連載
#13 凸凹夫婦のハッタツ日記
「悲しませない」ができない 発達障害の夫が結婚で得たマニュアル
お互いの凸凹を補いながら生活している注意欠如・多動症(ADHD)の西出光(ひかる)さん(26)と自閉スペクトラム症(ASD)の弥加(さやか)さん(33)夫妻。コミュニケーションに大切な「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」も、2人で連携しながらハードルを越えてきました。夫・光さんの視点でつづります。(聞き手・イラスト:西出弥加)
振り返ると僕は子どもの頃から、ホウレンソウの大切さを知っていました。
学校では連絡帳を使って日々の生活について報告しますし、遠足のときも先生が「何かあればすぐに知らせてください」と強調して話していたのを覚えています。
そして運動会の日の朝、雨が降っていると先生から急いで延期連絡の電話が回ってきました。そして保護者も、例えば子どもが熱を出した場合などは必ず先生に朝方、連絡をしています。
子どもの頃の僕は周りの皆さんがホウレンソウをしてくれることにより、普通に生活を送ることができていました。僕が能動的に伝えることをしなくとも、大人が僕をフォローしてくれたのです。
そして子どもだった僕も大人になり、自らホウレンソウをしなくてはいけない状況が増えました。
ここで初めて、自分が報告や連絡、相談を人にすることが苦手だと気づいたのです。
今までは親や先生、周りの大人の方々がしてくれていたので、自分が苦手であることに全く気づけませんでした。
大切なことだとは理解していますし、連絡の仕方が分からないわけではありません。しかし自分がする立場になると不備が生じたり、そもそも忘れてしまったり、問題が頻繁に起こってしまうのです。
僕はなぜそのようなことが起こるか分からず長年苦しかったのですが、その原因の一つはADHDによるものだとわかりました。
僕は一言返事するだけであっても完結できない場合があります。当然周囲の皆は困って僕に連絡をたくさんしたり、過剰にフォローしているので、僕ではなく周りが疲弊しています。
この状態を打開することは、僕にとって大きな課題であると長年感じていました。感じているにも関わらず、一体どこから手をつけたら改善されるのか、全く検討がつかないのです。
この話を人にすると信じてもらえないか、苛立たせてしまうので、このようにありのままの現状を言うこともあまりできず、負のループでした。
ホウレンソウができないことによる失敗はプライベートでもたくさん起こります。特に恋愛関係になった人とは問題が頻発していました。ホウレンソウの不足が原因で関係悪化につながることが多かったのです。恋人関係になると、友人関係よりも親密なコミュニケーションが必要とされ、計画を立てて何かをする機会が多いので大変でした。
僕自身は普通に生きているつもりが、相手にとっては極端に連絡がこない、コミュニケーション不足すぎる状態になってしまうのです。
「私のことを好きではないのか」と悲しませていました。
具体的には旅行や飲食店の予約、いつどこで会うか、お互いの予定の調整などで相手を困らせていました。
おおげさに聞こえるかもしれませんが、これらは事務処理能力やスケジュール管理能力が求められていると感じるので僕にとってはとてつもなく高いハードルでした。そして僕よりも気の利く相手側が全て率先して動き、最終的に相手だけが疲弊してしまい、僕は何もできず立ち往生の状態になっていました。僕自身は愛していないことはなくても、相手に「私は愛されていない」と感じさせ続けていました。
例えば、デートで待ち合わせ場所に相手が少し遅れたとき、「本屋で待ってるね」という連絡もせずに、僕は本が読みたくて移動してしまいました。そして相手から連絡が来ているのに気づかず、先に来たはずの僕が相手を待たせてしまったことがありました。
家族に対しても同様で、「連絡がないと困る」「音信不通だとさみしい」と言われることが何度もありました。
僕は、人が悲しんでいるときにどう言葉をかけていいかは大体検討がつく性格です。しかし、「悲しませない」という予防をすることはできませんでした。事後のケアはできるのに、事前の予防ができない。
嫌いだから何もしないというわけではないので、相手も僕をむやみに嫌いにはなれず、困惑させていました。
僕は精神的な気遣いも大切だと感じていますが、それと同じくらい物理的な気遣いも大切だと今は思います。ADHDの人が全員そうだとは思いませんが、僕は物理的な気遣いが全くできませんでした。
そもそも僕自身、相手から連絡がなくても気になることはない、いや、むしろ気にすることができないという方が正しいかもしれません。そして仕事よりもプライベートでこの傾向は特に目立ちます。仕事より気を抜いているからかもしれません。
結婚した相手にも同様の態度をとっていました。
ただ、ここで僕にちょっとした転機、打開策に近づけそうな兆しが訪れました。妻・サヤカさんは僕にこんな伝え方をしてくれました。
「3時間以内に返事をしてね」
「相手の気持ちになって考えなよ」とか「なんで人の気持ちが分からないの?」と僕に言いませんでした。
相手の気持ちがわかっていてもできない、人の気持ちを察していても動けないという僕の性質を分かってくれていたのです。
サヤカさんは「明日までに完了させて」など、時間や量で指示してくれたのです。
こうすることで、僕は以前よりずっと動けるようになりました。
僕はいつどのように、どのくらい動けば相手が困らないのかという物理的なことが全く分からなかったのですが、サヤカさんは物理的なことだけを教えてくれました。こんな人は初めてでした。
今までは泣かせてしまうか怒らせてしまうだけだったのですが、サヤカさんは怒ってはいるものの、怒って終わらせず、伝え方を考えてくれました。
出会った当初はサヤカさんにも「ヒカルくんから連絡がこない」と心配をかけてしまうことが多々ありました。そしてサヤカさんの家族や友人にも、同じようなことをして困らせていました。
以前、周囲の人に「自分がされたらどう思う?」と言われましたが、前にも書いた通り、僕は相手から連絡がなくても困るという感情にならないので「自分がされても嫌ではないから、どうしたらいいか分からない」となってしまっていたのです。
僕は喜怒哀楽の基準ではなく、速度や量の基準を理解しようとしなくてはならなかったのです。
昔から僕は「人の気持ちが分からない、マニュアルが欲しい」と悩んでいました。「人間になりたい」と伝えたこともあるほど、ひどい状況でした。
今、僕がサヤカさんと結婚生活が続いている理由は、物理的なことを教え続けてくれているからです。そして、人の気持ちが分からないと発言した当時の僕を全否定も全肯定もしなかったからです。サヤカさんはよく「君は人の気持ちは分かってるけど、どう動いたらいいか分かってないかも」と言っていました。「私の方が人の気持ちは分かってないと思うよ」と言ってくれました。
そして「精神的なことと物理的なことは別物だから」と言いながら、大体どう動いたら人が不安に思わないかを教えてくれました。
「なんで気持ちがわからないんだ」と怒るのではなく、行動による人への気遣い方を教えてくれました。
この方法を今も継続してくれており、特に助かることは、常に基準を明確にしてくれることです。「何時までに教えてもらえるかな?」「これとこれについて、いつまでに」というふうに、感情は入れず、必要な事実を伝えてくれます。
この言い方は仕事をする上では当たり前のことかもしれませんが、プライベートでも徹底してこのような方法をとってくれています。
行動をするときの大体の速度がわかり、人を怒らせないようになってきた僕ですが、ADHDの度合いがとても強いため、やはり先延ばしにしてしまったり肝心なことが抜けていたりすることもあります。
それでも結婚当初の3年前よりもずっと意識できるようになりました。この3年間で「普通に」なれてきたと思っています。
意識できるといっても、あくまで「人が不満に思いにくい行動は、こういうものらしい」というぼんやりした認識をしているだけで、完全に理解できているわけではありません。それでもトラブルが減ったことは素直にうれしいです。助けてくれたサヤカさんや周囲の方々には感謝しています。
「大切な人を傷つける自分」から卒業するのが、今の目標です。
西出 光(にしで・ひかる)
1995年生まれ。発達障害の一つ「注意欠如・多動症(ADHD)」の不注意優勢型と診断される。2019年に「自閉スペクトラム症(ASD)」のグラフィックデザイナー・弥加(さやか)と結婚。当初は家事が極端にできず、仕事も立て続けに辞めていたが、妻の協力の末、現在はホームヘルパーとして勤務。名古屋と東京で遠距離夫婦生活を続けている。当事者の視点から、結婚生活においての苦悩や工夫、成功について伝えていきたい。
Twitter:https://twitter.com/Thera_kun
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