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2丁目でしか新年を迎えられない人々…「多数者」の圧力が生む怖さ
性別適合手術、マンションからの飛び降り……。トランスジェンダーとして経営者として、劇的な日々を生きてきたモカさん(31)は今、「3度目の人生を生きています」と語ります。1本の映画で知った彼女の存在。取材を進める中で見えてきたのは、誰もが少数者になりうる可能性と、居場所がない少数者を生み出す多数者の危うさでした。(朝日新聞記者・高野真吾)
2017年11月上旬、東京・品川で開かれたドキュメンタリー映画の映画祭。
上映された松井至さん制作の「モカは、3度死ぬ」は、13分の映像の中にモカさんの生き様がしっかり描かれていました。
男性から女性になるための性別適合手術を受けるまでが最初の人生。2度目は、マンションからの飛び降りを契機にうつ病を克服するまで。そして、今「3度目の人生」を生きている……。
「3度死ぬ」というタイトルは、決して大げさじゃない。それがモカさんの歩みだと感じました。
性別適合手術やマンションからの飛び降り、鬱病(うつびょう)など、モカさんに聴くのは繊細な話題ばかりです。2017年11月下旬から2018年1月にかけ、主な対面取材だけで計7回、十数時間をかけました。メールや電話でのやり取りも多数に及びました。
直接、記事にはしなかったものの色々なテーマについて語り合いました。
ある日、取材で訪れた自宅のマンション。ベッド脇の壁に多数の小さい紙が貼ってありました。それぞれの紙にはちょろちょろ動く人や教会、お城と城下町のような絵が描かれていました。
「今の私を取り巻く世界を自分なりに整理してみたのですよ」
そこからひとしきり「弱肉強食」の側面を持つ社会と、その中で弱者の立場に立つ人たちの思いや活動について話し込みました。
東京・新宿2丁目で「ここにしか居場所がない人たち」と出会うこともありました。
2018年1月1日午前1時半をまわった頃、2丁目エリアに向かいました。近づくにつれ、人がぐっと増えていきます。お酒を手にした人が路上にまであふれ、歓声が響き渡っています。
モカさんが経営する女装バー「女の子クラブ」の扉を開けると店内は満席、立っている人も多くいました。
「2丁目、すごい人ですね、このお店も」と聞くと、モカさんは「年越しの時は、いつもですよ」と語った後、次のように言葉をつなぎました。
「ここでしか新年を迎えられない子たちが、男女ともにいっぱいいるんだよね。トランス(ジェンダー)だけでなく、他(の性的マイノリティー)も。親に認めてもらえてないと実家に帰れない。うちのお店に来ている子たちも、結構そうだよ」
お店に集まった人たちは午前2時ごろから、そろって初詣に向かいました。
今も性的少数者への偏見は消えていませんが、視線は少しずつ変化しています。
2012年10月、私が同性愛者の結婚に関する法律づくりに携わったオランダの元議員の記事を書いた時のことです。その書き出しを「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの英語の頭文字をとって『LGBT』と呼ぶ」としました。まだまだLGBTという単語の認知度が低く、基本的な説明を必要としました。
今はドラマや映画の中では、キャラ化していない性的少数者の等身大の姿が徐々に描かれるようになっています。2018年1月から放送したNHKドラマ「女子的生活」。主人公はトランスジェンダーで男性として生まれ女性として生きており、その日常を描いています。
2017年に公開された「彼らが本気で編むときは、」(荻上直子監督)の主人公も、同じくトランスジェンダーでした。
男性に生まれ女性として生きるトランスジェンダーがメディアに出る場合は、「おネエ系」タレントが長らく目立つ存在でした。
モカさんやモカさんのお店に出入りするトランスジェンダーを知ると、実際は「おネエ系」一色でないことはすぐに分かります。
今月上旬、モカさんは自殺問題を取り上げる民放のテレビ番組に出演しました。マンションから飛び降りた経験が紹介されましたが、トランスジェンダーであることには触れられていませんでした。
モカさんが追い込まれた原因は、性自認ではありません。その番組がきちんと切り分けて、一人の女性として取り上げたのは当然とはいえ、適切でした。
性的少数者の話は、多数者にとって無関係ではありません。
カミングアウトしていないだけで、学校、職場、地域など、あなたの身近に性的少数者がいるかもしれません。何げない言葉が、カミングアウトしにくい原因になっている可能性だってあります。
子どもがそうした告白をしてくることもあるでしょうし、親や兄弟が「やっぱり男性として生きたい」「改めて女性として生きたい」と生来の願望を実行に移すこともあるでしょう。
そして性自認や性的指向にとどまらず、ある事柄について自分が「少数者」になることは十分にあり得ます。その時、これまでとは逆に「多数者」からの圧力にさらされるのは自分です。誰もがその可能性を持っているのです。
モカさんを通して「少数者」の存在に触れるほど、居心地がよく、安心できる「多数者」の危うさを知りました。
性的少数者と社会の関係について、モカさんは次のように語っていました。
「性的少数者が生きやすい社会は、多数者にも風通しのいい社会につながるはずです」
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