連載
#5 山梨フカボリ特集
甲府はウナギの名産地だった!? 肉厚のかば焼き、江戸匹敵のうまさ
突然ですが、山梨県にまつわる話をお届けする「山梨フカボリ特集」を始めました。最後は「ウナギ」についてです。きょうは「土用丑の日」。甲府市のサイトには、「鰻(うなぎ)は甲府の名産だった!?」という記述があります。江戸から明治にかけてウナギ屋が人気で、しかも地元でとれたようです。名残なのか、人口あたりのウナギ料理店の数は全国3位という調査結果も。ウナギはどのように食べられていたのでしょうか? 調べてみました。(朝日新聞甲府総局記者・野口憲太)
早速、近世の甲府の食文化に詳しい、甲府市生涯学習文化課の数野雅彦専門官を訪ねました。
教えてもらったのが、幕末の1850(嘉永3)年に刊行された甲府の生活文化を紹介する「甲斐廼手振(かいのてぶり)」。ウナギは甲斐国の名産で、特に「地前」と称する地元でとれたものは肉厚でおいしかった――と書かれていました。
1885(明治18)年の「山梨県甲府各家商業便覧」には全18軒の料理店が紹介されていました。そのうちウナギ屋は最も多い6軒。各店舗の店構えも絵で紹介されていて、「地前」「大蒲焼(かばやき)」などと表記されていました。
気になるのは値段。今と同じように高価だったようです。
数野さんに尋ねると、現代の価値に換算して、うな重一人前で5千円、並みのかば焼きは1250~1875円程度だったとみられるといいます。接待の場での村役人の弁当代が250円ほどだったそうだから、その5~7倍!
質も高かったようです。1866(慶応2)年の書物「甲州道中記」には、質において江戸と遜色ないという意味の「江戸に焼(やき)候(そうろう)と同じく誠(まことに)宜敷(よろしく)候」と記されています。
ウナギ屋が発展したのは、地元でとれたことだけが要因なのでしょうか。
「『無尽』に代表される会食文化と芸能文化が関係しています」。元県立博物館学芸員の高橋修さん=東京女子大学准教授、近世史=が教えてくれました。
無尽などで大勢が集まる会食文化は古くから山梨にありました。江戸時代の外食はお寺のような施設に人が集まり、職人が出向いて食事を提供したようです。「今で言うケータリングですね」と高橋さん。
江戸中期になると、物流が発展し、商業が盛んになって店舗型の料理屋が出現。比較的簡単に提供できたそば屋と地元で手に入るウナギ屋が多かったとみられています。この時期、現在の甲府市城東2丁目にある教安寺の周辺にこうした店が集中していました。
料理店のさらなる活性化に影響を与えたのが、歌舞伎が上演される芝居小屋の存在でした。
教安寺の境内には、1765年に歌舞伎が上演される「亀屋座」が開かれ、1805年には現在の甲府市若松町に移転しています。規模は江戸三座のひとつ中村座にも匹敵し、「甲府ではやった興行は江戸でもはやる」と言われたほどだとか。この時期は料理屋も亀屋座の近くへと移っていました。
高橋さんいわく、「芝居を見にたくさんの人が集まる。芝居の前後にそば屋やウナギ屋で食事をする。甲府はエンタメとグルメの街だったんです」。
その一端が垣間見えるのが、江戸時代を代表する浮世絵師、歌川広重の日記です。広重は作品の依頼を受けて1841年に甲府へ。現在の甲府市若松町に滞在中、連日芝居を見て、酒盛りをしていたそうです。当時のにぎわいが目に浮かぶようですが、日記にはうな重を振る舞われたことも記されています。
「地前」として知られた甲府のウナギですが、静岡県から運ばれたものもあったようです。ルートは、マグロが当時運ばれたのと同じ、富士山西麓(せいろく)、精進湖、右左口峠を通り甲府に至る「中道往還」だったといいます。
旧上九一色村の村誌には、静岡県沼津市あたりからウナギを運ぶ「カツギ屋」と呼ばれる一団がいて、道中で水をかけながらウナギを運んだとありました。古関(甲府市)にたどり着くころには死んでしまうウナギもあり、安く村民に売りさばいた逸話も紹介されています。
村誌の存在を教えてくれたのは、山梨郷土研究会の林陽一郎さん。林さんは40年ほど前に当時80歳くらいの村民に聞き取りをしました。その村民は若い頃に「ウナギをぶつ切りにして食べた」そうです。おそらく明治から大正にかけての話らしく、江戸に匹敵する質のかば焼きを出していた甲府の料理店との違いが面白い。
老舗のウナギ店に創業当時の話を聞こうと、1887(明治20)年創業とされる甲府市相生2丁目の「武蔵屋本店」を訪ねました。ところが、「空襲で焼けて資料は残っていないんです」と店主の本多慎一郎さん。
同店では毎年夏の「土用の丑(うし)の日」、ウナギ料理を出していません。
代わりに、荒川へウナギを放流する「鰻供養」をしています。本多さんは「稚魚が減るなどウナギの将来が危ぶまれる一方、技術の発達で冷凍でもウナギが食べられる時代。でも、やっぱりウナギは生きたものをさばくのが一番おいしい。時代に合わせながら、そこは大切にしていきます」と話します。
甲府市のウェブサイトでたまたま見つけた「鰻は甲府の名産だった!?」の記事。「せっかくならおいしい取材を。あわよくば経費でうな重を……」と取材をはじめました。
サイトの記事の筆者だった数野さんに話を聞きに行ったほか、先輩記者に話をしたところ甲府市の近世史に詳しい高橋さんが近くシンポジウムで登壇するとのこと。聞きに行くと内容はまさにうなぎのことでした。そんな偶然が重なり、江戸後期~明治期にかけての甲府の街のにぎわいや移り変わりの一端を感じられる取材になりました。
結局自腹ではありましたが、うな重を食べにいったお店にはテーブル上に店主からのメッセージが。「消費量が増える一方、漁獲量が大きく減少している」「ウナギの置かれた状況は極めて厳しい」
ニホンウナギは絶滅危惧種。稚魚のシラスウナギは半世紀前の10分の1にまで減っている。ウナギを巡るこれまでとこれから。そんなことを考えながらほおばった一口になりました。
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