連載
#3 理想の貧困
メディアが作る「理想の貧困」 当事者を傷つける「テンプレの物語」
満足にご飯も食べられないけれど、家族を助け、けなげに働き、進学をあきらめる――。メディアが報じる「子どもの貧困」って、どこか似ていませんか。「子どもの貧困」と一口に言っても、子どもたちの性格、環境は多様です。なのに、なぜ、ストーリーは似るのでしょう。子どもの貧困を報じるメディアについて、当事者たちの不満を聞いてみました。(朝日新聞東京社会部記者・原田朱美)
集まってもらったのは、首都圏の大学に通う男女5人。
アオイさん(大学2年)、ミユさん(大学2年)、ユウタさん(大学4年)、ヒカリさん(大学4年)、メイさん(大学3年)。全員仮名です。
5人とも、経済的に苦しい家庭で育ちました。
メディアの「典型的な貧困像」と自分たちとのズレについて、語ってもらいます。
「一般的にわかりやすい貧困だけがメディアに取り上げられている気がする。本当はそれだけじゃないのに」(ミユ)
では、5人が思う「テンプレな貧困報道」とは、どんなものでしょう?
「高校生は、バイトをめっちゃ掛け持ちして頑張る子。大学生は、風俗で学費を稼ぐ子」
「弟や妹を支えるために頑張ってバイトして、自分は進学をあきらめる高校生」
「食べるものがなくて草を食べる」
「夢に向かってけなげに頑張る子」
「シングルマザー。母子家庭だけど、支え合って頑張っています」
私(記者)は、今まで何度か子どもの貧困を取材してきましたが、必ず当事者や支援団体から、「極端な事例だけを取り上げないでください」と言われます。「分かりやすい貧困」「極端な貧困」に報道が偏ることで、「貧困とはこういうもの」という誤解につながるからです。
日本の子どもの貧困率は13.9%ですが、そこまで極端ではない貧困家庭も多く存在します。生活レベルは、家庭によって様々ですし、子どもたちが抱える悩みも、ひとりひとり違います。
たとえば、先ほどのテンプレに挙がった「風俗で学費を稼ぐ」について、考えてみます。
メイさんは、風俗で学費を稼ぐということに、強い拒否感を示しました。
「そこに踏み込んだら、背負うものが増えるし、私は『その世界』から抜けたくて必死で勉強して大学に入ったのに」
メイさんは、両親と姉の4人家族です。中学の時に父が仕事を辞め、それからはあまり働いていません。母はパートに出ましたが不安定で、生活費や学費のかなりの部分を借金でまかなっていたそうです。
「両親ともに、社会のグレーな人たちに近くて。昔から母は『社会勉強のためにキャバクラもやってみた方がいいわよ』と言っていました。母は少し水商売をしていたことがあるらしいです」
「私が高校生になった時は、『JKビジネスとかやればいいのに。なんでやんないの? やらないのはあんたのプライドでしょ?』って、めっちゃゴリ押しされて。性的な描写があるテレビ番組を『見ておいた方がいいわよ』って見させられたこともありました」
「それが本当に嫌だったんです。だからなのか、性的なものを仕事にするということに、強い嫌悪感を持っています。絶対に『この世界』から抜け出して、カタギになりたいと思って、好きでもない勉強を頑張って、学校にしがみついていました。大学に入れば、社会の『まともな側』に入れるんじゃないかと思って」
(念のため書きますと、メイさんは昔も今も「カタギ」です)
メイさんが大学1年になった冬、両親は、ふくらんだ借金返済のために家を売り、風呂トイレ一緒の部屋に引っ越しました。4人でひとつの布団に寝る生活です。
母は、家ではスマホゲームにのめり込み、会話ができません。父はメイさんの存在を無視し、話しかけても無反応。姉は精神を病んでいました。
メイさんは、外出先から家に帰る時、吐き気をもよおしたり、泣いたりするようになりました。いまは実家を出て、大学の近くでひとり暮らしをしています。
生活費はバイトでまかなっています。あまり余裕はありません。でも、もし自分が風俗で働いたら、「なんのために今まで必死で頑張ってきたのか」と、崩れてしまいそうなのだと、メイさんは言います。
「メディアに取り上げてもらえる子って、『清貧』ですよね。清くてけなげなのに、風俗に手を染めてしまうっていうパターン。私の家は、もうどこから『テンプレ』とずれているのか、説明もできない」
ひとつ強調しておきたいのは、風俗で学費を稼ぐ人が悪いわけではないということです。「それしか道がなかった」という人は、少なくないでしょう。「正しい」「間違い」と評価するものでもありません。
ここで考えたいのは、メイさんの事例からわかるように、現実は多様で複雑なのに、報道内容が似ているのではないか、という点です。メディアには文字数や放映時間など制約もありますが、取り上げ方が画一的になることでこぼれ落ちてしまうものも、あるのではないでしょうか。
ミユさんは、似た環境で育ち、仲が良いという友だちが、風俗で働いています。
「親にも黙って働き続けているのは、すごいと思います」
ミユさんもガールズバーの求人を探したことがありますが、思いとどまりました。母と弟の3人家族で、ミユさんは首都圏の私大に通い、ひとり暮らし。弟は今年大学受験を控えています。
母の収入は月20万円ほど。ミユさんはバイトをして足りない生活費を補っています。
水商売や風俗で働かなくてもやっていける生活なら、余裕があるのではないか。そんな指摘をする人が、いるかもしれません。
「それって、極端な貧困じゃないと、支援されないってことですよね。よくない表現だって分かっているけど、いっそもっと極端に貧困だったら良かったって何度も思いました」
ミユさんは、苦しそうに、そう言いました。
もちろん、極端に貧困な子が、どれだけつらいのか、わかった上です。世間から、自分の苦しさを理解してもらえない、その痛みが、こうした言葉になっています。
まだ「子どもの貧困」が社会に知られていなかった時は、伝えるために「分かりやすい事例」が必要だったかもしれません。
ただ、子どもの貧困を報じるメディアは増えました。いま、報道内容の偏りが、当事者の新たな不満を生んでいます。当事者たちが口にする「取り上げてもらえる人」「もらえない人」とは、なんなのでしょう。
5人の会話に戻ります。
「前にあるメディアの取材を受けた時、私が話した内容が変なふうに並び替えられて、しゃべってもいないキレイなストーリーになってたことがある。『進学したいと頑張って勉強をしていたら、祖父母が支援をしてくれて、大学に行けました』みたいな。そんなのひと言も言ってない」(アオイ)
「うーわ、ひどっ」(全員)
「かわいそうって見られたり、きれいな成功ストーリーにされたりっていうのは、消費されてる感があって、不快。いまはそんなに積極的に取材を受けたくはないかな」(アオイ)
昨年、中日新聞が子どもの貧困を取り上げた連載で、架空のエピソードを書き足すという事件がありました。
登場人物は、病気の父をもつ女子中学生。
<冷蔵庫に学校教材費(800円)の未払い請求書が張られている>
<部活の合宿代の1万円が払えず、みんなと同じ旅館に泊まるのをあきらめた>
付け加えられたのは、こうした描写でした。
社内調査に対し、記者は「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」などと説明しました。
この事件ほど明かな捏造(ねつぞう)ではなくても、「よりかわいそうに、よりけなげに演出された」という貧困当事者らの声を、私は何度か聞いたことがあります。
「そういえば、取り上げられるのって女子が多くない? なんで?」(ミユ)
「たしかに。『女性は助けて守ってあげなければ』っていう社会通念かなあ?」(ユウタ)
「『貧困家庭で育った東大生が子どもを支援』とか、有名大学だからスポットを当てるのもやめてほしい。早稲田、慶応、医学部とか。すごい人たちだと思うけど、ヒーローみたいな人にばかりスポットライトが当たりすぎ。多くの人はそんなにすごくなれない。頑張れない人を、すごい人の水準にまで引っ張ろうとしないでほしい」(ヒカリ)
たしかに「頑張れない子」は、あまり報道されません。
最後に、私(記者)を含めたメディアに対して、「もっとこうしてほしい」という要望を、聞いてみました。
「うーん、でも、メディアって読者とか視聴者とか、情報の受け手にウケるようにっていう発想があるから、きっと、テンプレなエピソードじゃないと社内で通らないんだろうなって思っています。事実を書きたいのか、売れるものを書きたいのか、メディアがよくわからない」(ヒカリ)
「よりこの問題が伝わるためにこうしてるのなら、仕方がないんですかね」(ユウタ)
当事者を、報じる側のある種の理想的な形に押し込み、当事者を傷つけてまで、ウケるからと記事を書くことは、間違っていると私は思います。「仕方がない」ことでは、ありません。
それによって読者に伝わるものは、問題を解決するために必要なこととは限りません。
「むしろメディアってそういうものだと思っていた」という5人の言葉は、いかに私たちメディアが当事者たちを傷つけてきたのか、その証拠のようで、苦しかったです。
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