連載
懐かしい「観光地みやげ」探して 沖縄、身に染みた店員さんの優しさ
首里城の火災の翌月、調査に向かった先での出会い
連載
首里城の火災の翌月、調査に向かった先での出会い
バブル~平成初期に、全国の観光地で売られていた「ファンシー絵みやげ」を集める「平成文化研究家」の山下メロさん。当時の世の中の空気を映し出すキャッチーなイラストや文字が特徴ですが、長年続く土産店に残されているのみで、今はもうほとんど売られていません。そんな中、山下さんにとって衝撃的な出来事が起こりました。 昨年10月に起こった、首里城の正殿の火災です。調査のため飛んだ沖縄でもらった「ファンシー絵みやげ」がつないだ「ご縁」についてつづってもらいました。
※この調査は昨年11月に行われたものです
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称です。地名やキャラクターのセリフをローマ字で記し、人間も動物も二頭身のデフォルメのイラストで描かれているのが特徴です。
写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代がピークで、「つくれば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
しかし、限定的な期間で作られていたからこそ、当時の時代の空気感を色濃く残した「文化遺産」でもあります。私はファンシー絵みやげの実態を調査し、その生存個体を「保護」するため、全国を飛び回っているのです。
ファンシー絵みやげ研究家の朝は早いです。なぜなら、多くの土産店が営業を開始する朝の8時~9時に間に合うよう、早朝から移動するためです。一方で、翌日の予定を立てるために、深夜遅くまで情報収集しながら過ごしています。それもあって、保護活動から東京に戻ってもなお夜遅くまで起きている夜型人間です。
2019年10月31日。その日も夜遅くまで作業していたところ、信じられないニュースが飛び込んできました。
「首里城で火災が発生」
出発する前に、まず手持ちの「ファンシー絵みやげ」の中に、首里城正殿を描いたものがあるか探しました。
しかし、首里城の守礼門を描いたものは見つかったものの、正殿はなかなか見つかりません。
それもそのはず、ファンシー絵みやげが広く流通したのが、80年~90年代。首里城正殿が復元されたのは1992年です。正殿が復元される前は、すでに1958年に復元されていた首里城の守礼門を描いていたのだと考えられます。
しかし、ファンシー絵みやげは90年代前半にだんだんと姿を消して行ったものの、正殿がぎりぎり描かれた可能性はあります。そう思ってもう一度よくよく探してみると、首里城正殿が描かれたキーホルダーが見つかりました。
この他にも、昔から営業している雰囲気を持つ大きめの店舗もいくつか並んでいます。そこでファンシー絵みやげのミニタオルを発見しました。こちらは「ひめゆりの塔」モチーフではなく、日焼けしたサーファーのイラストで「OKINAWA」と書かれています。あえて特定の地域や観光地の名前を入れず、県全域で売ることができる商品です。
「ひめゆりの塔」ではありませんでしたが、1つでも現物が見つかると「やはり昔はここにもたくさん売られていた」ということが分かりますので、調査にも熱が入ります。
お店の方に対しても「ほら、これです。これと同じようなものは他にないですか?」といった感じで、見つかったミニタオルを見せながら尋ねます。
現物がない場合「そんなものはない、見たことない」といった感じで、記憶を探ることもなく反射的に追い返されてしまうケースもあるのですが、現物を見せた場合は「コレが存在した」という前提になるので「あったかもしれない」という思考になって、より協力していただけるのです。
しかも、その店の中で見つかったとなれば「当時はウチでも扱っていた」「どこかに他にも残っているかもしれない」と思っていただけるのです。これだけで、店の方が思い出したり、探したりしてくれる可能性はぐんと上昇します。
次の店舗も、雰囲気から何か見つかりそうな気がして何度も店内を回っていました。
お店の方
山下メロ
お店の方
現物を見せたとしても、現実は厳しい。しかし、きっとあるはずと思って店内をくまなく見ていて、思わぬ場所で声を上げてしまいました。
山下メロ
見つけたのは、「OKINAWA」の文字とパイナップルのキャラクターが描かれたゴブラン織りのランチョンマット。
商品として売られていたのではなく、陶磁器の壺が割れたり傷ついたりしないようマット代わりに使われていました。
お店の方
山下メロ
お店の方
お店の方がどこかへ探しに行ってくれました。やはり店内で現物が見つかると、急に協力的になってくれます。
数十分ほど経って、店員さんが戻ってきました。
お店の方
山下メロ
お店の方
ここで、いずれ訪れようと思っていた首里城につながりました。
山下メロ
お店の方
大慌てで首里城方面へ向かいましたが、途中で見つけた土産店を調査していたところ、辺りが暗くなってきました。そして、首里城公園へ着いたころにはすでに真っ暗。土産店が集まっている広場も、すでにすべての店が営業を終了していて真っ暗です。
せっかく情報をいただいたので、今日のうちに確かめておきたいと思っていました。それが叶わない状況を目の前にして、私の気持ちも真っ暗になっていました。
しかし、広場の奥へ進んでみると、小さな明かりが見えました。よく見ると1店舗だけシャッターが少し開いていて、下から明かりが漏れています。すでに閉店作業が終わっていそうな雰囲気ですが、せっかくここまで来たので店内を見せてもらえないかと駆け込みました。望みは薄いですが、もしかしたら先ほどお世話になったお店の系列店かもしれません。
山下メロ
お店の方
なんと、ひめゆりの塔のお店にいたお姉さんがそこにいました。
山下メロ
お店の方
山下メロ
お店の方
来るかどうかもわからない私を待っていてくれたお姉さん。嬉しさと申し訳なさでいっぱいになりました。もっと早く到着していれば良かった……。
そして、見ず知らずの私のために、こんな遅い時間まで店を開けて待っていてくださったことに感動しました。
周りを見渡すと、焼失した正殿のほうは閉鎖中で近づけません。工事中の赤いランプが光っています。そして無事だった守礼門はライトアップされていましたが、火事がなければ同じようにライトアップされた正殿も見られたのです。
3月末、政府は正殿を2026年までに再建することを目指す工程をまとめました。再建にはまだ時間が必要ですが、土産店は変わらぬあたたかさで営業されていました。
この首里城公園の真っ暗な広場で、自分のためだけに点灯していたお店のライト。この光が、私にとっては救いのように感じました。1日も早い首里城の再建、復旧を心より祈っています。
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは不定期で、山下さんのルポを配信していきます。
1/118枚