連載
#1 意識高い系をたどる
意識高い系、いつから悪口に? 世界不況とSNSが生んだ「炎上」
本来は褒め言葉だった「意識高い系」が、なぜ他人を攻撃する言葉になったのか? 2011年、「意識の高い学生」と呼ばれる面々と、彼らを嫌う学生たちとの討論イベントが企画されました。当時の仕掛け人は「『意識高い系』には、突っ込まれても仕方がない甘い面があった」と語ります。世界経済やインターネットの発展と強く結びついた「意識高い系」の移り変わりをたどります。
LINEの人気スタンプに「意識高い系になれるスタンプ」というシリーズがあります。小生意気なキャラクターが「それ欧米じゃ通用しないよ」といったセリフをドヤ顔で吐いています。アグリー(同意)、エビデンス(証拠・根拠)、コンテクスト(文脈)と、はやりのカタカナ語もたくさん。たしかにいますね、こんな人。
作ったのは、北海道小樽市のデザイナー中村圭一さん(34)です。「意識高い系になれるスタンプ」は、2016年1月末時点でシリーズ計4万5千セットがダウンロードされたそうです。
ここまで広まった「意識高い系」ですが、元になった「意識が高い」とは、本来は褒め言葉です。なぜネガティブに転じたのか、そこには2つの「事件」がありました。
始まりは、常見陽平著「『意識高い系』という病」(ベスト新書)に詳しく書いてあります。今から10年ほどさかのぼる2000年代半ば、就活用語のひとつとして、「意識の高い学生」という表現が使われるようになりました。この時点では「能力が高く、知識も経験も豊富な優秀な人材」といった本来の意味です。企業と学生が集まる就活イベントで、主催する就職情報会社が参画する企業の採用担当者へのアピール文句として「意識の高い学生が集まります!」などと使われていました。
ここで、ふたつの事件が起きます。リーマン・ショックと、SNSの登場です。
08年秋のリーマン・ショックで新卒採用の枠が激減し、学生たちの「意識の高い学生にならねば就職できない」という焦りが強まります。
同じ年にツイッター(4月)とフェイスブック(5月)が相次ぎ日本でのサービスを開始し、学生の間にも広がっていく。「就活のためにSNSで目立とうとする学生が出てきた」と常見さんはいいます。
「意識の高い学生」になるべく、企業のセミナーや著名な社会人の講演会に出向いては、その感想をSNSで投稿する。あるいは、「みんなで就活を乗り切ろう」と学生団体を立ち上げ、就活イベントを開いてSNSで発信する。と、並行して「意識の高い学生」への批判が始まります。
08年のツイッターを調べてみました。現在も削除されていない投稿だけですが、「意識の高い学生」という言葉が含まれるものは4ツイートあります。そのひとつがこれ。日付は08年8月13日です。
〈ビジネス(笑)ベンチャー(笑)意識の高い学生(笑)ビジネスプラン(笑)ビジョナリー(笑)人脈(笑)〉
すでに(笑)がついています。
ビジネス(笑)ベンチャー(笑)意識の高い学生(笑)ビジネスプラン(笑)ビジョナリー(笑)人脈(笑)
— 俺のミームを受けてみろ (@T_Hash) 2008年8月13日
翌09年は約30ツイート。褒める使用法が多いなかに、〈意識の高い学生=自己顕示欲の強い学生〉といった批判がちらほら混じります。
10年になると、批判がぐっと増えます。「意識の高い学生」たちの一部には、「個性のない学生のマインドを(意識の高い俺が)変革する」といった啓蒙(けいもう)的な活動をする人たちがいて、上から目線だと嫌悪されました。
批判は、「意識の高い学生(笑)」「自意識の高い学生」という風に、言葉をもじって嘲笑されるパターンが主でした。
そして11年3月、東京で、「意識の高い学生」と呼ばれる面々と、彼らを嫌う側との討論イベントが企画されます。主催したのは、当時早稲田大学の5年生だった斉藤大地さん(28)です。
斉藤さんは今、IT関係の仕事をしています。「僕の周りでも、『意識が高い』面々にムカつく声がありました。実際の彼らの活動を見たら、自分を大きく見せようとする感じとか、僕はちょっと笑えてきて、彼らをいじるイベントをやったら面白いかなあと」と振り返ります。
「ただ、みんな笑うんじゃなくて割とマジでムカついていて。それは、就活への不安だったと思う。不況で採用が厳しい中、『意識が高い』やつらは早くから積極的に動いている。本当は自分もやらなきゃ置いて行かれると思うけれど、まだ一歩を踏み出せなくて、うまく目立って衆目を集めていたやつらを引きずり下ろしたかったんじゃないか。一方で、『意識が高い』側にも、突っ込まれても仕方がないような甘い面がたくさんあった」。
当時、斉藤さんは「意識の高い学生(笑)」と批判された面々に会い、話を聞きました。他者のためと言いつつ自分のための活動になっていないか、有名人と知り合いであることを自慢しているだけではないのか、といった点を指摘しています。現在の「意識高い系」の批判のされ方と、あまり変わりません。
ちなみに、討論イベントは実現しませんでした。登壇する予定だった「意識の高い学生」が「2ちゃんねる」で大炎上するという事件が直前に起き、全員欠席したからです。
斉藤さんは、当時の「意識の高い学生」への批判を3層構造で説明してくれました。
1「中身も成果もある本当に意識が高い人」
2「意識が高い人をマネしているだけで中身がない『(笑)』が付く人」
3「なにもできずにいる人」
2は1に憧れ、マネをしますが、SNSで言動が丸見えなので、1から「本物ではない」と批判され、それを見た3が2を攻撃するという構図。
「ただ攻撃が行きすぎちゃった。最後は僕も『あいつらも未熟だけど頑張ってるわけだし、一歩踏み出すと大変なんだよ』ってフォローにまわりました」と斉藤さんは苦笑します。
「意識の高い学生」と呼ばれた面々はその後次々にネットで炎上し、過去のSNS投稿を調べられ、個人情報をさらされました。彼らは沈黙し、擁護する声も消えて、そのままネガティブな意味が定着したのです。
あの時批判された人たちに話を聞こうと、何人かにコンタクトをとりましたが、いずれも取材はできませんでした。
当時、社会人の間では自己啓発ブームが起きていました。「会社は潰れるかもしれない。自立して生き残れる人材にならねば」という危機感を背景に、ビジネス本の出版が相次ぎ、セルフブランディング、自分磨き、ライフハックといった言葉がはやりました。
斉藤さんは「『意識の高い学生(笑)』は、社会が求める人材像を素直にマネしただけで、本当に(笑)をつけるべきは、そんな人材像を求める社会の方だったのかもしれない」と振り返ります。
「意識高い系をたどる」は4月2日発行の朝日新聞夕刊紙面(東京本社版)「ココハツ」と連動して配信しました。
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