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#4 ことばマガジン
年の瀬の「瀬」ってどういう意味? 借金清算「最大の攻防」の時
今年も残すところわずか。年の瀬が押し迫ってきました。この「年の瀬」、12月になると「年の暮れ、年末、歳末」を指す言葉としてよく使われますが、なぜ「瀬」を使っているのでしょうか。「瀬」が付く言葉をたどりながら、その意味に迫ってみました。(朝日新聞校閲センター・町田和洋/ことばマガジン)
「瀬」は、さんずいへんが付いた水に関係する語で、川の流れに由来しています。
国土交通省の「河川用語集」を見ると、「流れが速く浅い場所を瀬、その前後で流れが緩やかで深いところを淵と呼びます」とあります。瀬と淵は、対義語というわけです。
水の流れは、場所の断面積が狭ければ速くなり、広く深い場所では緩やかになります。流れが速いのが「瀬」ですが、「浅瀬」ならば、人は立って渡れることもあります。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。急流にのまれ、もう助からないと思い定めた末、流れに身を任せていれば、思いがけず浅瀬にかかって命拾いすることもあることをいいます。「瀬」は、身を捨てて見いだす起死回生の活路や場所ということになります。
逆に、「立つ瀬がない」というと、安心して立てる浅瀬がない、拠って立つ場所や立場がないことを言います。
「瀬」の字をよく見るのは「瀬戸内」でしょうか。この「瀬戸」は、陸地や山にはさまれ狭くなっている海峡や谷、川の瀬の幅が狭い所です。
語源辞典によると、古くは「狭門(せと)=狭い門」と書いたようです。
「瀬戸際」となると、狭い海峡と外海の境のこと。流れが速く、波も変わりやすくて、船のかじ取りを誤れば命にかかわる分岐点です。そこから、成功するか否かの分かれ目のことを言います。
男女が人目をしのんで会う機会のことは、「逢瀬(おうせ)」といいます。
逢瀬はもともと、川の流れの出合いを指す言葉。公然と会えないからこそ、貴重な時間で、過ぎるのが速く感じられるのでしょう。
平安時代の崇徳院(1119~64)の短歌「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢(あ)はむとぞ思ふ」も、流れの速い川にたとえて未来の逢瀬をうたっています。鴨長明(1155?~1216)は「ゆく川の流れは絶えずして……」と、川の流れに時と世の流れを重ね合わせました。
このように、「瀬」の流れの速さは、時の流れの速さを連想させます。「年の瀬」は、一年最後の一番忙しい時期を呼ぶ言い方として使われるようになりました。
江戸時代、大みそかは、つけ払いが多かった庶民にとって、盆と並ぶ借金清算の最大の攻防の日でした。
井原西鶴(1642~93)の「日本永代蔵」には、「借銭の淵をわたり付(つけ)て、幾度(いくたび)か年の瀬越(せごし)をしたる人のいへり」と、危うい思いをして年末を乗り切った人が語る場面があります。
年末のこの清算期が「年の瀬」と言った時期だったようです。しかし、後ろに「迫る」「近づく」などの言葉が付くことで、「年の瀬」が使える期間がより広くなったようです。
ちなみに、「迫る」も「狭い」に通じていて、空間や時間の隔たりが小さくなり、時期や期限が近づくという意味があります。
NHK放送文化研究所によれば、年の瀬が「押し迫る」は年末が近づいていることを指し、「押し詰まる」ならさらに年末(12月末)が間近になったことを指すとして、放送で使い分けているそうです。
いろいろな問題が山積みだった今年も暮れてゆきます。清算せずに将来に「つけ」を回しても、一歩踏み外せば「淵」に落ちる、危うい「瀬」にいる状態に違いありません。
今年のことは今年のうちに、の心がけも大切ですね。
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