連載
教え子から「死にたい」塾講師やめ僧侶に 「こだわり」捨てる教え
岐阜県に、お寺の住職が主宰する「生きづらさを抱えた人たちの居場所」があります。仏の教えと野菜作りを通じて、「社会で居場所を失った」10代から50代までの人たちに、いま一度生きる力を吹きこんでいます。(朝日新聞岐阜総局記者・山野拓郎)
「おーい、もっとしっかり引っ張って」
5月中旬。岐阜市の枝豆畑に元気のいい声が響きました。枝豆にかけていたシートをはがしていた男性たちには、ある共通点があります。「元引きこもり」。引きこもりからの脱出をめざして、岐阜市の浄土真宗本願寺派のお寺・円成寺を拠点に活動するNPO法人「チュラサンガ」に通っています。
円成寺の住職でチュラサンガの代表の堀無明(ほり・むみょう)さん(79)が、生きづらさを抱えた人たちの居場所作りを思い立ったのは、塾講師の仕事をしていた30年前にさかのぼります。教え子の高校生2人から「死にたい」「学校をやめたい」と告げられました。
知り合いのお寺の住職に頼んで、寺の中に高校を中退した若者が集える場を作り、勉強を教えました。そのうち、若者たちから「お寺で暮らしたい」という意見が出たため、境内に滞在用の建物をつくり、希望者は住み込みで生活できるようにしました。住職に跡継ぎがいなかったため、堀さんが僧侶になって跡を継ぎました。
活動の柱の一つは農業です。引きこもりから脱したあとの生活を考え、体力をつけてほしいという思いがあります。同じ体力強化でも、スポーツではダメなのだといいます。
「スポーツを極めようというのではなく、遊びでやっていても真剣味がない。いつかは飽きてしまう。農業は違う。一生懸命育てれば、頑張った分だけ作物は実る。やりがいを感じて欲しい」
作った野菜は、近くの老人福祉施設で直売します。売るのも利用者自身がします。自分たちが作ったものが売れる喜びも味わってもらう仕組みだといいます。
堀さんのポリシーで、何事も強制はしません。「自分からやりたいと思わないと長続きしない」という堀さんのポリシーだといいます。あくまで自分からやりたいと思うのを待ちます。「昔は親に頼まれて引きこもっている部屋から無理やり引きずり出したこともあった。でもそれは良くないし、第一長続きしない。自分から『自分を変えたい』と思うように仕向けないと」
一方でこまめな声かけは忘れません。部屋から出てきたがらない利用者にも食事の際などさりげなく「調子がよくなったら出てこないか」と声をかけます。
利用者の男性(50代)は、親の介護で離職後、思ったような職に就けず、日中に図書館に行くなどして過ごしていたといいます。「自分では引きこもりだったとは思っていないが、他人から見たら引きこもりってことになるんでしょうね」と話します。
チュラサンガで外に出て畑仕事をするうちに「前向きな気持ちになってきた」といい、チュラサンガに参加する傍ら、新しい仕事を探して就職活動に励んでいるといいます。
国立大学の大学院を出て、非正規の仕事に就いていたという男性(30代)は、職場の人間関係でつまずいて引きこもり状態に陥ったといいます。「野菜がゼロから実るまでの過程を知るのはおもしろい。いままでそんなこと知る機会はなかったから」と話します。
農作業の途中、男性に他の利用者から「まじめすぎる」と声が飛びました。「もっと肩の力を抜いていいんだって、いつも言っているんだけど」
チュラサンガをきっかけに将来の仕事として農業を志望するようになったという人もいます。40代の男性は期間工として働いていましたが、企業から新しい契約を結んでもらえずに仕事を失いました。
「みんなで一生懸命枝豆を作っているうちに、農業もいいな、と思うようになった。お年寄りに野菜を買ってもらって、『おいしかった』と言ってもらえるのがなによりうれしい。新しいやりがいをみつけた。いつかは小さな畑を持って自分で耕せたら」と話しました。
堀さんは、利用者に仏の教えを引用してアドバイスを送ることもあります。その一つが「こだわりを捨てる」こと。仏教用語でいうところの「煩悩」です。
堀さんは、引きこもった人たちがなぜ引きこもってしまったか考えたときに、引きこもりでない人以上にある種の「こだわり」を持っている人が目立つことに気づいたといいます。例えば、大学を出たのに人間関係でつまずいてしまって会社をやめてしまった、そんな自分が許せない、というこだわり。そんな時は、こう伝えるそうです。
「うまくいかなかったということにずっとこだわってしまう。そうじゃない。そういうこだわりを捨て、自分は自分なんだと思えたらやり直せる」
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