連載
#3 ウェブメディア祭り
「10年で景色は変わる」 たらればさんと考えるニュースの未来
〝スナックコンテンツ〟がほしい時も…
紙からウェブへ、発信方法が変わる中で、マスコミの「お作法」も変化を求められています。読者のニーズに、メディアはどう寄り添っていくのか。岐路に立つウェブメディアの未来について、雑誌や情報サイトの編集を担当してきた「たられば」さんと、新聞記者からウェブメディア「withnews」の編集長になった水野梓が語り尽くしました。
【連載】「ウェブメディア祭り」
withnewsでは、編集長の交代をきっかけに、これからのメディアを考える「ウェブメディア祭り」を開催しました。ライターや編集者・プラットフォームのみなさんと語り合った各セッションの採録記事をお届けします。
それに対してウェブメディアの編集長は「独立愚連隊の隊長」。自由度は高いけど、自分で選ばないといけないし、砦を築かないといけない。
この二つは、だいぶ違うと思っていたんですけど、いまは一周回って共通点も結構あるなと思ってます。
僕は紙の編集長をやってから、書籍を作り、ウェブメディアの編集長になりました。
紙の編集長の時は、雑誌自体が役割を変えつつある時代だったので、大変でしたが、「幸せだな」と思ってました。
雑誌って、読者全員があらかじめお金を払ってくれた方なんです。「ここには価値のあるものが書いてあるはずだ」という前提で読んでくれている。愛されていることが確定している。
ウェブメディアは逆で、何がおもしろいかは自分が決めるという人たちに対して、球を投げ続けなければいけない。
WOWOWドラマの「TOKYO VICE」を見ました。1999年の東京を舞台に、アメリカ人が日本の大手新聞社に記者職で入社する話です。そこで記事を書く訓練をするんですが、紙面担当者に罵倒されるんです。「おまえの気持ちを書くな」と。「事実を書け」と。
そういう訓練を経ないと、人間は気持ちを書いちゃうものです。でも新聞では自分の気持ちを書くのはNG。訓練を積んだ上でなお、出る「気持ち」ならいいけど、それ以外は排除されるべき、という思考の上で、特殊なライティング技術を身につけた人たち。それが、毎年数百人レベルで日本で生み出され続けてきたんです。
でも、その時代は恐らく終わります。
似た状況は雑誌編集者にも起こっていて、間もなく成り立たなくなれば、そういう訓練もなくなっていく。
新聞記者も、雑誌編集者も、特殊な訓練を受けた人は、今すごく重宝されている時代です。ウェブメディアでも取り合いになっているのが現状。
恐らく5年か10年ぐらいで、そういう組織的な訓練を受けた人たちがいなくなるので、また、新しい別のフェーズが始まるんだろうなと思って見てます。
新聞記者になって高校野球の予選結果をひたすら人力で書くとか、そういう訓練を受けていない人がウェブライターになったとき、ニュースの景色は変わると思う。
いま、読者が当たり前に受け取っているものの多くは、すごい訓練の下地があって成り立っているものだった。訓練された人が目減りしていく中で、どうなるんだろうな。この状況は、ちょっと心配した方がいいのかなと思っています。
だから、ウェブメディアでもこの状況はずるずる続くと思います。「アテンション・エコノミー」がヤバイと言うけど、新聞社が「トクオチだ!」(他社に出ているニュースが、自社にだけ出ていない状態。トクダネの反対)とか騒いでいたのと本質的には同じだと思う。
新聞記者の「壁耳(かべみみ)」ってあるじゃないですか。
訓練を受けた記者たちが、(非公開の)政治家が集まる会議室前に折り重なって、壁に耳を当てている姿を初めて見たときに、「何かおかしいんじゃないかな」と滑稽に見えた。
恐らく「アテンション・エコノミー」も過剰になると、似たおかしさが出てくるはずです。
既存の新聞社、出版社、雑誌社もやってはいけないことをやってきて、だいぶ行政に怒られたり、廃刊になったり、記者が懲戒免職されたりして、姿を変えている。
全般的に世の中は良くなっていると思うし、インターネットがあったおかげで世界は広がっていると、僕は楽天的に見ているんです。「アテンション・エコノミー」の危険性もあり、この勝負を続けるのもしんどいなとも思うんだけど、きっと良くなっていると思う。
むしろ大切なのは、ジャンルとか方向性よりも、「読者のどういう気持ちに寄り添って、このコンテンツを作りたいか」っていうこと。特にインターネットでは。
読者の怒りか、哀しみか、おもしろくなりたい気持ちか、どの気持ちに寄り添ってコンテンツを作るか。
これは半分、シャープ公式さん(@SHARP_JP)のパクリなんですけど、だいたいの人はネットを見るとき、孤独なんです。布団の中で見てたり、電車の中で「会社行きたくないな」と思ったりしながら見る。シャープさんは「一人の気持ちに寄り添うツイートを心がけている」と言っていた。ネットメディアも近いなと思ったんです。
「何かを好きである」ということが創作のきっかけとして、さらに重要になっていくと思っていたんですけど。
あのトップクリエイターの庵野監督でも「ウルトラマンが好きだ」っていうメッセージが、最大出力なんですよ。
「怪獣が好きだ!」「特撮が好きだ!」って、観客はぼこぼこにされる感じ(笑)
何かを「好き」という気持ちがあれば、クリエイティブ作業は成り立つし、どんどん豊かになっていくんだと、改めて感じる作品でもありました。
僕が新聞記者を好きなのは、そういう二律背反を経ているからなんです。気持ちを込めていいのか、込めちゃいけないのか、その葛藤を経ないまま、だらだら出ている「好き」は、ダメなんです、恐らく。
その葛藤を愛している人は、案外多いし、そういう相反する気持ちの中でクリエイティブは生まれるのかなと思います。
私はポッドキャストもやっているんですが、「好き」を記者が語ると、リスナーさんから反響があって、「意外と出してもいいのかな」と最近ようやく、思えるようになりました。
withnewsはその「好き」を大事にして記事を書いてもらっています。記者の関心やモヤモヤから、記事が生まれることも多いんです。
「怒られているうちが花だよ」って言葉は嫌い。普通に伝えれば良いだけですよね。
でも、これをポリシーにしてたんですけど、withnewsのイベントでは俳優のんさんが「私は怒りを大事にする」って言ってましたね(笑)
でも「たぶん、これ求められてないな」って最近感じます。
某コンサルから「スナックコンテンツも大事」って聞きまして。
通勤中にちょっと、ぱくっとつまみたいという時に、熱い思いがほとばしる5000字の原稿は、重い。5000字が不要だと言っているわけではないですよ。
恐らく、ポテトチップスも必要だし、凝ったフランス料理のコースが必要な時もある。編集長は、これをコントロールすることになる。
我々は特に、僕は出版社の編集長、水野さんは新聞社の編集長。
葛藤は近いうちにあると思うけど、インターネットはもともと個人と個人をつなぐ仕組みで、それは「不完全なものである」ということが前提なんです。「変わり続ける可能性が高いものをより尊重する世界」と言い換えてもいいかもしれない。
YouTuberを見るとよく分かるんですけど、あえてスマホで手ぶれして撮った方が良いという現実がある。
世の中には、「コントロールされた料理」だから嫌だという人もいる。その一方で、おそらく、簡単に食べられる物の方が良い、という人が多い。
その状況を踏まえて、我々はどうすればいいか。
そうは言っても、良い物を食べさせたいし、栄養のある物を食べさせたい。その線引き、区分けをしていかないといけないなというのは、責任を持って思います。
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