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「だめかも分からんね」機長の言葉 事故の怖さを知ってほしかった
日航ジャンボ機墜落事故から40年

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日航ジャンボ機墜落事故から40年
520人が犠牲となった日航機墜落事故から40年。いまだに飛行機事故は起こっています。恐ろしい事故の記憶をつないでいくにはどうしたらいいのでしょうか。現地を取材した記者たちがポッドキャストを収録し、語り合いました。(聞き手:wihtnews編集部・水野梓)
事故の生存者はたった4人でした。いったい何が起きたのか――。
事故の時には生まれていない、社会部の増山祐史記者は、JAL(日本航空)の安全啓発センターを訪ねたときに衝撃を受けたといいます。
「グラフィックで分かりやすく事故の経緯が紹介されていました。そこで改めて本当に恐ろしい事故だったんだなと思ったんです。記事でもそんな風に事故のことを振り返れないかと考えました」と話します。
報告書に残されている機長や副操縦士の言葉を、LINEのメッセージのように見せるかたちでグラフィックで表現しました。
操縦がきかなくなっている機体をなんとか制御しようと、同じ言葉を繰り返しているのも伝わってきます。
特に胸が締め付けられるのは、機長の「これはだめかも分からんね」という言葉です。
増山さんは「記事には『怖いと思った』という反響もありました。まさに事故の恐ろしさを伝えたいと思っていたので、届いているんだなぁと感じました」と話していました。
事故から40年を取材した記者のひとり、玉那覇長輝さんは、父と祖父が墜落した123便に搭乗予定でした。
@withnews PART1-520人が亡くなった日航機の事故。父と祖父はその便に乗るはずだった。人ごとには思えない事故をもっと知るため、現場に足を運んだ。 #日航機墜落事故 #御巣鷹 #飛行機#事故 #朝日新聞withnews ♬ オリジナル楽曲 - withnews
当時、父は小学校3年生。日航機墜落事故のニュースを見ていたとき、祖母から「おじぃとお父は、あの飛行機に乗る予定だったんだよ。本当に乗っていたら、今のあんたはいないさ」と言われたそうです。
同様に、123便の搭乗を直前でキャンセルしたという俳優の東ちづるさんにインタビューしました。
東さんはインタビューのなかで、「私がキャンセルしたことで、犠牲になった人がいるかもしれない」という自責感と恐怖に襲われたと語ってくれました。
玉那覇さんは「東さんは遺族への思いもあって事故について語ることはなかったそうですが、事故への風化も痛感したそうです。忘れないでほしいと、言葉を選びながらインタビューに答えてくれました」と話します。
40年の間に、御巣鷹の尾根は、事故の遺族や関係者だけでなく、東日本大震災の被災者や死別を経験した人たちが「つながる場」にもなっているそうです。
事故から40年が経って、事故当時を知る社員も減って、遺族や関係者も高齢化しています。
朝日新聞社内でも、事故当時を取材した記者たちの多くは退職しています。
withnews編集部の川村さくら記者は、「事故を知らない私たち世代が学びながら取材して、事故を知らない若い世代に伝えていくことが大事だと思いました」と話しています。