連載
#3 ある納棺師の日々
「納棺師」それでも続ける理由 死は「けがらわしい」ものじゃない
映画「おくりびと」で、夫の職業が納棺師だと知った妻が「けがらわしい」と手を振り払う場面がある。同じ納棺師として働く富山市の鳥羽みゆきさん(43)も、高齢の遺族の家へ納棺で訪れると「この人はなぜ、こんな仕事をしているんだ」という目で見られることもあるという。多くの死に接してきた鳥羽さんに、それでも納棺師を続ける理由を聞いた。(朝日新聞富山総局記者・吉田真梨)
鳥羽さんにとって「死」はけがらわしいものではなく、誰にでも訪れるものだ。災害や事故で、昨日まで笑っていた人が突然死ぬ。当たり前と思っていた「生」は当たり前ではなく、自分もいつ死ぬか分からない存在であるという思いが根底にある。
鳥羽さんが大切にしていることがある。それは「体がある限り、同じ人間」という思いだ。費用を抑えた葬儀では、遺体をそのまま棺に入れるだけの葬儀社もある。だが、鳥羽さんはお金や身寄りの有無などに関わらず、できる限りの処置をして、火葬の直前まで整った状態を保つ。
寝ている布団が薄かったら「体が痛いだろうな」ともう一枚布団を敷く。抗がん剤治療でまつげが抜けてしまった若い女性には、その人にあったつけまつげをつける。最後まで尊厳を守り、胸を張って旅立てるように最善を尽くす。
自ら命を絶つ人もいる。生きたくても生きられなかった人も見てきたから「自殺はだめだ」と思う。
一方で、他人には分からないくらい追い込まれ、苦しみながら、命を絶つ直前まで生き抜いた勇気にも思いをはせる。
自死の現実を理解できない残された家族にも、納棺までの過程を見つめ、きちんと顔を見て、お別れをしてほしい。そして自死を選んだ人が、どんな気持ちで生きてきたのか気づいてあげてほしい。そう思いながら納棺の儀式を進める。
「自分自身を受け入れてもらえないことは、苦しくて、切ないからね」。幼い頃からの自身の経験から、そう思う。
多くの死に接して気づいたことがある。
「資格や財産、地位や名誉……。努力して得たものかもしれないけれど、それより大事なものを知っている人は強い」
大事なものとは「心」。「心一つで何でも乗り越えていけるし、その生き方は最期の顔に現れる。だから自分に嘘をつかず、生きることが大切だと思う」
様々な経験を経て、納棺師になった鳥羽さん。「もっと早くこの仕事に出会っていたら」と思うこともある。色々な技術を身につけ、より良い最期のお手伝いができたかもしれないから。
その一方、こうも思う。「苦しい思いやつらい経験がなかったら、人の気持ちや痛みを受け止め、寄り添うことができただろうか」
逃げずに人生に向き合うことで、ようやく得られるものがある。苦しい時も誰かが見ていてくれているし、乗り越えた先に出会えるものがある。人生に無駄なことは何一つないと思っている。
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