人々のお悩み相談に答えている「桃山商事」代表の清田隆之さんと臨床心理士のみたらし加奈さん。10月に開かれたイベントでは、素人と専門家、それぞれの役割などについて語り合いました。よりよい社会に向かうためには、「モヤモヤ」とどう向き合っていくのがよいのでしょうか?
清田隆之さん
1980年東京都生まれ。文筆業、桃山商事代表。ジェンダー、恋愛、人間関係、カルチャーなどをテーマに様々な媒体で執筆。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。
みたらし加奈さん
1993年東京都生まれ。臨床心理士。大学院卒業後、総合病院の精神科に勤務。現在は国際心理支援協会に勤務しながら、朝日新聞デジタルRe:Ronの連載「みたらし加奈の味方でありたい」で回答者を務める。
水野梓(ファシリテーター)
朝日新聞withnews編集長・記者。1985年茨城県生まれ。2008年入社。大分総局、新潟総局、大阪編集センター、科学医療部、メディアデザインセンターを経て現職。
水野:今回、イベントの参加者さんから事前にいただいた質問の中で、「安心してつらさを小出しにできるコミュニティは、どうやったら作れますか?」というものがありました。
清田:これをバシッと言えるといいのですが……。
僕はいま、隔月くらいのペースで男性限定のおしゃべり会を東京・高円寺の「蟹ブックス」という本屋さんと一緒に開いています。
参加者は何を話してもいいのですが、一応ルールは作っています。
例えば、話す人は話す、聞く人は聞くだけと役割を決めて、時間は7分間。しがらみのない一期一会の関係です。
みなさん最初は戸惑っていても、少しずつ話し始めてくれます。まずは一緒におしゃべり会で話して、そこからコミュニティが生まれていることもあるようです。そこに僕はノータッチなんですけど。
コミュニティをどうやって作るのかノウハウはまったくありませんが、つらさを小出しにしていくことの楽しさや気持ちよさ、安心感をつかんでくれているのかもしれません。
水野:みたらしさんはいかがですか?
みたらし:ひとつ立ち止まって考えたいのが、その人がなぜモヤモヤを小出しにするコミュニティがほしいのかというところです。
友達がほしい、共通の話題がある知り合いがほしい、日々のしんどさを共有できる仲間がほしいというなら、そういうコミュニティが広がっていけばいいなと思います。
一方で、自分の悩みを吐露したいというのであれば、もしかしたらまず行く先はコミュニティではなく、カウンセリングかもしれません。
ここがすごく難しいところで、専門家から見たら本当はこの方はカウンセリングにつながったほうがいいと思われるケースも多々あります。
まずは安全な枠ぐみを守ってくれるカウンセリングに行って、気兼ねなく一方的に話していい場所を作っておいた上で、日々を過ごしていくなかで友達を作っていってもらうと、より安全なコミュニティが形成されやすくなると思います。
水野:場合によっては一方的にずっと悩みを聞かされる友達もつらくなってしまいますしね。専門的なアドバイスもできないので、抱えていられないというか。
ちょっとしたグチだったらお互いに言い合って支え合うことはできると思うんですけど、ヘビーな悩みで数時間話してもつらさが減らないとなると違いますよね。
みたらし:むしろお互いに危険になってしまうから、専門機関の方がいいかなと思います。
水野:モヤモヤを受け止める側にも気を付けたほうがいいことはありますか? 誰かの不安を聞いているとメンタルの保ち方が難しいときもあると思うんです。
みたらし:そうですね。特に私が受けていた臨床心理士のカリキュラムの中では、自分の心の健康を維持することもプロフェッショナル性を保つことのひとつだと言われています。
まずは自分のメンタルがヘルシーな状態で聞いたほうがいいし、その上でサポートしてもらえる環境があるかどうかというのは大切です。
私が教官から教えてもらったのは、「カウンセリングというのは、あなたの話をする場所ではない」ということでした。「相談者の方の体験の話なので、あなたが分かってるふりをしてはダメだ」と。私は私の解釈しかできないんですよ。つらいだろうな、悲しいだろうなというのは、実はすべて私の解釈になってしまう。
自分でいくら客観視しているように感じても、それはすべて主観なんです。だからこそ、できるかぎり精査する。境界線は意識しています。
水野:ちゃんと線を引かないといけないですね。清田さんはいかがですか?
清田:「桃山商事」という僕が友達とやっている活動は、元々はいろんな人の恋愛の悩みを聞いていました。恋バナから始まり、ジェンダー問題なども扱うようになって今はポッドキャストをやっています。
素人が何の専門知識もなく悩み相談を聞く活動に対して、精神科の看護師さんに「そんな危ないことをして大丈夫?」と言われました。
僕たちとしては危ないことをしている意識は全くなかったんですよ。ただみんなでわいわい聞いて、世の中にはそんな悩みがあるんだ、という感じでおしゃべりをしてたので、危ない目に遭ったことはありませんでした。でも、例えば依存されてしまったら大変ですよね。
思うに、これまで危険を回避できた理由としては、まず集団でやっていること。基本的に1対1では会いません。そして、一期一会で2時間という時間も決まっていました。お金はいただきませんが、聞いた相談は個人情報などの設定を変えてコンテンツとして紹介する可能性があると伝えていました。
あと、「こうしたらいい」といった行動指南はしません。そこまでは責任を持てないからです。結果的にそれらのことがよかったのかもしれません。
水野:そこはすごく大事で、意識しておかないといけませんね。
水野:今回のイベントでは、「モヤモヤ」をテーマに話してきました。おふたりは今後、みなさんのモヤモヤや悩みを解きほぐすためにこうしていきたいと思っていることはありますか?
みたらし:そうですね。私は朝日新聞のRe:Ronで「味方でありたい」という連載をしていますが、その人の悩みを解きほぐしたいから何かを伝えるというよりは、一緒に共感し合いながら考えていく、そんな仲間でありたいという気持ちが強いです。
あと、言語化することがすべてではないと思っています。
心にとってヘルシーな状況は何なのか考えたとき、「モヤモヤをモヤモヤのまま、置いておける環境や力があること」という結論にたどりつきました。
ですから、無理に解体したり、答えを出したり、意味をつけたりしなくていい。
「生きる意味って何なんだろう?」の答えがずっと出ないままでも大丈夫という状況にあることが大事だと思います。
みなさんのモヤモヤをそのまま大事にしながら、でも、解体したいときは一緒に解体しましょうという姿勢を持ち続けることが今の私にできることなのかなと思いました。
清田:素人にできないことを知っておくことは大切ですが、素人にできることもたくさんあります。
モヤモヤを自分の中に置いておくためには、適度にガス抜きができたり、数時間だけでもちょっとだけ気が楽になったり、そういうところは素人の出番だと思います。
適切な分析や治療法などにつながるための知識や道筋、元気は必要ですよね。そこは素人が担える領域ではないでしょうか。
素人は専門家の知見を学んで専門家ぶるのではなく、素人と専門家の間にある境界線を知ることが大事だと思うんです。
素人が素人として素人の矜持を持ちながら、いい感じの素人になっていくみたいな。
水野:いい感じの素人、いいですね。
みたらし:専門家が上で素人が下というのではなくて、同じ分野の中で担い合ってるものがあるので、力を合わせてみんなで支えあっていけたらいいですよね。
水野:より良い社会に向かっていくために、モヤモヤに対してメディアには何ができるか、期待することは何かありますか?
清田:先ほどの話の続きになりますが、素人の人たちへ良質な知見などを伝えて、分厚い素人の層を耕していってほしいですね。
みたらし:メディアは登場する人に権威を与えてしまう側面もあると思うので、取材したりゲストに呼んだりする専門家も素人も、人選に関しては意識していただきたいと思います。
それと、臨床心理士をしている中で感じるのは、個人の問題は社会の問題でもあるということです。
その点はあまり知られていないのでメディアに分厚く取り上げてほしいなと思っています。
水野:そうですよね。個々人の悩みが実は社会課題とつながっていて、あなたが悪いのではなくて社会の構造がおかしいよと、もっと伝えていけることはありますよね。
これからも小さなモヤモヤを大切に発信していきたいと思います。