連載
#1 記憶をつなぐ旅
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
かわいいウサギに出会える島だけど……

かわいいウサギがエサをねだろうと集まってくる――。そんな動画がSNSにアップされたことで、一躍「ウサギの島」として人気が高まった大久野島(広島県竹原市)。長年、平和教育のガイドをする男性は「毒ガスを製造していた悲しい歴史があったことも知ってほしい」と話します。地図から消された島には毒ガス工場が置かれ、ウサギは自由に跳び回るのではなく「実験動物」でした。現在も残る貯蔵庫や発電所の跡を、ガイドの案内のもと巡りました。
学生たちに島内の戦跡を案内
ここでフェリーの切符を買い、ガイドの山内正之さんと落ち合いました。

インバウンドで訪日旅行客が増えていたピーク時には、1000匹以上のウサギが生息していたそうです。エサを目当てとしたウサギが観光客の足元に押し寄せる動画はSNSにアップされて話題を呼び、2017年には市外から36.2万人が島を訪れました。

「『ウサギ島』と呼んでほしくはありません。観光PRには大切かもしれない。でも大久野島は国立公園であり、悲しい歴史を学べる場でもあります」

この日は、平和学習のため長崎・広島を巡っていた明治学院大などの大学生たち20人ほどと合流し、山内さんが島内の戦跡を案内します。
「ウサギがかわいいのは確か。でも、きょうは戦争の爪痕に集中して下さい」
そう話す山内さんの案内で、まずは無料バスに乗って数分ほどの「大久野島毒ガス資料館」(19歳以上の入館料150円)で下車しました。
15年間、製造された毒ガス
島に日本陸軍の毒ガス工場が置かれたのは1929年(昭和4年)。当時、毒ガスは国際条約で使用が禁止されていました。
日本もベルサイユ条約やジュネーブ議定書に調印し、積極的に使用禁止に賛成の立場をとっていました。しかしその裏には、日本軍の毒ガス戦能力を高めるまでは毒ガス戦を避けたい狙いがあったようです。

1935年(昭和10年)ごろには島では、皮膚に付着しただけで痛みや水疱を引き起こす猛毒のイペリットやルイサイト、酸素吸入機能がまひするくしゃみ剤、肺機能をおかす塩化アセトフェノン、青酸ガスなどが製造されるようになっていました。

大久野島では15年間で6616トンの毒ガスが製造され、これは何千万人もの致死量にあたります。戦後に島内に残っていた約3000トンが処理されました。
島で働いた人も毒ガスで障害
資料館から歩いてすぐの海が見える広場には、毒ガス工場で働き、被害を受けた人たちの慰霊碑が建てられています。

ゴム製の防毒マスクや防護服などで覆っても、イペリットは隙間から浸透し、工員たちは次々に気管支や肺を壊していったといいます。

ホテルのそばの「毒ガス貯蔵庫跡」
毒ガス資料館から徒歩5分ほど、ホテル「休暇村」のすぐそばには、毒ガス貯蔵庫の跡地があります。

さらに海側に回っていくと、運動場が見えてきます。そこから山中に分け入ると、毒ガスのタンクが置かれていた基礎部分が野ざらしになっています。


内部が黒く焼け焦げているのは、戦後に毒性をなくすために火炎放射器で焼却したからです。残った毒ガスは土佐沖に海洋投棄されるなどして処理されました。
日露戦争でも利用された島
大久野島には、瀬戸内海の軍都広島や軍港呉を守るため、日清戦争後に「芸予要塞」が建設されました。島全体では22門の大砲が置かれていました。

日露戦争後に国内の要塞が見直され、芸予要塞は使われないまま1924年に廃止。当時は数軒の家族が暮らす、平和な島だったといいます。

風船爆弾も作られた「発電所跡」
急な坂道を下って、フェリーの船着き場が見える海岸の方へ戻ってきました。
廃墟と化している大きな建物は、毒ガス工場の発電所の跡地です。周辺からウサギがぴょこぴょこと出てきます。

この発電所では1944年からひそかに行われた「ふ号作戦」により、風船を飛ばしアメリカ本土に爆弾を落とす「風船爆弾」の気球をつくっていたといいます。動員された女学生は和紙をこんにゃくノリで貼り合わせていました。
島に動員された子どもたちも毒ガスの被害を受け、戦争が終わった後も病院通いを続け、苦しんだ人たちがたくさんいるそうです。
現地でしか感じ取れない雰囲気
日が傾きはじめ、山内さんのガイドはここで終了です。
明治学院大3年の稲川聖さんは「『毒ガス工場』という知識はあったけれど、訪れてみると『ここで作っていたんだ』という現地でしか感じ取れない雰囲気があった」と話します。

学生を指導する高原孝生・明治学院大学国際学部教授は「現地で魅力的な人に会ってもらいたい」とリアルな旅の重要性を指摘します。
「広島や長崎を思い出す時、絵はがきの風景ではなく、『あの人がいる場所だ』『いま何をしているだろう』という身近さで思い返してほしい」と話します。
ガイドがない場合は……
「ウサギの島のイメージで来る方もいて、見方はそれぞれ違ってもいい。でも、こんな『加害の歴史』の面を持つ島だということも知ってもらいたい」
山内さんのガイドは平和教育に限られていますが、「毒ガス資料館」や貯蔵庫跡・慰霊碑などに足を伸ばし、環境省が設置したパネルを読むだけで、感じることがあるのではないかと思います。

しかし「平和」だからこそ、ウサギは無邪気に人々にすり寄ってくる。その状況が本当に尊いものだと考えさせられます。
思わず顔がほころぶかわいいウサギと、毒ガスの戦跡……そのギャップは正直に言うとうまく表現できません。ただただ、いつまでもウサギをめでられる世の中でいてほしい。だからこそ記憶をつないでいかなければと感じました。
◆大久野島の旅の楽しみ
竹原・三原周辺の名産はタコ。ホテル「休暇村」のカフェエリアで食べられる「たこ天うどん」でおなかを満たしました
JR三原駅のコンビニで売っていた駅弁「たこめし」も具だくさんで美味です
休暇村の日帰り入浴施設では、ラドン温泉で島巡りの汗を流せます(画像はホームページより)。
太平洋戦争で「加害」「被害」の交差点となった温泉・銭湯を訪ねたエッセイ本『戦争とバスタオル』(安田浩一・金井真紀/亜紀書房)でも紹介されています。
JR忠海駅から徒歩5分ほどの忠海港フェリー乗り場へ。船着き場のそばの売店で切符を購入。島までは15分ほど。
広島市からは、広島バスセンターから忠海駅まで高速バスで1時間40分。1泊2日のバスツアーなら、原爆ドームや資料館を見学後、翌日に向かうこともできます。
広島空港や三原駅でレンタカーを借りるのも便利です。
旅の予定を立てる場合は、ひろしま竹原観光ナビの「モデルコース」が参考になります。
◆この記事は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です。