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連載

#9 記憶をつなぐ旅

戦死した魂が「描かせている」漫画家が向き合う南の島の〝六日戦争〟

「本当は逃げたい、でも……」

伊江島の中央にある「城山(ぐすくやま)」の展望台で、沖縄戦を描く理由を語る新里堅進さん。ここから見える海は当時、アメリカの1500隻もの軍艦で黒く埋め尽くされていたといいます=2022年3月、水野梓撮影
伊江島の中央にある「城山(ぐすくやま)」の展望台で、沖縄戦を描く理由を語る新里堅進さん。ここから見える海は当時、アメリカの1500隻もの軍艦で黒く埋め尽くされていたといいます=2022年3月、水野梓撮影

目次

白い砂浜と青い海が美しい沖縄・伊江島。ここで77年前の4月、住民を巻き込んだ6日間にわたる死闘が繰り広げられました。この戦いを漫画で描いた新里堅進さん(75)は、半世紀にわたって沖縄戦をテーマに作品を制作してきました。「もっと楽しい漫画も描きたい。でも、ここに引き戻されてしまう」。絞り出すように語った新里さんとともに、伊江島を訪ねました。

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危機感 伊江島の戦いが幻になる

77年前の4月16日に米軍が上陸し、6日間の激烈な地上戦が繰り広げられた沖縄・伊江島。軍民が一体となった戦いでは、村の女性も竹やりを手にしてアメリカ兵に突撃しました。

島に残った住民のおよそ半数にあたる1500人が命を落としました。

この悲惨な戦いが知られていない――。

漫画家・新里堅進さん(75)は、そんな危機感から『死闘伊江島戦』(琉球新報社)を出版しました。3年がかりで描いた大作です。
軍官民が一体となった伊江島の戦い=新里さんのマンガ『死闘伊江島戦』より
軍官民が一体となった伊江島の戦い=新里さんのマンガ『死闘伊江島戦』より
「戦後70年以上経ってしまうと、やっぱり風化してしまうんですよ。戦後生まれにもリアルに知ってもらいたくて、劇画のかたちで残したいと思いました」

「沖縄戦を漫画で描こう」

終戦の翌年、那覇に生まれた新里さん。母親から何度も戦争体験を聞かされて育ちました。

「あちこち戦争の残骸だらけで、興味を持つのは自然なことだった」と振り返ります。

建物には砲弾の跡が残り、道にはガスマスクが散らばり、地面には薬莢が埋まっていました。
砲弾の跡が残り、ぼろぼろの公益質屋跡。伊江島にほぼ唯一残る、当時の建物です=2022年3月、水野梓撮影
砲弾の跡が残り、ぼろぼろの公益質屋跡。伊江島にほぼ唯一残る、当時の建物です=2022年3月、水野梓撮影
そして高校3年生のとき、図書館で『沖縄健児隊』を読んで衝撃を受けました。沖縄戦に動員された沖縄師範学校の生存者が残した手記です。

同世代が体験し、命を落とした、むごい戦争。これを「劇画で残したい」と感じたといいます。

「このとき、スポットライトのように漫画家になる道が見えたんです。僕の原点ですね」
 

沖縄戦を凝縮した戦い

高校卒業後、警備員やタクシー運転手といった仕事を転々としながら、夜を漫画制作にあてました。1978年、描きためた作品『沖縄決戦』でデビューします。

ひめゆり学徒隊を描いた『水筒』や『シュガーローフの戦い 日米少年兵達の戦場』など、沖縄戦をテーマに多くの作品を残し、琉球王国の歴史や沖縄の文化も描いてきました。
戦中や戦後の住民・米軍の服、生活用品、薬莢(やっきょう)などが展示されているヌチドゥタカラの家。土地闘争の先頭に立った阿波根昌鴻さんの録音解説も聞けます=2022年3月、水野梓撮影
戦中や戦後の住民・米軍の服、生活用品、薬莢(やっきょう)などが展示されているヌチドゥタカラの家。土地闘争の先頭に立った阿波根昌鴻さんの録音解説も聞けます=2022年3月、水野梓撮影
当初は、伊江島の〝六日戦争〟も、沖縄北部の戦いのひとつとして描く予定でした。

しかし、伊江村の教育委員会が編集した証言集を読んで「まるで沖縄戦を凝縮したような戦い。これは腰を据えて描かなければいけない」と感じたといいます。

島を7、8回にわたって訪れ、さまざまな手記や資料を読んで取材を重ねて、緻密な筆致で過酷な戦いを描き出しました。
伊江島にある平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の謝花悦子館長(左)と話す新里さん=2022年3月、水野梓撮影
伊江島にある平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の謝花悦子館長(左)と話す新里さん=2022年3月、水野梓撮影

「これで伊江島の戦いが残る」

今年3月、1年ぶりに伊江島を訪れた新里さん。

フェリーから島を見つめ、「日本兵も同じようなルートで、荒れた海を島へ向かった。どんな思いだっただろうか」と声を落としました。
日本軍の司令部でさえ「1日で陥落する」と考えていた伊江島の戦い。

6日間持ちこたえ、アメリカ軍への最後の総攻撃をかけるとき、井川正部隊長は児玉俊介軍医にひとり残るように命じました。

新里さんは「井川部隊長は『この戦いを国民に知らしめてほしい』と考えて、児玉軍医を残したんだと思う」と指摘します。

児玉軍医が書き残した手記のおかげで、新里さんは日本軍の戦いも克明に描くことができました。

「『これで伊江島の戦いが残る』と思いましたよ。彼らは死んでしまったけれども、作品の中で永遠に生きるわけですよ」

教え込まれた結果の集団自決

島の北部にある洞窟「アハシャガマ」では、アメリカ軍が伊江島の攻略を宣言した翌日の4月22日、日本兵が爆弾に火をつけ、避難した住民を巻き込み、約150人が亡くなりました。

ガマの中で爆弾に火をつけたり、家族や住民同士で殺し合ったり……。集団自決(強制集団死)は、沖縄本島やほかの離島のガマでも起こっています。
ゴルフ場のそばに残るアハシャガマ。亡くなった人びとに手を合わせる新里さん=2022年3月、水野梓撮影
ゴルフ場のそばに残るアハシャガマ。亡くなった人びとに手を合わせる新里さん=2022年3月、水野梓撮影
「今の感覚で考えると『ばかばかしい』と思うでしょう。でもそうじゃない。『捕虜になったらひどい目に遭う』と教え込まれていたんです。教育は本当に大事ですよ

どんな思いで、自分の子どもに手をかけたのか、圧倒的な武力差のある敵兵に竹やりで向かっていったのか――。新里さんは当時の人びとの気持ちに心を重ねようと、ときに軍歌を流しながら、涙を流しながら制作することもあるといいます。

「どうしても引き戻されてしまう」

いまも休みなく早朝からアトリエにこもり、一人きりでペンを取って、1日1ページほどを執筆している新里さん。

伊江島の南東部にあるニャティヤ洞。現在は観光スポットになっています。当時は1000人ほどが避難したことから千人洞とも呼ばれています=2022年3月、水野梓撮影
伊江島の南東部にあるニャティヤ洞。現在は観光スポットになっています。当時は1000人ほどが避難したことから千人洞とも呼ばれています=2022年3月、水野梓撮影
「そりゃあ逃げたいですよ。本当はもっと楽しいテーマの漫画も描きたいし、描く自信もある。でも、どうしてもこういう世界に引き戻されてしまう」と言います。

「あちこちのガマを訪れたけれど、やっぱり、魂はまだここにあるんでしょう。ここに残る人びとの魂が描かせているのかもしれません」

伊江島で何が起きたか知ってほしい

戦後も、住民の土地が接収されて基地がつくられ、伊江島の苦難は続いています。この日は米軍機オスプレイが離着陸を繰り返していました。

オスプレイが離着陸を繰り返していた伊江島の基地=2022年3月、水野梓撮影
オスプレイが離着陸を繰り返していた伊江島の基地=2022年3月、水野梓撮影
ロシアのウクライナ侵攻のニュースが日々流れる中、新里さんは「これがもし第三次世界大戦の引き金になったら、基地のある伊江島はまたやられてしまうかもしれない」と危惧します。

「そうしてはいけないからこそ、ここでどんなひどいことが起きたのか知ってほしい。漫画がその入り口として役立てばうれしいです」
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連載「記憶をつなぐ旅」:戦争や災害、公害・環境破壊といった近現代の人々の悲しみ・苦しみの記憶を巡ることで、未来につなげていく〝旅〟を紹介します。このような旅は「ダークツーリズム」とも呼ばれ、実際に現地を訪れて感じたことや、次世代に受け継ぎたいことを考えます。
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