話題
ひきこもり「30年の変化」 家庭内に起きる「奇妙な平和」の落とし穴
「本気で向き合わないと」支援現場の危機感
不登校やひきこもりの若者たちが寝食をともにして自立を目指す富山市内の共同生活寮「ピースフルハウスはぐれ雲」、通称「はぐれ」。設立から30年余りの間に、寮に入る人たちの年代は徐々に上がり、長期間ひきこもっていたという人も現れた。背景には何があるのか。そして、社会とのつながりを絶った人たちとの接点をつくるために重要なこととは。(朝日新聞富山総局・竹田和博)
はぐれ代表の川又直さん(66)が自立支援に携わり始めた40年近く前、今でいうひきこもり状態の若者のほとんどは10代だった。1988年にはぐれを始めてからも状況は同じ。
しかし、2000年代に入ると大学生や就職後のひきこもりが増え、はぐれに来る年代も高くなった。20代は当たり前。30~40代、なかには10年近くひきこもっていた人も。「何でこうなるまで放置したのか。もっと早く相談してくれれば」。川又さんはそのたび、やるせない思いになった。
40~64歳のひきこもり状態の人は全国で61.3万人、15~39歳は54.1万人いるとの国の推計に「ひきこもり115万人。本当にどうするのかね」。川又さんはたびたびそう口にしてきた。そして、現場の実感から「実際はもっといる」と見る。
「『見守りましょう』『待ちましょう』が一人歩きした結果ではないか」。川又さんは増加や長期化の一因をそう考える。「聞こえのいい言葉だが、結局は先送り。その結果、にっちもさっちもいかなくなったとして、言った人間は責任を取れるのか」。見守ることを完全に否定するつもりはない。「半年や1年ぐらいなら人生の中休みだと思えばいい」。大事なのは、その後どうするかだ。
ひきこもっていた期間が短いほど、動き出すまでの時間は短い。川又さんは過去の経験からそう断言する。
「早く娑婆を知らないと。トレーニングを積んで、落ち込んだり自信つけたりを繰り返しながら、やがて独り立ちして納税者になる。『見守る』だけではそういう機会はこない」
貴重な社会の担い手として、少しでも早く社会に引き込む。でないと、将来どうなるか。川又さんは危機感を持って本気で向き合わないといけない問題だと思っている。
「家庭内暴力のある家庭では暴力が収まると、『暴力さえなければ』と家の中に奇妙な平和が訪れてそのまま臭いものにフタをしてしまう」と川又さん。外の目を気にして声を挙げられず、そもそも、どこに頼っていいかも分からないまま月日が流れ、社会のはざまに埋もれてしまう。その行き着く先が「8050問題」だと川又さんは考える。
外とのつながりを完全に絶ってしまった人たちとの接点をどう作るか。川又さんは、そこが一番難しいという。
はぐれでは、30件の問い合わせのうち見学に来るのは7、8件。入寮するのは1件ほど。親子でコミュニケーションがほとんど取れておらず、連れ出すという決断ができない家庭も少なくない。川又さんは「親子で対峙しないとダメ」と手厳しい。
「ここ(はぐれ)の親も、連れて来るまでは大変だったけど、何とかしようとした。子どもが変わるには、親も変わらないといけない。親の敷いたレールを外れたってことを、親自身が受け入れて開き直ることが必要なんだよ」
子どもに変化が見えると保護者にも余裕が生まれ、子どもの将来を柔軟に考えられるようになる。そんな姿が子どもに刺激を与え、互いに成長していく。そうすれば自立への道は開ける。川又さんはそう考える。
そのために、「第三者による介入が必要な時はある」という。家庭訪問を重ねて、外に「連れ出す」。その手法に「本人の意見を聞いていない」との批判を受けることもある。
しかし、川又さんは先々のことを考えて覚悟を持って臨んできた。「場数を踏まないとできない。本気でやれる人間がどれだけいるか」。当事者と粘り強く向き合い、家族の苦悩も理解して自立をサポートする。時間もエネルギーもかかるが「費用対効果では図れない。理屈じゃないんだよ」と川又さん。そんな取り組みのできる人材が数多く育つことを願っている。
私も過去に、弟が数年にわたってひきこもり状態だった。大学進学を機に実家を離れたため、実家は母親と弟の二人暮らし。行き場のない不安や鬱屈した気持ちの矛先は、母親に向いた。病院や相談窓口を頼ろうにも、本人が行きたがらず、なかなか打開策を見いだせなかった。私は話を聞くことしかできなかった。
そんな日が長く続き、母親は定期的に、近くの宿泊施設や私の下宿先に泊まるようになった。本人の気分転換もあるが、弟と距離を取って家の中の空気を変えることが必要だと考えたようだ。このやり方が幸いしたかは分からないが、弟は次第に外に出るようになり、自分で仕事を見つけて働き始めた。
親子間の距離が近くなりすぎた際に、間合いを取ってみる。そんなアプローチも打開策になり得ると感じたことが、はぐれの取材の原点だ。
取材を始めたのは2018年11月。それから7カ月にわたって、農作業やソフトボール大会に混じり、時には寝泊まりをして川又さんとビールを飲みながら話を聞いてきた。
過去の話に触れられたくないのでは。そんな先入観から、寮生への取材は最初、恐る恐るだった。だが、寮生の話しぶりはあっけらかんとしたもの。そんな様子とは裏腹に、それぞれの歩んできた道のりは、目の前の姿からは想像できないほど険しいものばかりだった。はぐれに来た背景も千差万別。ただ、「居場所がない」という思いを抱えてはぐれとつながった点は共通していた。
似た境遇の仲間がいることで「自分だけじゃない」と思える。一緒に遊び、農作業に汗を流し、寮の仕事を分担する。そうして役割を果たす中で小さな自信を積み重ね、アルバイトや学校への意欲が湧く。そんな日々を繰り返すうちに、はぐれを居場所と感じられるようになっているようだった。
相性もあり、途中で寮を去る人もいる。川又さんは「うちでダメでも、他でうまくいけばいい」と、つながりのある他の団体を紹介することもある。大切なのは、どこかとつながること。そんな「頼り先」が社会に増えてほしいと思いつつ、願うだけでは何も変わらない。
私が今できるのは、はぐれのような現場が息長く続くよう応援すること。はぐれで作るお米を買ったり、農作業やソフトボール大会に参加して寮生と交わったり。私自身、はぐれでの日々で心を洗われたからこそ、今後も緩やかに、そして途切れなく関わりを続けていきたいと思う。
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