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尾瀬に伸びた開発の〝魔の手〟 「栃木ルート」たどって見えたもの
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童謡で「はるかな尾瀬~」と歌ったことのある人も多いのではないでしょうか。しかし、大阪出身の記者にとっては「遠い存在」でした。栃木・宇都宮に赴任したのをきっかけに「栃木ルート」をたどってみると、開発の「魔の手」から何度も守られてきた歴史があると知りました。(朝日新聞記者・岡本智)
記者のような関東にゆかりのない関西人のなかには、埼玉・群馬・栃木・茨城・福島の各県が地図でどこにあるのかよくわからない……という人が多いのではないでしょうか。
それでも、そのあたりに「尾瀬」という、ミズバショウが咲き誇る場所があることは知っていました。学校で「はるかな尾瀬~」と歌ったことがあるからです。
この春、宇都宮に赴任し、ふと地図を眺めていたときに衝撃を受けました。近くに尾瀬がある!
しかも尾瀬国立公園には、面積はたった3%ですが栃木県が含まれ、登山道もありそうです。それが今回の尾瀬取材のきっかけでした。
栃木から尾瀬に向かう「栃木ルート」を調べるうちに、栃木から群馬につながる「奥鬼怒スーパー林道」なるものが反対運動をはねのけ、建設が強行されたことを知りました。
さらに尾瀬で、東京電力によるダム建設、群馬県などによる道路計画が持ち上がるたびに、人々が立ち上がり、なんとか食い止めた歴史を知った。
初めて訪れた尾瀬は、期待通りのすばらしい自然の宝庫でした。
ただ、未舗装の車道が途切れていたり、完全に通行止めになっていたりと、開発が進んだ痕跡がいくつか見られました。
特に、尾瀬を南北に貫き、群馬、福島両県を結ぶはずだった「沼田檜枝岐線」は、群馬側は尾瀬沼からかなり手前の一ノ瀬のすぐ先で行き止まり。福島側は沼山峠でストップしていました。尾瀬沼に開発が迫る「魔の手」のように見えました。
尾瀬最古の山小屋「長蔵小屋」の3代目で故・平野長靖(ちょうせい)さんが、当時の環境庁長官に直訴し、1971年に建設中止を勝ち取った成果だといいます。
このため、福島県によると、福島と群馬は隣接する都道府県(沖縄県を除く)で唯一、車道がつながっていないとのこと。
長靖さんは、自然破壊を見過ごせない一方、山小屋を営む「矛盾」を心に抱えていたそうです。
しかし、現地に足を運び、世界に誇れる自然があることを知ってもらわなければ、尾瀬は人知れずダムの底に沈んでいたかもしれないし、現在の姿とはほど遠いものになっていたかもしれません。
さまざまな矛盾に苦しみながらも信念を貫き、自然を守った先人たちには感謝しかありません。