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妻と愛犬を失った62歳 傷癒やしたのは520人が事故死した「山」

「山を下るときが好きなんだよ。後ろにね、いるの」

恭子さんに体を寄せる板さん
恭子さんに体を寄せる板さん

目次

妻と愛犬を立て続けに亡くした男性。「俺ひとりでどうすんの…」。悲しみに暮れた日々から前を向けるようになったのは、40年前に520人が事故で亡くなった「山」での活動がきっかけでした。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)

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都内でひとり暮らしをする通称・板さん(70)は、週1回ヘルパーとして働きながら、ある山での作業に精を出しています。

北海道出身で大学進学を機に上京し、卒業後は東京で営業職として働きました。

地元の同級生と結婚して息子2人と暮らしていましたが、「仕事が忙しくて家庭を顧みられなかった」といい、離婚。

その後、転職先の医療関係の職場で知り合ったのが8つ年下の恭子さんでした。

恭子さんとはなと写真を持ってインタビューを受けた板さん
恭子さんとはなと写真を持ってインタビューを受けた板さん

板さんが49歳、恭子さんが41歳のときに結婚。ゴールデンレトリバーの子犬「はな」も迎え、恭子さんの実家で暮らしていました。

恭子さんの生きがいは、スニーカー姿ではなと出かけること、音楽教室で習うチェロを弾くこと……。そして孤独や不安で悩んでいる人の話を聞く「いのちの電話」の相談員をすることでした。

「いのちの電話では熱心に話を聞いてね、帰ってきたらへろへろで『ハグして』って寄ってきてました」

診断は「ALS」

結婚から10年後、2015年の秋ごろから恭子さんに異変が起きました。袋を手で開けられなくなるなど、手足の不調を訴えるようになりました。

そして2016年4月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)との診断が下りました。

手足やのどの筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせてしまう病気です。

呼吸器「付けない」

自宅での看病がスタート。病気が進むと呼吸器を付けるか決断を迫られますが、恭子さんは付けないと決めていました。

「もちろん僕は生きのびてほしかった。付けないと死んでしまうと何度も話し合ったけど、彼女は聞かなかった」

板さんは「吸引、排泄、食事の介助とか、家族に負担をかけ続けることを申し訳ないと思っていたようです」とさびしそうに言います。

はなと恭子さんが他界

8月には歩けなくなり、10月には呼吸が苦しくなり……。11月には呼吸の苦しさを和らげるためのモルヒネの量が増えていきました。

12月には肩で呼吸するようになり、別れに向けて心の準備が必要だと思っていた矢先、愛犬のはなが倒れました。

起き上がれなくなって食事を取らなくなり、2017年1月19日、寝ている恭子さんに頭を預けた状態で息を引き取りました。

恭子さんに体を預けるはな
恭子さんに体を預けるはな

恭子さんも27日に、板さん、恭子さんの母と妹や友人が見守るなか、息を引き取りました。恭子さんは53歳、板さんは62歳のときでした。

愛妻と愛犬を立て続けに失った板さん。

家に安置された恭子さんの隣で眠って、「俺1人で残った時間どうすんの。ひどいと思わない?」と語りかけていました。

ヘルパー職と「御巣鷹」

ふたりを失った心の穴を埋めるように、それから板さんは忙しく動き回りました。

恭子さんに生前手を尽くしてくれた訪問介護の人たちの姿が頭によぎり、ハローワークでの実務者研修を経て、2018年に介護福祉士の資格をとりました。

当時は、ALSのヘルパー派遣を行う事務所に登録して、2カ月の京都出張や夜勤など懸命に働きました。

恭子さんとはなの死後、板さんはどこに行くにも2人の写真を連れて行った
恭子さんとはなの死後、板さんはどこに行くにも2人の写真を連れて行った

もうひとつ、通い始めたのが、1985年の日航機墜落事故で520人が命を落とした群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」でした。

大学の同級生が新聞社の記者として長年関わっていて関心があり、資格を取ったのと同じ2018年に初めて訪れました。

520もの愛する人を失った人々の悲しみを40年間、受け止め続けてきた山。

「怖いとかはないんだよ。登ると不思議と気持ちがよかった」と当時を振り返ります。

「ダン組」に参加

2019年からは通称「ダン組」の一員になりました。事故で9歳だった健くんを失った美谷島邦子さんの「旦那」である善昭さんと、日航の元整備士の大島文雄さんが立ち上げたグループです。

ここでは、日航機墜落事故の遺族だけでなく、東日本大震災などさまざまな「喪失」を経験した人たちが集まり、年に何度か尾根で登山道の整備を行っています。

板さんは「僕にできることは汗を流すことだけでね。山とみんなに助けられているんだよ」といいます。

作り直した墓標を設置する、左から美谷島善昭さん、大島文雄さん、板さん=2020年08月11日
作り直した墓標を設置する、左から美谷島善昭さん、大島文雄さん、板さん=2020年08月11日 出典: 朝日新聞

善昭さんや大島さんをはじめとしたメンバーと尾根で過ごす時間は決して「おだやか」ではなく、とっても「にぎやか」です。

板さんは「作業の仕方が悪いと、ダンさんや大島さんに『何やってるんだよ!』って叱られるんだよ。もう70歳にもなるのに厳しい指導をされているよ」とにこにこ笑います。

全国から集まる仲間とともに作業して汗を流し、みんな宿に帰り、ビールをぐびぐび。馬鹿話で大笑いしながら、時にはまじめな話もするそうです。

トイレを掃除する板さん=高松浩志さん撮影
トイレを掃除する板さん=高松浩志さん撮影

様々な傷をもった人たちが、心を通わせる山。板さんには天界にも通じているような感覚があるといいます。

「帰り際、山を下るときが好きなんだよ。後ろにね、恭子とはながいるの」

御巣鷹の尾根にある「昇魂之碑」で手を合わせる人たち=2024年8月12日午前11時40分、群馬県上野村、小林一茂撮影
御巣鷹の尾根にある「昇魂之碑」で手を合わせる人たち=2024年8月12日午前11時40分、群馬県上野村、小林一茂撮影 出典: 朝日新聞

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