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連載

#4 ある納棺師の日々

「納棺師」が今も必要な理由 臨終の儀式「人任せ」にする危うさ

身寄りのない人の納棺儀式
身寄りのない人の納棺儀式

目次

 親に認めてもらえない苦しさ、人を信じられなかった10代、離婚、がん……。苦しい出来事に向き合って、富山市の鳥羽みゆきさん(43)は「使命」という「納棺師」の仕事に出会いました。鳥羽さんに話を聞いて、「死」に向き合う貴さを感じました。(朝日新聞富山総局記者・吉田真梨)

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【連載】ある納棺師の日々
・「儀式」の時、考えていること 始めた当初は「疑問だらけ」
・「納棺師」それでも続ける理由 死は「けがらわしい」ものじゃない
・私が「納棺師」になるまで……きっかけは病院での「どうしたん?」

「なんか笑ってるように見えない?」

 鳥羽さんが行う納棺に何度か立ち会わせてもらいました。そのどれもが印象的でした。

 施設で亡くなった80代の身寄りのないおばあさんがいました。葬儀会社の一室に、鳥羽さんとおばあさんの2人だけ。落ち着いた照明に静かな音楽が流れる中で、鳥羽さんはいつもと同じように丁寧に体を拭き始めました。

 最後にお化粧をするために顔の布を外すと、思わず「きれー」と声がもれてしまいました。肌はつやつやして美しく、静かに目を閉じている姿は「眠っているよう」という表現がぴったりでした。ファンデーションを塗り、肌に合う口紅を選ぶ。髪を優しくとかす。死の恐怖とはかけ離れ、静かで、清潔で、神々しささえ感じました。

 鳥羽さんと一緒に布団を持ち上げて納棺させてもらい、おばあさんの頬にそっと触らせてもらいました。ひんやりとして、でもしっとりとしてやわらかい。今もその感触が指先に残っています。

 「なんか笑ってるように見えない?」と鳥羽さんが言いました。なぜだか胸がいっぱいになり、うまく言葉が出ませんでした。

 鳥羽さんによると、おばあさんには絶縁していた娘がいるそうです。通夜も葬儀もしませんが、納棺の翌日、その部屋に僧侶がお経をあげにきて、娘も来ると聞きました。その時、この最期の顔を見て何を思うだろうかと、ずっと考えていました。

祭壇
祭壇

お辞儀をして、車が見えなくなるまで見送っていた

 もう一つ、印象的な納棺がありました。

 夫と息子の3人暮らしの高齢の女性。鳥羽さんと向かった女性の部屋の床のカーペットは、寝たきりだったせいか、おそらく尿でしめっていて、部屋に臭いが染みついていました。ゴミがあちらこちらに積まれ、部屋につるされたハンガーには、数センチのホコリが積もっていました。

 女性は髪が乱れ、口と目が少しあき、肌は乾燥していました。西日が差し込むしんとした室内。夫と息子は少し離れた場所でぼーっと座っていました。

 鳥羽さんは丁寧に、でも手際よく口と目を閉じ、顔の産毛をそり、クリームを塗っていきます。

 気がつくと、夫も息子も立ち上がって交互に顔をのぞき込んでいました。

 「顔つやつやーっとしてきれいになったね」「動き出しそうね」

 そんな会話が自然と生まれていました。鳥羽さんが「お顔見えるように(棺の)扉開けておきましょうか」と聞くと、息子はうれしそうにうなずいていました。

 帰り際、鳥羽さんが車を出すと、家の外に出てきた息子が鳥羽さんをじーっと見つめ、お辞儀をして、車が見えなくなるまで見送っていました。そのまなざしが忘れらません。

化粧道具は遺体用が主だが、特殊メイクに用いられるものや歌舞伎用のものもある
化粧道具は遺体用が主だが、特殊メイクに用いられるものや歌舞伎用のものもある

「死は頭で考えて分かるものでない」

 「体がある限りどんな人も同じ人間」と鳥羽さんは当たり前のように言います。生前の肩書や名誉、裕福かそうでないかなど関係ない。鳥羽さんが向き合うのは、尊厳を持って人生を生き抜いた一人の人間です。そのことは言葉だけでなく、鳥羽さんの行動の一つ一つから感じました。

 誰しもいつかは死ぬ。身寄りのないおばあさんの納棺に立ち会って湧いてきた気持ちは、どんな立場でも最後まで見守ってくれる人がいることへの感謝の気持ちだと後から思いました。

 映画「おくりびと」の原案となった「納棺夫日記」の筆者青木新門さん(81)は、臨終の場には「命のバトンタッチがある」と表現し、臨終に立ち会う経験や納棺の儀式が失われつつあることに、警鐘を鳴らしていました。

 青木さんが納棺の仕事に携わるようになった昭和40年代、北陸では自宅で亡くなる例が多く、納棺は親族の男性が行うのが習わしだったといいます。ですが現代は、核家族化や高度医療の発展などで、臨終の場に立ち会える機会が失われていると話していました。

「納棺夫日記」を執筆した青木新門さん
「納棺夫日記」を執筆した青木新門さん

 「納棺夫日記」に次のような一節があります。

 「蛆(うじ)も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」。

 真夏に亡くなり、遺体にウジが群がっていた一人暮らしの高齢者を納棺する場面。「生きることと死ぬことは表裏一体。『生死一如(しょうじいちにょ)』が伝えたいテーマだった」と青木さん。

 青木さんは、自然界は本来、生死一如だったと言います。だが、人が言葉を持ち、合理的思考が発展するにつれ、生と死を切り離して思考するようになったといいます。

 この思考に青木さんは危うさを感じているといい、「死は頭で考えて分かるものでない。五感で認識するもの」と指摘します。

 「今は生まれてから死ぬまで全部人任せになり、人と人とのつながりや絆が失われている。命のバトンタッチの瞬間は、一番大事なことなのに、今の社会にない」

青木新門『納棺夫日記 』(文春文庫)

息子を亡くした母親の言葉

 私は、日本人28人が犠牲になった2011年2月のニュージーランド南部地震で、語学研修中だった息子(当時39)を亡くした母親を取材したことがあります。その母親は「生の中に死があるんですね。そんな当たり前のことに気づいていませんでした」と話していました。

 誰かが死を迎えたり、誰かの死の可能性に気がついたとき、人は様々なことに気づかされるのだと思います。認めたくない感情や、目をそむけたい事実に向き合わなければならないこともあるかもしれません。ですが、それが自分の生を見つめ直し、日々を生きて行くことにつながると思います。

 大事な人の最期に向き合い、気持ちを受け止め、人生を歩んでいける人でありたい。また、そうした社会であってほしいと思いました。

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