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連載

#1 記憶をつなぐ旅

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

かわいいウサギに出会える島だけど……

慰霊碑のかげから現れたウサギ。島のあちこち、毒ガス貯蔵庫跡の草むらからもウサギが現れてきます=水野梓撮影、2021年10月
慰霊碑のかげから現れたウサギ。島のあちこち、毒ガス貯蔵庫跡の草むらからもウサギが現れてきます=水野梓撮影、2021年10月

目次

かわいいウサギがエサをねだろうと集まってくる――。そんな動画がSNSにアップされたことで、一躍「ウサギの島」として人気が高まった大久野島(広島県竹原市)。長年、平和教育のガイドをする男性は「毒ガスを製造していた悲しい歴史があったことも知ってほしい」と話します。地図から消された島には毒ガス工場が置かれ、ウサギは自由に跳び回るのではなく「実験動物」でした。現在も残る貯蔵庫や発電所の跡を、ガイドの案内のもと巡りました。

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連載「記憶をつなぐ旅」:戦争や災害、公害・環境破壊といった近現代の人々の悲しみ・苦しみの記憶を巡ることで、未来につなげていく〝旅〟を紹介します。このような旅は「ダークツーリズム」とも呼ばれ、実際に現地を訪れて感じたことや、次世代に受け継ぎたいことを考えます。

学生たちに島内の戦跡を案内

広島県竹原市のJR忠海(ただのうみ)駅から歩いて数分。強い日差しにおだやかな海面がきらきらと反射する忠海港につくと、ウサギのマークがあしらわれた黒い建物が目に入ります。

ここでフェリーの切符を買い、ガイドの山内正之さんと落ち合いました。
対岸に見える大久野島。フェリー乗り場には無料の駐車場があり、多くの観光客が訪れます=水野梓撮影、2021年11月
対岸に見える大久野島。フェリー乗り場には無料の駐車場があり、多くの観光客が訪れます=水野梓撮影、2021年11月
島まではフェリーで約15分とあっという間。船着き場を降りて進むと、木の根元や建物そばにウサギが2~3匹うずくまっています。ウサギを見かけた人からは思わず「ほんとにいる!」と声をあげます。

インバウンドで訪日旅行客が増えていたピーク時には、1000匹以上のウサギが生息していたそうです。エサを目当てとしたウサギが観光客の足元に押し寄せる動画はSNSにアップされて話題を呼び、2017年には市外から36.2万人が島を訪れました。
大久野島の主な戦跡やスポット。休暇村で自転車を借りて島をめぐることもできます。あちこちでウサギが休んでいたり、草むらから飛び出してきたり……。
大久野島の主な戦跡やスポット。休暇村で自転車を借りて島をめぐることもできます。あちこちでウサギが休んでいたり、草むらから飛び出してきたり……。
「ウサギの島」として注目を浴びる状況に、現地でボランティアでガイドをしている山内さんは複雑な心境をもっています。

『ウサギ島』と呼んでほしくはありません。観光PRには大切かもしれない。でも大久野島は国立公園であり、悲しい歴史を学べる場でもあります
島にはウサギの耳のかたちをした「集音器」も。風や波、船の汽笛の音が聞こえます=水野梓撮影、2021年10月
島にはウサギの耳のかたちをした「集音器」も。風や波、船の汽笛の音が聞こえます=水野梓撮影、2021年10月
山内さんはボランティアで戦跡を案内する「大久野島から平和と環境を考える会」の代表です。

この日は、平和学習のため長崎・広島を巡っていた明治学院大などの大学生たち20人ほどと合流し、山内さんが島内の戦跡を案内します。

「ウサギがかわいいのは確か。でも、きょうは戦争の爪痕に集中して下さい」

そう話す山内さんの案内で、まずは無料バスに乗って数分ほどの「大久野島毒ガス資料館」(19歳以上の入館料150円)で下車しました。

15年間、製造された毒ガス

ウサギの島として人気となった大久野島。実はここには毒ガス工場が置かれ、ウサギは自由に跳び回るのではなく「実験動物」扱いでした。

島に日本陸軍の毒ガス工場が置かれたのは1929年(昭和4年)。当時、毒ガスは国際条約で使用が禁止されていました。
山内さんが案内する大久野島(この記事は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です)
第一次世界大戦で各国が毒ガスを使用。その反省から毒ガス兵器の使用を禁止する条約が新たに結ばれました。

日本もベルサイユ条約やジュネーブ議定書に調印し、積極的に使用禁止に賛成の立場をとっていました。しかしその裏には、日本軍の毒ガス戦能力を高めるまでは毒ガス戦を避けたい狙いがあったようです。
毒ガス資料館に展示されている防毒マスク=2021年10月、水野梓撮影
毒ガス資料館に展示されている防毒マスク=2021年10月、水野梓撮影
欧米諸国の毒ガス戦の技術に追いつくため、1917年に東京に研究室が設置され、毒ガス研究が進められました。毒ガス製造所として全国各地の候補地の中から選ばれたのが大久野島でした。

1935年(昭和10年)ごろには島では、皮膚に付着しただけで痛みや水疱を引き起こす猛毒のイペリットやルイサイト、酸素吸入機能がまひするくしゃみ剤、肺機能をおかす塩化アセトフェノン、青酸ガスなどが製造されるようになっていました。
旧日本軍が終戦後に中国で遺棄した毒ガスがそのまま残り、知らずに缶を開けるなどして中国人が被害に遭う事故も起きています。山内さんは「毒ガスの問題はまだ終わっていない」と言います=2021年11月、水野梓撮影
旧日本軍が終戦後に中国で遺棄した毒ガスがそのまま残り、知らずに缶を開けるなどして中国人が被害に遭う事故も起きています。山内さんは「毒ガスの問題はまだ終わっていない」と言います=2021年11月、水野梓撮影
資料館には日本軍が使った毒ガスの資料も展示されています。毒ガスは多くの外国人の命を奪いました。

大久野島では15年間で6616トンの毒ガスが製造され、これは何千万人もの致死量にあたります。戦後に島内に残っていた約3000トンが処理されました。

島で働いた人も毒ガスで障害

資料館から歩いてすぐの海が見える広場には、毒ガス工場で働き、被害を受けた人たちの慰霊碑が建てられています。

島で働いていた人々は毒ガスの後遺症に苦しめられたと話す山内さん=2021年11月、水野梓撮影
島で働いていた人々は毒ガスの後遺症に苦しめられたと話す山内さん=2021年11月、水野梓撮影
大久野島の毒ガス工場で働いたのはのべ約6700人。山内さんは「危険な毒ガス兵器を作るとは知らず、新型の化学兵器を作るぐらいの軽い認識だったそうです」と振り返ります。

ゴム製の防毒マスクや防護服などで覆っても、イペリットは隙間から浸透し、工員たちは次々に気管支や肺を壊していったといいます。
現在は広場となっているところには工場群がありました。近くに研究室跡と検査工室跡が残ります。ウサギなどが毒ガスの実験動物として使われていました=2021年11月、水野梓撮影
現在は広場となっているところには工場群がありました。近くに研究室跡と検査工室跡が残ります。ウサギなどが毒ガスの実験動物として使われていました=2021年11月、水野梓撮影

ホテルのそばの「毒ガス貯蔵庫跡」

毒ガス資料館から徒歩5分ほど、ホテル「休暇村」のすぐそばには、毒ガス貯蔵庫の跡地があります。

毒ガス貯蔵庫の跡地。皮膚がただれる猛毒の「イペリット」が貯蔵されていました。台座の上に人の背丈ほどの10トンのタンクが置かれていたそうです=2021年10月、水野梓撮影
毒ガス貯蔵庫の跡地。皮膚がただれる猛毒の「イペリット」が貯蔵されていました。台座の上に人の背丈ほどの10トンのタンクが置かれていたそうです=2021年10月、水野梓撮影
近くのキャンプ場では家族連れがテントを張って遊んでいますが、その朗らかな様子とは全く違う雰囲気が漂います。

さらに海側に回っていくと、運動場が見えてきます。そこから山中に分け入ると、毒ガスのタンクが置かれていた基礎部分が野ざらしになっています。
製造で使われたとみられる陶器なども散乱しています=2021年11月、水野梓撮影
製造で使われたとみられる陶器なども散乱しています=2021年11月、水野梓撮影
そこから歩いて5分ほどすると、島で最も大きな貯蔵庫の跡地に着きます。100トンもの毒ガスが入るタンクが左右に分かれた部屋に6基置かれていました。
長浦毒ガス貯蔵庫跡。戦時中は貯蔵庫の建物が見えないよう、前に高さ3~4メートルの小山が築かれていたといいます=2021年11月、水野梓撮影
長浦毒ガス貯蔵庫跡。戦時中は貯蔵庫の建物が見えないよう、前に高さ3~4メートルの小山が築かれていたといいます=2021年11月、水野梓撮影

内部が黒く焼け焦げているのは、戦後に毒性をなくすために火炎放射器で焼却したからです。残った毒ガスは土佐沖に海洋投棄されるなどして処理されました。

日露戦争でも利用された島

急な坂道を登っていくと、1902年に設置された「北部砲台」の跡地がみえてきます。

大久野島には、瀬戸内海の軍都広島や軍港呉を守るため、日清戦争後に「芸予要塞」が建設されました。島全体では22門の大砲が置かれていました。
砲台跡には、毒ガス工場時代にタンクを置いていた基礎部分が残っています=2021年11月、水野梓撮影
砲台跡には、毒ガス工場時代にタンクを置いていた基礎部分が残っています=2021年11月、水野梓撮影

日露戦争後に国内の要塞が見直され、芸予要塞は使われないまま1924年に廃止。当時は数軒の家族が暮らす、平和な島だったといいます。

火薬庫跡は、島の頂上に続く道とともに2018年の土砂崩れで地中に埋もれてしまいました。環境省制作のパネルも見えません。山内さんは「このままの姿でも残してほしい」と訴えます=2021年11月、水野梓撮影
火薬庫跡は、島の頂上に続く道とともに2018年の土砂崩れで地中に埋もれてしまいました。環境省制作のパネルも見えません。山内さんは「このままの姿でも残してほしい」と訴えます=2021年11月、水野梓撮影
その後、毒ガス工場が置かれ、朝鮮戦争の時には米軍が「火薬庫」を弾薬置き場に使用。山内さんは「地図から消され、3度戦争に利用された島」と表現します。

風船爆弾も作られた「発電所跡」

1周4kmほどの大久野島。徒歩なら1時間ほど、休暇村でレンタルできる自転車なら20分ほどでぐるっと回ることができます。

急な坂道を下って、フェリーの船着き場が見える海岸の方へ戻ってきました。

廃墟と化している大きな建物は、毒ガス工場の発電所の跡地です。周辺からウサギがぴょこぴょこと出てきます。
毒ガス工場の電力を発電していた発電所跡。増築して計8台の発電機があったそうです=2021年11月、水野梓撮影
毒ガス工場の電力を発電していた発電所跡。増築して計8台の発電機があったそうです=2021年11月、水野梓撮影
島には13~15歳の子どもたちも動員され、その数は約1100人。防空壕を掘ったり家屋を解体したり、毒ガス缶を運んだり……危険な作業にも従事しました。

この発電所では1944年からひそかに行われた「ふ号作戦」により、風船を飛ばしアメリカ本土に爆弾を落とす「風船爆弾」の気球をつくっていたといいます。動員された女学生は和紙をこんにゃくノリで貼り合わせていました。

島に動員された子どもたちも毒ガスの被害を受け、戦争が終わった後も病院通いを続け、苦しんだ人たちがたくさんいるそうです。

現地でしか感じ取れない雰囲気

日が傾きはじめ、山内さんのガイドはここで終了です。

明治学院大3年の稲川聖さんは「『毒ガス工場』という知識はあったけれど、訪れてみると『ここで作っていたんだ』という現地でしか感じ取れない雰囲気があった」と話します。

山内さんは中国・瀋陽生まれで、赤ちゃんの時に父の地元の竹原市に引き揚げてきました。毒ガス被害に遭った中国人との交流も続けています=2021年11月、水野梓撮影
山内さんは中国・瀋陽生まれで、赤ちゃんの時に父の地元の竹原市に引き揚げてきました。毒ガス被害に遭った中国人との交流も続けています=2021年11月、水野梓撮影
中学生の時にウサギを目的に訪れたことがあったという県立広島大3年生の橘高一姫さんは「現場を見ながら話を聞く機会ってなかなかありません。特に平和教育では原爆被害のことばかり学んでいたけれど、加害の事実や毒ガスの怖さを知ることができた」と言います。

学生を指導する高原孝生・明治学院大学国際学部教授は「現地で魅力的な人に会ってもらいたい」とリアルな旅の重要性を指摘します。

広島や長崎を思い出す時、絵はがきの風景ではなく、『あの人がいる場所だ』『いま何をしているだろう』という身近さで思い返してほしい」と話します。

ガイドがない場合は……

山内さんは、島は「無言の証人」だと指摘します。山内さんは「フィールドワークで実際に当時の悲惨な歴史を物語る遺跡を見ると、違った反応がある。言葉や映像で伝えるだけではなく、その場に立つことで、何かを感じるということがありますよね」と言います。

ウサギの島のイメージで来る方もいて、見方はそれぞれ違ってもいい。でも、こんな『加害の歴史』の面を持つ島だということも知ってもらいたい

山内さんのガイドは平和教育に限られていますが、「毒ガス資料館」や貯蔵庫跡・慰霊碑などに足を伸ばし、環境省が設置したパネルを読むだけで、感じることがあるのではないかと思います。
毒ガスを使ったり遺棄したりといった「加害」、毒ガス工場で働いた人々の被害の歴史も学べる場です=2021年10月、水野梓撮影
毒ガスを使ったり遺棄したりといった「加害」、毒ガス工場で働いた人々の被害の歴史も学べる場です=2021年10月、水野梓撮影
島の毒ガスの実験には、ウサギ200匹も使われていたといいます。終戦時に処分され、現在、島に住むウサギたちはその子孫ではありません。

しかし「平和」だからこそ、ウサギは無邪気に人々にすり寄ってくる。その状況が本当に尊いものだと考えさせられます。

思わず顔がほころぶかわいいウサギと、毒ガスの戦跡……そのギャップは正直に言うとうまく表現できません。ただただ、いつまでもウサギをめでられる世の中でいてほしい。だからこそ記憶をつないでいかなければと感じました。

◆大久野島の旅の楽しみ


竹原・三原周辺の名産はタコ。ホテル「休暇村」のカフェエリアで食べられる「たこ天うどん」でおなかを満たしました


JR三原駅のコンビニで売っていた駅弁「たこめし」も具だくさんで美味です



休暇村の日帰り入浴施設では、ラドン温泉で島巡りの汗を流せます(画像は
ホームページより)。
太平洋戦争で「加害」「被害」の交差点となった温泉・銭湯を訪ねたエッセイ本『戦争とバスタオル』(安田浩一・金井真紀/亜紀書房)でも紹介されています。

◆大久野島へのアクセス
JR忠海駅から徒歩5分ほどの忠海港フェリー乗り場へ。船着き場のそばの売店で切符を購入。島までは15分ほど。

広島市からは、広島バスセンターから忠海駅まで高速バスで1時間40分。1泊2日のバスツアーなら、原爆ドームや資料館を見学後、翌日に向かうこともできます。
広島空港や三原駅でレンタカーを借りるのも便利です。

旅の予定を立てる場合は、ひろしま竹原観光ナビの「モデルコース」が参考になります。

◆この記事は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です。

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