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〝手話で歌う〟アイドル 失聴後は「神様がくれた2度目の人生」

ドラマ「silent」も監修した中嶋元美さんインタビュー

ソロ活動5周年記念ライブにおじゃましました
ソロ活動5周年記念ライブにおじゃましました

目次

〝手話で歌う〟アイドル「もっちー」こと中嶋元美さん(31)は高校生のときに完全に耳が聞こえなくなりました。けれど手話と出会い、より自分らしい「神様がくれた2度目の人生」を生き始めることができたといいます。これからの夢はミュージカルの世界で人に感動を与えることです。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)

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※インタビューではマネージャーの蓮子都(はつし・みやこ)さんに手話通訳をご担当いただきました

5周年記念ライブ

11月27日夜、中嶋さんのソロ活動5周年を記念したライブが新宿で開かれました。

地下のライブハウスに集まった50人ほどの観客を前に、中嶋さんはJポップ、アイドルや大好きなミュージカルのカバーやオリジナル曲など計20曲ほどを手話で歌い上げました。

曲ごとに表情が変わります
曲ごとに表情が変わります

Adoの「うっせえわ」をパワフルかつコミカルに、ミュージカル「ウィキッド」の「ポピュラー」はかわいらしく、「レ・ミゼラブル」の「オン・マイ・オウン」はひたむきに…。

中嶋さんの動きや表情だけではなく、衣装や後ろの大きな画面の映像や照明も次々変化していきます。観客は舞台に釘付けになっていました。

どうやって音に合わせる?

中嶋さんは曲のリズムに合わせて事前に手話や踊りを覚えています。

そして本番中は蓮子さんが客席最前列の端で右手を振り下ろして曲のカウントを取っており、中嶋さんはそれを見てリズムを把握します。

生演奏のピアノに合わせて歌ったミュージカルパートでは、ピアニストとお互いに息を合わせて歌いました。

3歳からバレエ

ディズニーランドまで30分ほどのところで生まれ育った中嶋さんは、幼少期、母に連れられて毎日のようにランドへ通っていました。

パレードを見ながら中嶋さんが踊っているのを見た母の提案で、3歳からバレエを習い始めました。将来はプロのバレリーナを夢見ていました。

中学生のとき判明

聴力については、幼稚園の頃から医師に「問題があるかもしれない」と言われていました。

しかし、小さかった中嶋さんは、高音が聞こえづらいことやずっと耳鳴りがしていることは当たり前だと思っていて、人と違うとは気づいていませんでした。

音が聞こえたらボタンを押す聴力検査では、いつ押せばよいのかよく分からず、感音性難聴という病気が分かったのは中学生になってからのことでした。

会話が聞こえない

「みんなと違うものを着けるのが嫌で、ガラケーをデコってくれるお店に補聴器を持って行ってかわいくしてもらいました」

診断後、補聴器を着けて生活するようになりました。

ミュージカルパート以外の曲では歌詞が画面に映し出されていました
ミュージカルパート以外の曲では歌詞が画面に映し出されていました

授業は最前列で、先生の声を拾って補聴器に音を送る「ヒアリングループ」も着けることでなんとか聞き取っていました。

しかし、中学生女子のグループでの会話やこそこそ話ははっきり聞き取れません。

毎回聞き返すこともできず、空気を読んで話についていけているふりをしていました。

高1で音が消えた

中嶋さんの生活から音が消えたのは高校1年生のときでした。

2月にあったマラソン大会の練習中に突然倒れて入院。体調が回復してから退院しましたが、3月にかけて聞こえる音が徐々に小さくなり、やがてゼロになりました。

家のスピーカーの音量を最大にして確かめてみても、何も聞こえませんでした。

衣装がひらひら
衣装がひらひら

「ショックはショックでした。でも、これまでの『聞こえる』でも『聞こえない』でもない状態のほうがつらかった」

音が聞こえていたときは、自分がしゃべると勝手に音が全部聞こえる人だと思われ、「聞こえにくい」ことを毎日説明して過ごさなければなりませんでした。

「ずっと我慢していたから、聞こえなくなってよかったとほっとした部分もありました」

生まれ変われた喜び

しかし、大好きだった音楽が聞こえなくなり、バレエも続けられなくなりました。母は、そんな中嶋さんを、手話パフォーマンスの体験会に連れて行きました。

これまでは人の言葉の一部が分からないことが日常だった中嶋さんにとって、言葉が目からすべて届く手話は驚きと喜びをもたらしました。

中嶋さん
中嶋さん

中嶋さんはオリジナル曲「Reborn ~音のない世界で~」の歌詞にそのときの思いをつづっています。

「神様がくれた2度目の人生 音はなくても私の居場所はここだよ」
「音のない世界は想像と違った 生まれ変われた喜び 手が描いてくれる」
「目に見える世界をつくるよ ほら、見てほしい この手が歌声になるから」

劇団で活動

中嶋さんはその後、手話パフォーマンスの劇団に入り、放課後や休日に活動を始めました。

学校では授業について行けなくなり、配慮を頼みましたが「誰か1人のために何かすることはできない」と断られ、ろう学校へ転校しました。

手話は周囲との会話で自然に覚えていきました。

今もスタバで

高校卒業後は郵便局で郵便物の仕分けの仕事をしていましたが、接客がしたくてスターバックスの店員に。

国立市にある「共通言語が手話」のスターバックス「サイニングストア」のオープニングスタッフにもなり、今も別の店舗で働いています。

19歳から配信サービス「SHOWROOM」での毎日配信も続けています。手話が分からない視聴者もいるため、おもに筆談で話します。

配信者としてのランキング上位を目指していたときには、1日でノート1冊を使い切ったこともありました。

「silent」で手話監修

2020年には劇団をやめて独立し、アイドル、そして俳優としての活動をスタートしました。

また手話話者として、高校生のころからドラマや映画の手話の監修にも関わるようになりました。

「ボーイズ・オン・ザ・ラン」(丸山隆平さん主演)、「若者たち2014」(妻夫木聡さん主演)、「ホテルコンシェルジュ」(西内まりやさん主演)、「帝一の國」(菅田将暉さん主演)など様々な現場で手話やろう者の気持ちを伝えてきました。

世田谷代田駅の構内にはられたドラマ「silent」のポスター=2022年、東京都世田谷区代田2丁目、野田枝里子撮影
世田谷代田駅の構内にはられたドラマ「silent」のポスター=2022年、東京都世田谷区代田2丁目、野田枝里子撮影

特に2022年のドラマ「silent」での監修には注目が集まりました。目黒蓮さん(SnowMan)が演じるのが中途失聴者だったため、同じ境遇である中嶋さんに依頼が来ました。

手話には日本語と同じ語順の「日本語対応手話」と、独自の言語体系を持つ「日本手話」があります。

生まれながらに耳が聞こえない人は日本手話、中途失聴でもともと日本語を話していた人は日本語対応手話を使うことが多いです。

フェンディのショーに来場したSnow Manの目黒蓮さん=2025年9月
フェンディのショーに来場したSnow Manの目黒蓮さん=2025年9月

目黒さんが演じたのは「ろう者に出会って手話を話すようになった中途失聴者」。そのため中嶋さんは2つの手話を織り交ぜ、バランスを取りながら日本語を翻訳し、教えました。

silentの放送後にはドラマの影響を感じる場面もありました。

カフェで手話で話していると近くの人が「silentだ!」と注目してきたり、スタバではテレビで目黒さんが披露した手話をまねて「抹茶クリームフラペチーノ」を手話で注文してくれるお客さんがいたり。

推し活から手話学習へ

ライブへ足を運んでいたファンの方々に中嶋さんの魅力を聞きました。

スーツにネクタイ姿のあきらさん(58)は名古屋のメーカーで働いていて、出張ついでにライブへ。SHOWROOMでの配信で中嶋さんに出会った1人です。

「聞こえないことを隠さず、『手話が私の言葉』と胸を張っているのがかっこよかった。夢を捨てずにがんばっている姿を見ると、こちらもがんばらなきゃと思わされる。いつも『応援してくれてありがとう』って言われるけど、こちらが応援されている気がします」

ライブ後の撮影会で中嶋さん(左)と写真に写る城さん
ライブ後の撮影会で中嶋さん(左)と写真に写る城さん

最前列でペンライト3本を器用に振っていた城七夏さん(25)は、SNSでsilentの手話監修者として紹介されていた中嶋さんを見つけました。

「何この人!かわいい!!」と一気にはまり、推し活がスタート。同時に手話の勉強も始めました。

小学生のころに少し教わった手話を再度独学で勉強し、さらにネット掲示板でろうの友人を作り、定期的にカフェでお茶する仲になったそうです。

2人が口を合わせて中嶋さんの魅力だと話したのが「表現力」。表情を次々に変えながら、体全身をめいっぱいに動かしてステージで輝く中嶋さんに夢中です。

私が広げる可能性

ライブでお披露目した新曲「メロディ」の歌詞にはこうあります。

「新しい世界が私を待ってる 目に見える世界を描いてみたい 次はどんな世界を描いていくのだろう」「私の声は手だ」

中嶋さんは舞台俳優としても活動していて、今後は大好きなミュージカルの世界で活躍することを夢見ています。

新曲「メロディ」
新曲「メロディ」

海外には聴覚障害のあるキャストを中心とした劇団もあり、「私にもできる!」と国内の様々なオーディションに応募する日々。

ですが、「起用したくても(耳が聞こえないキャストの起用は)前例がないから」と断られることが多くあるそうです。

2026年は海外にも視野を広げ、自分が目指す活動の可能性を探っていきます。

「ろうの俳優の活動が増えれば、子どもたちが目指せる夢になる。舞台での可能性は私が広げていきたい」

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