連載
#1 理想の貧困
「理想の貧困」に苦しむ…リアル当事者 スマホもライブもダメなの?
貧困当事者だという人を「お前は貧困じゃない」と批判する「貧困たたき」で、ずっと気になっていることがあります。たたく人は、頭の中に「これが貧困だ」というある種の「理想」があって、それに当てはまらないから怒るわけですよね。でも、その「理想」って、正しいのでしょうか? 貧困家庭で育った若者たちに、話を聞きました。(朝日新聞東京社会部記者・原田朱美)
集まってもらったのは、首都圏の大学に通う男女5人。
アオイさん(大学2年)、ミユさん(大学2年)、ユウタさん(大学4年)、ヒカリさん(大学4年)、メイさん(大学3年)。全員仮名です。
5人とも、経済的に苦しい家庭で育ちました。
日本の子どもの貧困率は、13.9%ですが、この5人が育った家庭の生活水準も、「貧困」と呼べるレベルです。
「理想の貧困」と現実の自分たちとの違いについて教えてほしいとお願いしたところ、「いろいろ言いたいことがある」と、来てくれました。
ではまず、世間的な「理想の貧困」って、どんな見た目なのでしょう? 5人に聞くと、こんな返事でした。
「ホームレスの子ども版」
「服が破れていたり、汚かったり、みすぼらしい」
「飢えて草や段ボールを食べる」
「風呂に入っていない」
「ぱっと見て『貧困だ』ってわかる」
つまり衣食住にも事欠く、命の危機に直結するような状態です。
一方、5人の外見は、ごく普通です。服は破れていませんし、汚れてもいません。
ヒカリさんは、「服はいま安く買えますからね。むしろ貧困だとバレないように他人に見える部分は気をつかいます」と、言います。
もちろん、「見てすぐわかる貧困状態」の子もいます。そういう子たちが置かれた状況は深刻で、いち早い支援が必要です。ただ、現実の貧困層には、そこまで極端ではないけれど、生活に困っている、という人たちも多く存在します。
私(記者)は、今まで何度か「子どもの貧困」の取材をしたことがあります。以前、支援者のひとりが「貧困って、見た目ではわからないんですね」と、こぼしたことがありました。
「理想」と現実とのずれは、見た目から始まっています。
こうした「理想の貧困」のイメージを、5人は、どう思っているのでしょう。
「極端じゃない貧困は見えづらいから、支援が薄いよね」(ミユ)
「要するに、生命維持に必要がないものを持っていたら、『貧困じゃない』ってたたかれると思う」(ユウタ)
「ゲームとか、芸能人のポスターとか、ダメだね」(ヒカリ)
「外食とか飲み会も」(アオイ)
昨年、NHKの番組に貧困当事者として出た女子高校生が「貧困たたき」にあいました。「千円のランチを食べていた」「家にアニメグッズがたくさんある」などが、貧困ではない証拠とされました。
「千円ランチって、友だちと食べてたらそのくらいの値段になっちゃったことはあるよ。会うと必ず『今度ご飯行こう』って話になる子もいるし。それ以外のところで節約してるだけ」(ミユ)
「友だちに誘われて、『お金がないから行けない』って言う勇気ないな」(アオイ)
「相手に気をつかわせるし、言ったら二度と誘ってもらえなくなる。まあバイトで忙しくて物理的に無理っていうことも多いけど(笑)」(ヒカリ)
「NHKの件は、いかにも『悲惨な暮らしなんです』っていう演出をしたメディアの責任もあると思う。散々、悲惨なんですっていう見せ方をしたあとで、アニメグッズとか千円ランチとか出てきて『違うじゃねーか』ってなっちゃった気がする」(ユウタ)
「去年の貧困たたきを見ていて、『あ、私もジャニーズのコンサートに行ったな。たたかれるのかな』って思った。1回4~5千円だけど、誕生日プレゼントとかで特別に行かせてもらったりすることはある。芸能人のポスターを私も部屋に貼っていたけど、雑誌の付録だから数百円しかかかっていない」(ヒカリ)
「うちは、両親の稼ぎが少なすぎて、祖父母から支援を受けている。おばあちゃんが用意してくれた一軒家に住んでいるけど、家だけ見たらたたかれると思う。でも、いちいち説明するのは面倒だし」(アオイ)
「生活のすべては見えないし、こっちも言わないしね。むしろ、いちいち説明をしてたら『貧困アピール』って引かれちゃう(笑)」(ユウタ)
ぜいたく品の象徴とされやすいもののひとつが、スマホ(携帯電話)です。
5人は、全員持っています。「むしろインフラとして必須」とユウタさん。数件のバイトをかけもちしているユウタさんにとって、職場との連絡手段としてスマホは欠かせません。
ひとり親家庭の場合、家に子どもだけでいることも多いので、緊急連絡用としても必要です。他の取材で、「母親が働きづめで、ゆっくり話す時間がないから、LINEでの会話を大事にしている」という声も聞きました。
実は、「経済的に苦しい世帯の方が、子どもの携帯電話の所持率が高い」というデータもあります。
昨年度、滋賀県彦根市が市内の小学5年生と中学2年生の生活実態を調べたところ、「子ども用の携帯電話・スマートフォンを持っていない」とこたえたのは、経済的に苦しい世帯の子どもが33.8%。他の世帯の子どもは47.2%。つまり、苦しい世帯の子の方が、携帯電話を持っている、という結果です。
(この調査での「経済的に苦しい」は、「過去1年間にお金がなくて家族が必要とする食べ物や衣服を買えないことが1回以上あった」と、こたえた世帯です)
少ない収入をどこに投じるのか、家庭によって様々です。借金をして、無理な出費を続けていることもあります。私は、子どもの貧困を取材していて、「○○を持っている」は「貧困ではない」ことの証拠にならないなと、痛感します。
世間的な「理想の貧困」のイメージは、当事者たちをも縛ります。
ミユさんは「ずっと、自分が貧困当事者だと思っていなかった」そうです。
それは、飢えて草を食べるといった「理想の貧困」状態ではなかったから。
「貧困ってアフリカの話だと思っていました」
小学生のころ、父親が働かなくなり、離婚。貯金もなく、母親の月20万円ほどの収入だけで、弟と3人が暮らしてきました。草を食べたことはないですが、「8本入り100円のスティックパンが朝食と昼食」だったそうです。ふとのぞいた母の携帯電話のメールには、「お金を貸してほしい」と書かれていました。
高校3年の時、偶然、子どもの貧困問題に取り組む団体のイベントに参加し、貧困当事者の話を聞いたとき、「自分にもあてはまることが多い」と気付きました。
ミユさんは戸惑いを打ち明けてくれました。
「ショックでしたよ。自分の中で貧困=極端っていうイメージが強かったから、『私も、それなの?』って。自分が貧困当事者だって、知らなかった方が良かったと思う時もあります。今でも、私が当事者として語っていいのかなって、思います」
実は、ヒカリさんとアオイさんも、同じことを言っていました。
ヒカリさんの言葉です。
「飢えてティッシュを食べたことはないし、生活保護を受けていたわけでもないのに貧困を語っているって知られたら、引かれるだろうなって思う。『高校生の頃、学費をバイトで稼ぎました』っていう、いかにも可哀想なストーリーを人に話す時、心の中で『でもお前、ゲーマーじゃねーか』って自己ツッコミを入れてしまう」
ヒカリさんの父は、夜は仕事でいないことが多く、姉とふたりで家にいることが多かったそうです。「たぶん父は、自分が相手をできない代わりに、私にゲームを与えていたんだと思います。でも家にゲームがあるって、たたかれるでしょうね」
子どもの貧困を支援する団体に取材をすると、「自分が貧困当事者だとは思っていなかったという子は、かなり多い」と聞きます。「自分は支援されるべき対象ではない」と、当事者たちも思い込んでいるということでしょうか。
そんななか、当事者たちのリアルな声は、子どもの貧困問題を知ってもらい、解決に導くために欠かせないものです。しかし、昨年の一連の「貧困たたき」以降、高校生や大学生ら、貧困の当事者がメディアに出ることを控えた団体もあります。
この記事もまた、5人の安全を考え、顔と名前を伏せました。
「理想の貧困」状態にある人しか、貧困を語れない。語ったら批判される、という空気の中で、「困っている」「助けて」という言葉をのみ込む当事者たちがいるとしたら、「理想」は、とても罪深い存在ではないでしょうか。
そして、「極端な貧困」か「極端ではない貧困」か、偏った光の当て方をしたり、さらには対立したりすることは、どちらの子どもも傷つけてしまう気がしてなりません。
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