、熊本には帰る家がある「訪問者」です。被災した当事者という意識はありませんでした。熊本地震で初めて大きな揺れを何度も経験し、「死」を意識したといいます>
もう死ぬんだと思ったとき、視界がクリアになって、突き抜けた感じになりました。気持ちが強くなったというか。
残された時間があとどれくらいかわからないけど、その間のことをしっかり覚えていようと思いました。弱い人から先に救助したり、パニックになっている人のお世話をしたり、”そのとき”が来るまで自分のできることを淡々とこなして、この空の美しさや生きていたことを強く記憶しておこうと思ったんです。
<一時は「死」が浮かんだ高浜さんでしたが、車で生活しながら漫画は描き続けました。手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した「ニュクスの角灯」は、被災をしながら描いた作品です。震災を経て、作品にも変化がありました>
今までの作品と大きく違う点は、若い人を導くキャラクターが以前よりも出てくるようになったことです。
「ニュクスの角灯」では、お慶さんや岩爺、ポーリーヌをキャラクターとして出すことにはしていましたが、震災後、いきいきと動き始めました。ニーズも感じて、登場シーンやセリフを増やしました。
背景には、私が以前より自立したことがあります。自立したことによって、若い人たちの力になれる存在にならないといけないと思うようになりました。
普段の生活だったら、親がいたり、パートナーがいたり、仕事の同僚がいたり、誰かしら頼れる人がいると思いますが、震災のときはその人たちのメンタルがグラグラになって、「誰に頼ればいいの?」ととても絶望的な感じになりました。
誰も手を差し伸べてくれない。誰も私のことを見る余裕がない。そうなったときに、どうやって自分の足で立って、するべきことを見つけて、一つ一つこなして、疲れたら休む判断をするのか。それまで幼かった部分がわかって、どう自分のメンテナンスをしていくかを学びました。
今までは、誰かが支えてくれるとか、誰かが何かしてくれることを期待していたのだと思います。震災の後はとにかく、自分の足で立って、稼いで、新しい家を維持して、みんなに余裕がなくても1人で生きてみようと思いました。そうするうちに強くなったんです。
震災で意識した「死」についても、これからどんどん作品に反映されていくと思います。「ニュクスの角灯」では長崎の原爆を描いたり、主人公が死んだりはありましたが、もっともっと人の死について考える作品を準備しているところです。
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