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連載

#10 #自分の名前で生きる

留学先で旧姓使用「完全に詰んだ」の声 海外で記者が体験した現実

旧姓使用を要望したものの、大学からは「パスポート表記の名前と同じでなければいけないため」と受け入れられなかった
旧姓使用を要望したものの、大学からは「パスポート表記の名前と同じでなければいけないため」と受け入れられなかった 出典: 村井七緒子撮影

目次

結婚後も仕事で旧姓を使い続ける人は珍しくありません。記者である筆者もその一人。戸籍姓との使い分けに特段の不便を感じることもなく、旧姓で仕事を続けてきました。しかし今年6月、ベルギーの大学院を受験した経験から「旧姓の通称使用」は日本の外では通用しないと痛感しました。その体験をSNSで発信すると予想外の反響があり、海外のさまざまな場面で旧姓が使えず、困った経験をした人が大勢いることを知りました。(朝日新聞記者・村井七緒子)

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連載 #自分の名前で生きる

村井七緒子:2011年、朝日新聞入社。大阪本社地域報道部、鳥取総局などを経て経済部記者(休職中)。21年9月からベルギーの大学院でメディアとコミュニケーションを勉強中です。

私は今、ベルギーの首都ブリュッセルに住んでいます。配偶者の赴任にあわせて、2020年4月から仕事を休み、家族でベルギーにやってきました。

ベルギー・ブリュッセルの観光名所で世界遺産に登録されている広場、グランプラス。正面の高い塔の建物は市庁舎
ベルギー・ブリュッセルの観光名所で世界遺産に登録されている広場、グランプラス。正面の高い塔の建物は市庁舎 出典: 村井七緒子撮影

ブリュッセルは自然豊かな公園がいくつもあり、欧州連合(EU)の主要機関や北大西洋条約機構(NATO)の本部があるため「ヨーロッパの首都」とも言われています。いろんな国の人が集まり、外国人にも暮らしやすい街です。

大学院受験、余計な手間に苛立ち

ベルギーでの大学院の受験は昨年の冬ごろに考え始めました。

そこから、卒業した大学の成績証明書など受験に必要な書類集めをスタート。結婚による改姓などで卒業時から名前が変わった人は、成績証明書の発行に戸籍謄本のコピーを提出する必要があることを知ったのも、準備を始めてからでした。

大学の成績証明書の表記は旧姓です。受験先の大学院に対して現在の戸籍姓と同一人物であることを証明する必要があり、そのための書類をいくつも用意しなければなりませんでした。

戸籍謄本は日本語表記のみなので、翻訳サービスに発注して英訳してもらうなど、追加の時間とお金がかなりかかりました。
ブリュッセルにはEUの行政執行機関である欧州委員会の本部もあります
ブリュッセルにはEUの行政執行機関である欧州委員会の本部もあります 出典: 村井七緒子撮影
名前がそのままだったら不要な作業なのに――。
苛立ちが募り、結婚による改姓の不利益を強く感じました。

旧姓と戸籍姓の同一性をやっとのことで証明したのに、いざ大学院に合格すると、学生として旧姓を使う選択肢はありませんでした。大学院がパスポート表記しか認めなかったためです。
納得がいかず、どこにもぶつけようのない悔しさが残りました。日本では「通称」でも事足りていたけど、海外では旧姓は通用しないんだなと実感しました。選択的夫婦別姓にはもともと賛成の立場でしたが、このとき初めて自分事になったのだと思います。

ショックな気持ちをツイートすると100以上のいいねが付き、反響の大きさに驚きました。「通称使用拡大はどこまでいっても日本国内でしか通じない話」「ガラパゴスにも程がある」などの引用リツイートもされました。
フリッツと呼ばれる太めのフライドポテトはベルギーの国民食で、街中のスタンドで買って昼食にすることも。ソースの種類も豊富です
フリッツと呼ばれる太めのフライドポテトはベルギーの国民食で、街中のスタンドで買って昼食にすることも。ソースの種類も豊富です 出典: 村井七緒子撮影
この出来事を自分のなかで終わらせたくないと、詳細をnoteにまとめました。選択的夫婦別姓の議論を進めるうえで、個別具体の困った事例を一つでも多く世に放つことに意義があるとも思いました。

海外で旧姓は「完全に詰む」経験者が語る

すると、私のツイートや投稿に共感して自分の経験を共有してくれる人が次々と現れました。

号泣している絵文字つきで「私の留学時と似てて辛い」と引用リツイートしてくれた岡田恵利子さん(@koeri) は、デンマークに子連れ留学したときにさまざまな場面で旧姓使用を試みた経験をnoteに書いています。
まずは日本でのパスポートの旧姓併記の手続きを済ませて渡航。併記されたパスポートをもとに、アパート賃貸契約に始まり、海外留学保険、住民登録、留学先大学でのメールアドレスや学生証……これら全ての手続きのたびに旧姓使用を交渉しましたが、旧姓のみの使用は一度も認められませんでした。

当初は、飛行機やビザ(デンマークではResidence Permit)だけ戸籍姓で取得し、あとは日本と同様に旧姓を通称で使おうと考えていた岡田さん。しかし「海外が絡むと旧姓の通称利用は完全に詰む」という認識に至りました。
筆者が受験した大学から「パスポート表記の名前と同じでなければいけない」と旧姓使用を拒否されたメール
筆者が受験した大学から「パスポート表記の名前と同じでなければいけない」と旧姓使用を拒否されたメール 出典: 村井七緒子撮影
岡田さんは日本で所属する大学からの交換留学でしたが、もし、その大学で卒業証書や学位を取得することになっていたら、旧姓のみでの発行は恐らく不可だっただろうと考えています。

旧姓で実績を重ねてきた研究者にとっては、日本の外で旧姓が使えない状況は深刻な問題だろうと思います。

「国に名乗らせてもらっている」と感じた記者

一方で、海外の大学院で旧姓で学生証を発行してもらえたケースも聞きました。

長年、政治部記者としてキャリアを積んだ朝日新聞デジタル事業センター長代理の松村愛さんは、15年前にニューヨーク大学の社会人向けスクールに通った際、旧姓の「Matsumura」で学生証を発行するよう申請しました。国際関係を学ぶうえで、政治部記者としての職歴を役立てたいと考えたそうです。

希望通り発行されましたが、申請に多くの手間を費やしました。パスポートは戸籍姓表記のみだったため、会社に英文の証明書類を作ってもらい、署名記事や英字入りの名刺、国際会議を取材した際の旧姓のプレスカード(記者証)などを提出したといいます。
ムール貝の白ワイン蒸しもベルギーの名物料理の一つ。これで一人前です。レストランでもたいていフリッツが添えられます
ムール貝の白ワイン蒸しもベルギーの名物料理の一つ。これで一人前です。レストランでもたいていフリッツが添えられます 出典: 村井七緒子撮影
問題は、海外でも旧姓使用できるか否かだけではありません。認められるとしても、そのためにいくつも資料を集めて提出しなければならない。その手間が、改姓して旧姓使用を望む人にだけ課される状況を、社会として良しとしたままでいいのでしょうか。

「仕事を離れて海外に出れば、自分というものを証明してくれるものは国が発行するパスポートしかない」と感じた松村さん。海外で開かれた国際会議を取材した際にも同じことを思ったそうです。

取材のための記者証がパスポートの戸籍姓で発行され、「このときは外務省が証明してくれて初めて旧姓を名乗れました。あー、国に名乗らせてもらっている、と感じた」と振り返ります。だからこそ、旧姓を通称ではなく正式な名前として名乗れるように、国に動いてほしいと多くの人が望んでいます。
 

旧姓併記は意味がない、海外特派員の実感

海外特派員の経験がある同僚記者からも反応がありました。

元ロサンゼルス支局長で経済部記者の藤えりかさんは、米国ビザを旧姓併記で取得したものの「ほとんど意味をなさないことが多い」という実感をツイートしてくれました。
 
入社同期でエルサレム支局長の清宮涼さんも、パスポートの旧姓併記はほとんど意味がないと感じているとのこと。旧姓で記者をしていますがビザが戸籍姓表記のため、現地の記者証もやむなく戸籍姓で発行したそうです。
この記者証は、主にイスラエルが設けているパレスチナ自治区に入る際の検問所で提示します。また、建物入口でのセキュリティーチェックのために事前登録が必要な取材では、登録時にパスポート表記の戸籍姓も伝える必要があるといいます。
 

窓口で念押しされるパスポートの旧姓併記

パスポートの旧姓併記については、日本の申請窓口で「トラブルや不利益が起こりうる」と説明されたケースが多々あることも、今回の反響で初めて知りました。

私自身は、渡航した2020年時点で、「パスポートの旧姓併記」申請には海外での研究や仕事の実績といった必要性を証明する書類提出が必要でした。そのため、海外取材の経験もなく無理だろうと申請することなく諦めました(2021年4月以降は旧姓が確認できる戸籍謄本や住民票などの提出で申請可能になりました)。
美食の国でもあるベルギー。なかでも有名なビールは種類が多く、小規模なスーパーでもかなりの売り場面積を占めています。棚の端まで全部ビール!
美食の国でもあるベルギー。なかでも有名なビールは種類が多く、小規模なスーパーでもかなりの売り場面積を占めています。棚の端まで全部ビール! 出典: 村井七緒子撮影
前出の岡田さんは、申請窓口の人から「渡航先でトラブルになっているケースがあるのであまりお勧めしませんが、それでも併記しますか」と念押しされたそうです。

銀行口座やクレジットカードの名義では旧姓が使えないことを念頭に、市役所の窓口の人から「個人情報を余分に載せるのに実質は使い道がない」との説明を受けたという人もいました。

2021年4月から、パスポートの旧姓の表記方法が単なるカッコ書きから、新たに「旧姓/Former Surname」と書き加えられるなど、外務省は利便性の向上に努めていますが、ビザや航空券で旧姓が使えないことには変わりありません。

別姓を選択したい人の声を聞いて

今回、自分の身に起きた話を聞いてほしいと発信したことで、逆に大勢の人が旧姓使用にまつわるさまざまな困りごとを経験していたことを知りました。

選択的夫婦別姓の導入には以前から賛成でしたが、旧姓を使用する当事者の具体的な苦労や不利益は十分認識できていなかったと痛感しています。希望通りに旧姓が使えずに悔しい思いをしている人も少なくないと思います。

海外で旧姓を使おうとすれば、日本の社会背景や旧姓を使いたい理由を自分で都度説明しなければならず、それでも認められないことも多いため、個人には大きな負担です。
ベルギーで知り合った、国際結婚した日本人の多くは日本名のまま家庭を築いています。日本でも外国籍の人との結婚なら夫婦別姓を選べます。

家族との法的つながりを失うことなく自分の望む名前のまま社会で生きられるように、日本人同士でも別姓のまま結婚できる制度が必要ではないでしょうか。

選択的夫婦別姓は、間近に迫った総選挙でも争点の一つになっています。なぜ旧姓の通称使用拡大ではだめなのか。別姓を選択したい人の声に、まず耳を傾けてほしいと改めて思います。

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