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#26 #啓発ことばディクショナリー

ワクチンパスは国民を守った?堤未果さんが疑う「権力者の美辞麗句」

世界各国で導入された「ワクチンパス」。提示を義務化した国々では混乱も生じました
世界各国で導入された「ワクチンパス」。提示を義務化した国々では混乱も生じました 出典: Getty Images ※画像はイメージです

目次

「未曽有(みぞう)の出来事」を理由に、市民の行動が制約される場合があります。「権力者が『緊急事態』の名の下で何かを行うときは、その言い分と実際の振る舞いとを、よく比較するべきです」。国際ジャーナリストの堤未果さんは、そう警鐘を鳴らします。権力者の用いる「言葉」のリスクについて考えました。(ライター・神戸郁人)

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#啓発ことばディクショナリー

「パス」を巡って渦巻いた賛否両論

コロナ禍が始まった3年ほど前から、社会の仕組みに色々な変化が起こりました。国民への外出自粛、飲食店に対する営業時間短縮の要請など、公権力による日常生活の制限は最たるものと言えます。

このうち「ワクチンパスポート(ワクチンパス)」と呼ばれる施策を覚えている人もいるのではないでしょうか。新型コロナワクチンを接種したことや、ウイルス検査で陰性だったことを示す公的な証明書で、世界各国で導入されました。

国内では2021年夏に発行を開始。当初は厳格な渡航制限を課している国を訪れる際と、日本への入国時に限って活用されました。その後、飲食店やイベントで提示するといった形で、利用範囲が広がった経緯があります。

感染を封じ込めるための一手として注目を浴びた反面、提示を義務化した国々では混乱も生じました。本来任意であるべきワクチン接種を強いるものとして、フランスで大規模なデモが行われるなど、反発を招いたケースは少なくありません。

【関連記事】ワクチンパスポート「衛生パス」義務化に怒るフランス人 「自由奪われる」毎週のデモ(GLOBE+・2021年12月11日)

堤さんは、自らの取材拠点の一つである米国でも、反対の声が相次いで上がっていたと振り返ります。

「国や自治体が、個人の行動を追跡する。ワクチンパスがそのための手段となっているのではないか、という市民の疑問と、自由を重視する合衆国憲法との絡みから、共和党の知事がいる州を中心に反発が根強かったんです」

「制度を拒んだ軍人が戦闘機に乗れなくなり、パイロットが不足する事態まで生じました。いくら緊急事態下でも、国による行動制限は、決して軽視してはならない重要案件である。多くの人々が、そのように考えていたことの証です」

私権制限に立ち上がったカナダの市民

新型コロナウイルスのワクチン接種を巡っては、公衆衛生と個人の選択権という両極の間で、様々な意見が交わされてきました。いずれの立場も最大限尊重されねばならず、一方に偏った政策が行われないよう、熟議を尽くす必要があると言えます。

「日本でも諸外国の例にもれず、ワクチン接種の是非を巡って国民が分断されましたね。この点に関して、日本人にとってもヒントになる出来事が、カナダで起きたことをご存知ですか?」。堤さんは取材中、筆者にそう問いかけました。

2022年1月、同国の首都オタワで、政府に対する大規模な反政府デモが行われました。大型トラックが米国との国境を行き来する際、ワクチン接種を通行の条件とするジャスティン・トルドー首相の方針に、運転手たちが反旗を翻したのです。

堤さんによると、実際には運転手の大半が、既にワクチンの接種を終えていました。にもかかわらず、国の権限を強化する動きに、他の市民も反発。抗議活動は幅広い層の支持を得て、国内全土へと拡大しました。

「彼らが声を上げた理由は、ワクチンそのものではありません。どさくさに紛(まぎ)れて自らの権力を拡大しようとする政府に怒ったのです」

G7サミットのため広島空港に到着し、車に乗り込むカナダのトルドー首相=2023年5月18、広島空港
G7サミットのため広島空港に到着し、車に乗り込むカナダのトルドー首相=2023年5月18、広島空港

「この流れに危機感を抱いたカナダ政府は、2月に『緊急権限』を発動し、強権的な手法でデモを取り締まることを可能にしました。そして自分たちの判断を正当化する上で、『住民の安全を守る』という言葉を使ったのです」

トルドー氏は、米国との国境に架かる橋を封鎖したデモ隊を「カナダ経済の打撃となり、公共の安全を損なう」「われわれは違法かつ危険な行動の継続を容認しない」と非難。参加者らの銀行口座を凍結する手段に訴えました。

「カナダは州ごとの主権が強く、知事が反対すれば国は政策を強制できません。しかし当初は『治安を守る』という首相の主張が強い力を持っていた。国内メディアが大きく報じた結果、デモに負のイメージがつき、トップの意向が押し通されました」

「しかし、最終的には銀行で取り付け騒ぎが起き、カナダ政府は緊急事態を解除せざるを得なくなりました。一連の運動は『フリーダム・コンボイ(トラックに自由を)』として世界中に知れ渡ったのです」

「環境保護」名目で農地を収奪

公益保護など、抗いがたい理由を口実に、為政者が私権を縛りつける。堤さんいわく、そのような動きは世界規模でみられます。

「例えばオランダでは、マルク・ルッテ首相が畜産農家の規模縮小政策を大胆に進めてきました。ウシのげっぷなどに含まれるメタンガスが、地球温暖化や気候変動の原因になるというのです」

目標を達成するため、オランダ政府は家畜頭数の削減を農家に要求。従わない場合、農地を取り上げる強行策をとり、批判を集めてきた経緯があります。堤さんは、同国政府の振る舞いの背景に、本来の目的とは異なる思惑があると語りました。

オランダ・ハーグで支持者らを前に勝利宣言するルッテ首相=2017年3月、山尾有紀恵撮影
オランダ・ハーグで支持者らを前に勝利宣言するルッテ首相=2017年3月、山尾有紀恵撮影 出典: 朝日新聞

「ルッテ政権は、移民向けの安い住宅の建設地に加え、生活に先端技術を取り入れた都市『スーパーシティー』の用地取得を進めています」

「そこで『気候変動対策』などの美しい言葉を掲げ、大量の農地を合法的に没収できるようにしました。地権者との交渉も省けるので、一石二鳥というわけです。このやり方が多くの農家の反発を招いています」

感染症や地球温暖化への対策、SDGs(持続可能な開発目標)の達成……。いずれも環境保護と公共の福祉を両立する上で、避けては通れない課題です。肯定的に捉え、一刻も早い実現を願う人々は少なくないことでしょう。筆者もその一人です。

しかし誰もが親しみを持てる趣旨だからこそ、一つひとつの取り組みを裏打ちする気高い理想が、別の意図で〝転用〟される可能性を、念頭に置いておくべきだとも感じます。権力者たちが、美しい言葉を用いる理由を考え続けたいです。

 

堤未果(つつみ・みか)
国際ジャーナリスト。NY州立大学国際関係論学科卒業、NY市立大学大学院国際関係論学科卒業。国連、米国野村證券等を経て現職。国内外の取材、講演、メディア出演を続ける。多くの著書は海外でも翻訳されている。「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」で日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞。「ルポ・貧困大国アメリカ」(岩波新書)で新書大賞2009, 日本エッセイストクラブ賞。著書に「社会の真実の見つけ方」(岩波ジュニア新書)「日本が売られる」(幻冬舎新書)「食が壊れる」(文春新書)、「デジタルファシズム」(NHK新書)、「堤未果のショックドクトリン~政府のやりたい放題を止める方法」(幻冬舎)他多数。WEB番組「月刊アンダーワールド」キャスター。
   ◇

【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。記事一覧はこちら
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