連載
#3 ことばマガジン
「真田丸」まるくないのに、なんで丸? 三谷さんの込めた思い
今年のNHKの大河ドラマ「真田丸」が、いよいよクライマックスを迎えます。「真田丸」というのは大坂城の出城の名前ですが、どうやら丸い形だったわけではないようです。なのに、なぜ「丸」と付いているんでしょうか。(朝日新聞校閲センター・岡田宏康/ことばマガジン)
ドラマ「真田丸」の主役は、堺雅人さん演じる真田信繁(幸村)です。大阪市天王寺区には、信繁にまつわる遺構や寺社などがあります。
その中のひとつが、今年建てられたばかりの「真田丸顕彰碑」。真田丸の解説文に加えて、大坂の町の絵図、大坂の陣の図屛風(びょうぶ)や陣立図が描かれています。
それを見ると、真田丸が半円状になっています。形については異説もあるようですが、円形ではなかったとみられます。
ではなぜ、「丸」なんでしょう。日本や世界の城郭に関する研究、調査などをしている公益財団法人日本城郭協会理事の加藤理文さんにうかがってみました。
城内で、機能や役割によって区画されたひとつの区域を「くるわ」といいます。「くるわ」とは、一定の地域をその周囲と区別するために設けた囲いのことです。中世では「曲輪」、近世では「郭」とも書かれました。
くるわとは丸いものだという考えから、近世の城では「丸」の字があてられるようになったようです。この「丸」は、城内の建造物にも使われます。最も主要なものであれば「本丸」、その外側にあれば「⼆の丸」、西にあれば「西の丸」。城内から突き出ていれば「出丸」となります。
丸い形だから「丸」というのではなく、信繁が大坂城の南に突き出すように築いた出丸なので、「真田(出)丸」になったと思われるそうです。
加藤さんは、「元来、真田氏は甲斐を本拠とした武田氏の配下だった。武田氏が城を築くときによく用いるもので「丸馬出」という半円形の曲輪がある。丸馬出は、外側の囲いから突き出るように築かれた。武田氏配下の真田氏が築いた、大坂城の丸馬出だから、『真田丸』と呼ばれた」という説も紹介してくれました。
江戸時代の軍学(戦術などの研究をする学問)の書物には「曲輪は丸く造るべきだ。なぜなら円形は⾯積が広いわりに外周が短いので、守備に有利だからだ。円形だから曲輪といい、何々丸と名付ける」と書かれているものもあるそうですが、この説はあてにならないとのことでした。
ところで、ドラマの作者・三谷幸喜さんは、朝日新聞に連載しているエッセー「三谷幸喜のありふれた⽣活」で「『真田丸』は、信繁が築いた砦(とりで)の名前だが、真田⼀族を、戦国という海を渡る船に例えてもいる」と書いています。
言葉がたくさん収録されている「日本国語大辞典」によると、「丸」は「まろ(麻呂)」が変化したもので、種々の名称の語末の構成要素として用いられます。「人名、特に幼名(蟬丸、牛若丸など)」「刀・楽器、その他の器物(抜丸〈太刀の名〉)」「船の名(つき丸)」などです。さらに、名前につけることによって、親愛の意を表すともあります。
船の名前につけられる「丸」について、第9管区海上保安本部の海の相談室にうかがいました。
相談室が編集した「海の豆知識」によると、船に「なになに丸」と付けて呼ぶ習慣は古くからありました。日本人が海外に盛んに乗り出すようになった今から600年前の室町時代には、名前に「丸」を付けた船がたくさんあったようです。外国では、日本船を「マルシップ」と呼んだりもするとのことです。
戦国の海を進んできた「真田丸」が行き着く先は――。ドラマの結末が楽しみです。
1/16枚