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禁断のビニ本、発祥の店はいま・・・月130万冊発行した時代も
かつて、きわどい描写の女性ヌード写真集として一時代を築いた「ビニール本(ぼん)(ビニ本)」。そんなビニ本発祥の店が神保町にあります。
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かつて、きわどい描写の女性ヌード写真集として一時代を築いた「ビニール本(ぼん)(ビニ本)」。そんなビニ本発祥の店が神保町にあります。
かつて、きわどい描写の女性ヌード写真集として一時代を築いた「ビニール本(ぼん)(ビニ本)」。インターネット全盛の現代、その存在は忘れ去られつつあります。そんなビニ本発祥の店が神保町にあります。全盛期には、自社ビルの建設費もあっという間に稼いだそうです。「ビニ本」の歴史を振り返ります。
「ビニ本」は、ポリ袋に入れられたアダルト本の総称です。その中でも普通の書店には並ばない、きわどい描写の女性ヌード写真集を指します。立ち読み防止のためポリ袋に入れられました。発祥は神保町といわれています。一部の古書店に1970年代半ばから出回り、1979年に爆発的ブームになりました。
1980年9月19日号の週刊朝日によると、当時、出版社が30~40社あり、新作は月120冊ほど、発行部数は月計130万~140万冊と推定しています。
ブームとともに、「ビニ本」は過激さを増していきました。うっすら見えるだけだったヘアは、下着の素材が薄くなるにつれてはっきり見えるように。局部を隠す素材が、ぬらしたティッシュ、セロハンへと過激さを極めたところで、警察の取り締まりが入ります。そして、1980年代半ばにはビニ本の新作はほぼなくなります。かわって生まれたのが、発行元、印刷所が不明の地下出版物である「裏本(うらぼん)」で、新宿・歌舞伎町で売られるようになりました。
神保町にある「芳賀(はが)書店」は、最初にポリ袋に入れて売り始めた書店とされています。販売を決めたのは現会長の芳賀英明さんです。芳賀書店は1936(昭和11)年、巣鴨で創業。空襲で被災し、戦後の48年に神保町で再出発しました。出版部門も抱え、1967年には劇作家寺山修司の評論集「書を捨てよ、町へ出よう」を出したこともありました。
芳賀さんが働き始めたころ、売り上げは低迷していました。脱却の糸口として目を付けたのがビニ本でした。狙いは的中。取次会社を経た本の場合、書店の利益は価格の1割でしたが、出版社が直接納めるビニ本は4割が利益になりました。1億円に満たなかった年商はすぐに3億円になり、80年代半ばには最高の24億円に。80年完成の8階建て本店ビルの建設費5億円をあっという間にまかないました。
「ビニ本」ブームが去った後、家庭用のビデオが普及。さらにインターネットの登場で、アダルト業界は一変しました。現在の芳賀書店の売り上げの中心はアダルトDVD。書籍の売り上げは2割程度です。芳賀書店の年商は最盛期の7分の1に減りました。出版部門は活動停止状態です。
それでも現社長で妻の紀子さんは前向きです。
「地方からもお客さんが来てくれています。ビニ本全盛期からのお客さんも多い。もう一度時代の流れをつかまないとね」