IT・科学
「津波映像は、もういい」 NHK中の人が感じたツイッターの集合知
「ツイッターのウォッチは、災害報道に欠かせない」。そう話すのは、東日本大震災時のNHK生活情報部のアカウント(現在はNHK生活・防災 @nhk_seikatsu)でつぶやき、いまも発信を続ける現NHK報道局ネット報道部の山下和彦チーフ・プロデューサーだ。ツイッター誕生から10年。震災をきっかけに、ソーシャルメディアを使い始めた災害報道は今、どう変わってきているのかを尋ねた。
――震災時のツイッター発信は、反響が大きかったようですね。
「生活情報部ツイッターは2011年3月4日に始めたのですが、最初はフォロワーが200人程度でした。震災後は最初の1週間で8万人まで増え、ニーズを感じました」
「当時は、津波が押し寄せてきたような衝撃映像はもう流さなくていいとか、炊き出しや物資配給のある場所とか、空いている病院はどこか、などそういう情報をもっと欲しいという声が寄せられました。要望、批判を含めた反響は全部メモにして上に伝えました」
――どんな状況でつぶやいていたのですか。
「帰宅困難者、余震、長野の地震があり、次第に津波の被害や原発事故の深刻さがわかってきて、とても帰れませんでした。テレビを見られない人もいると思ったので、1週間家に帰らず、仮眠をはさみながらも、1日に最大200ツイートをつぶやき続けました」
――どんな発信が多かったのですか。
「私は生活情報部のアカウントで、ライフラインや停電が何時からという情報をだしていました。NHKではほかの部局にもアカウントがあるのですが、フォロワーが多い広報局の担当者は取材部局ではないので、被災者を励ますようなゆるいツイートやニュースをわかりやすく伝え、科学文化部のアカウントは、担当の原発について発信していました」
「震災前から各アカウントを運営している担当者はお互いに知っていて、日々情報交換をしていました。震災後はどの情報を発信するかは、自然に役割分担が生まれ、あとはお互いのツイートをリツイートしていました」
「避難して心細くなっていた人たちもいて、呼びかけは重要でした。人間味のある呼びかけというのはツイッターならではなので」
――ツイッターで得た情報は、報道や番組づくりにいかされたのですか。
「たとえば震災当日、宮城県気仙沼市は津波後に通信がとだえて現地からの情報が得られなくなっていました。科学文化部のアカウントの運営者は、気仙沼市の危機管理課のツイッターを見つけたので、ニュースで『ツイッター情報では気仙沼では…』と伝えられました。そうやって情報を伝えて、原稿がでてきたら細切れにしてツイッターで流しました。そういう循環ができていきました」
「記者が電話しても、すぐにつながらず、情報がありません、となってしまう時も、ツイッターでは早く情報が得られることもありました。官邸や東京電力も震災後にツイッターをつくり、発信を始めるなど、報道より早く情報が入るようにもなりました。ほかにも支援に向けた動きや、IT企業の取り組みなど、ツイッター上でさまざまな情報を収集し、そこから取材するという流れもありました。震災の現場には入っていませんが、ネットの現場を見ているようでした」
――これまでの取材や発信とはだいぶ違ったのではないですか。
「ソーシャルメディアで災害情報を出すのは、やったことがない未知の体験でした。普通のNHKでの記者業務としては、取材をして、テレビ用に原稿を書いて、製作する人が映像を編集して、アナウンサーが読んでいます。画面とにらめっこしながら、取材をし、ぱっと見てわかる情報を細切れで出す編集をひとりでぜんぶやっているわけです」
――当時は、デマの問題もありました。
「東京大学の早野龍五教授が原発問題についてつぶやかれたり、インフルエンサ―と呼ばれるフォロワーが多い津田大介さんらが情報を整理されたりしながら、デマは誰かが調べて、打ち消して、自然に淘汰されていきました。ネット上の集合知も感じました」
「ほかにも、千葉県市原市で黒い有害な雨が降るというチェーンメールがありました。本当ですか?とツイッターで尋ねられるので、記者に浦安市に問い合わせてもらい、市役所が否定する発表をしたので、それを放送したこともありました」
――課題はありましたか。
「今回は広域災害で、きめ細かく応えられたかというと、そうではありませんでした。一人では限界がありました。半年たった頃、震災の教訓として、ソーシャルメディアを組織的にみて災害迅速報道につなげないといけない、と思い、チーム作りを提案しました」
「2013年にSOLTと呼ばれるにソーシャルリスニングチームが作られました。わたし自身は後に参加しましたが、ツイッターや、ソーシャルメディアをウォッチして、日々は事件事故がおきていないか、災害の時は被害の状況のつぶやきなどを検索し、調べる数人のチームです」
――始めてみていかがでしたか。
「始めたら、工場が爆発した、などの情報をキャッチできました。取材現場に伝えると、知らなかったといいます。手応えを感じました」
――情報が早いのですね。また発信者と直接つながって取材もされていますね。
「ただ気をつけないといけないのは、危なくてつぶやいている場合じゃない時もあるのです。NHKとやりとりするよりも、まず避難してというのが前提になります。安全確保ができたら取材し、放送につなげます」
――ソーシャルメディアを使った取材や発信を広げられていますが、NHKのように伝統的な組織では、取り組むのはハードルが高い面もあったのではありませんか。
「最初はそうでしたが、震災をきっかけに変わりました。そもそも現場に記者がつく前にわかる。ソーシャルが一番情報が早いんです。わたしがキャスターを務めている番組『シブ5時』ではレギュラーコーナーとして、ネット情報を伝えています」
――最後に、今後も災害や防災には力をいれていかれるのでしょうか。
「ソーシャル上の投稿をキャッチし、より早い災害報道につなげていきたいと思っています。震災直前にたちあげた生活情報部ツイッターはいま35万人のフォロワーがいます。先日、このアドレスを変えず、生活防災ツイッターと名前をかえました。ここを見れば災害のときにいろんな情報を出している、という風にするためで、今後も防災情報は強化していきます」
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