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としまえんのシンボル「エルドラド」 戦火逃れた木馬の数奇な運命
8月31日に閉園する東京都練馬区の老舗遊園地「としまえん」。94年の歴史がある園には、親子3世代、4世代にわたって思い出があるという人も少なくなく、新型コロナウイルスの影響での入場制限がかかる中でも、最後の思い出を作ろうと多くの客が詰めかけています。中でも、ひときわ賑わいを見せているのが、同園のシンボルである回転木馬「カルーセルエルドラド」です。ドイツやアメリカを経て、1971年から同園で営業を開始したエルドラド。数奇な運命をたどりながらも復活してきたエルドラドには、多くの人の思いが詰まっています。
エルドラドがとしまえんでまわり始めたのは49年前。もともと、機械技師のヒューゴー・ハッセの最高傑作として1907年にドイツで生まれ、ヨーロッパ各地をめぐり、人気を集めた。だが、第一次世界大戦前の社会情勢が悪化してきたことから、アメリカの遊園地へ渡っていた。
その遊園地が閉園し、解体されて倉庫に眠ったままになっていたのを、69年に運営会社の豊島園が購入。当時、アメリカの新聞では日本行きが決まったことが大々的に報じられ、港には別れを惜しむ人たちが詰めかけたという。
でも、日本に到着したコンテナから出てきたのは、塗装がはげたり、パーツがバラバラになったりした回転木馬だった。
詳細な設計図はなかったため、職人たちが試行錯誤を繰り返しながら手探りで組み立て。足りないパーツは独自に入手したり、ドイツで生まれた当時の色を調べたりしながら塗装をし直し、2年がかりでようやく営業にこぎ着けた。
それだけに、同園がこの乗り物にかける思いは特別なものがあった。木製ならではの暖かみが感じられることや、運転時の独特の「ギー」という音は、新しい乗りものにはない独特の存在感があった。
乗る楽しさだけではなく、美術品のように「見る」楽しみもある。エルドラドは、ほとんどの乗り物が手彫りだ。馬や豚といった動物たち表情は一つずつ微妙に異なるほか、きらびやかなゴンドラの装飾もそれぞれに趣向が凝らされている。
同園の事業運営部長、内田弘さん(65)は、自身の結婚式もカルーセルエルドラド前で行ったというほどの「エルドラド好き」だ。エルドラドのことを語り始めると、次から次へとエピソードが出てくる。
そんな内田さんが入社して5年目の1985年の秋、その存在の大きさを実感した「事件」があった。
ある日突然、エルドラドがとしまえんにあるかを尋ねる電話が、園にかかってきた。その後、元所有者であるアメリカの遊園地から、「シンボルであるエルドラドを返して欲しい」という趣旨の電話や手紙が寄せられたという。
内田さん始めスタッフは、海を渡ってもなお大きいままの影響力に驚いた。「当時も、既にとしまえんにとって大事なシンボルになっていた。もちろん、応じることは考えられなかった」。内田さんの手元には、アメリカの会社や大使館などとやりとりした当時の記録が残っている。
約50年、としまえんで多くの客を乗せてきたエルドラド。その延べ人数は、2630万人にのぼり、多くの人の「思い出」の一場面になってきた。閉園後のエルドラドは解体され、倉庫に眠ることが決まっている。
毎朝、開園と同時に多くの人が列を作り、その変わらぬ姿を目に焼き付けている。目当ての馬やゴンドラに駆け寄る人、記念撮影をする人。中には、乗り物には乗らず、じっとエルドラドが回転する様子を見つめ続ける人も少なくない。
暗くなった夜、ライトアップされたエルドラドの周りにも、別れを惜しむ大勢の客が絶え間なく訪れている。
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