芸能界にもメンタルケアを…カウンセラーの夢かなえた元乃木坂46
アイドル時代、過食や適応障害に苦しんだ中元日芽香さん
適応障害から回復し、カウンセラーの夢をかなえた元乃木坂46の中元日芽香さん 出典: 遠藤啓生撮影
回復したら、私も「人を支える」側になりたい――。アイドルグループ「乃木坂46」で活躍していた中元日芽香さんは、適応障害と診断されて休業したときの〝出会い〟から、カウンセラーとしてのセカンドキャリアを歩み始めました。芸能人やアスリートのメンタル面が話題になる現状に、「気軽に相談できる環境を整備してほしい」と訴えます。カウンセラーの仕事に就くまで、そしてこれから大学で研究したいことを聞きました。
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中元日芽香(なかもと・ひめか):1996年、広島県生まれ。2011年に15歳でアイドルグループ「乃木坂46」に初期メンバーとして加入。適応障害と診断されて一時休業したのち、2017年にグループを卒業。自身の経験から、心理カウンセラーになることを決意。日本推進カウンセラー協会認定、心理カウンセラー・メンタルトレーナー。認知行動療法やカウンセリング学を学び、2018年にカウンセリングサロン「モニカと私」を開設。現在は早稲田大学在学中。著書『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』(文藝春秋)を出版。広島県内向けのNHKラジオ第一「ひろしまコイらじ」で「中元日芽香のココロふわっと」に出演中。
――乃木坂46で活躍されていた中元さんは、選抜メンバーに選ばれ人気絶頂のさなか、「適応障害」と診断されていったん活動を休止されます。きっかけはありましたか?
友人から「最近仕事どう?」と聞かれたときに、言葉が出てこなくって。何かがプツッと切れてしまいました。
がむしゃらにアイドルの仕事をしていて「疲れている」「しんどい」という自覚は全くなかったんです。でもふと、「楽しい?」って聞かれたときに答えられなくって。
それで初めて、身体の疲れ、自分が今までふたをしてきた感情や、選抜やアンダーメンバーという序列をつけられるしんどさに気づきました。見て見ぬ振りをしていましたが、蓄積していたんだと思います。
――気持ちが切れてしまう前に、その気持ちをメンバーに相談するのは難しかったですか?
話をしたら聞いてくれる子たちばかりだったと思います。でも私の中に、「誰かに相談する」という発想がありませんでした。
ほかのメンバーからすると、〝普通に元気にやっていたひめたん〟が、なぜ仕事を休むことになったのかが分かりません。後になってから「言ってほしかった」と言われたこともありました。
――すぐに涙が出てしまう、現場へ行こうとすると足がすくんでしまう……そんな症状に悩まされます。この状況の時、ご自身で病院を受診したんですね。
当時もばりばり仕事はしていましたが、急に休んでしまうことも続いたんです。迷惑をかけているなと思っていたので、いったんお医者さんの意見を聞いてみようと思いました。
――「適応障害」と診断されたときはどんな気持ちになりましたか?
まず「適応障害ってなんぞや?」と思いました(笑)。受診する前に自分で調べたときは、うつ病かなと見当をつけていました。
当時はまだ検索しても「適応障害」に関する記述はあんまり充実していなくて、体験談も少なくて。お医者さんに「それ何ですか?」と聞き返したのを覚えています。
厚生労働省のページで紹介されている「適応障害」 出典:厚生労働省の情報提供サイト「e-ヘルスネット」
処方薬をのみはじめ、医学的に診断してもらえて楽になったような気がしました。
自分が「甘え」や「怠惰」で仕事に行けないのではなく、客観的にみても「休んでいいよ」と言われる状態なんだということに安心したような感覚でした。
――なぜカウンセラーには自分の正直な思いを話せたのだと思いますか?
いい意味で第三者だからでしょうか。もしマネージャーさんに話すとしたら「やる気がない」と思われたくないと感じただろうし、乃木坂のみんなや友達だったら「一方的にネガティブな話はしたくない」「いい子でいたい」という思いが先にきてしまったと思います。
年齢の近いカウンセラーさんで、話しやすくて、私がどんな話をしても引かないだろうという安心感がありました。
中元さんはオフィシャルサイトで活動情報を発信しています 出典:中元日芽香さんのオフィシャルサイト
――「5年間も頑張り続けてきたことがすごいこと。誰もができることじゃない」「今まで自分が泣けなかったから、代わりに身体が泣いてくれていたんだね」……そんな言葉をかけてもらったそうですね。すぐに相性の合うカウンセラーに出会えたのは幸運でしたね。
自分がカウンセラーの仕事をし始めて、相性は影響が大きいと思いました。
「中元は違うな」と感じた方もいらっしゃるでしょうし、逆に、スクールカウンセラーに話をしたけどしっくりこなかったので来ました、という人もいらっしゃって。人に話を聞く技術ももちろんですが、相性やタイミングも大事なんですね。
――メンタルの不調を訴える芸能人や著名人も増えています。中元さんは、芸能界にもっとメンタルサポートがあった方がいいと思いますか?
それは思います。私のように診断にたどりつけただけでも恵まれているのかなと感じます。
長い間、「よく分からないけど不調」とか「涙が出てきて止まりません」とか、原因があいまいな状態で活動している方もいるのかもしれません。
芸能人である前に、一人の人間です。もちろん一時的な波は誰にでもあると思いますが、それが続くようだったら、メンタルケアを受けてほしいです。
メディアに出ていると、アイドルだったら「いつも楽しそう」とか、かっこいい俳優さんだったら「強そう」とかイメージがついてしまうけれど、見えないところでしんどい思いをしている人もいるのだと思います。そこまで追い詰められて仕事をしてしまうのは心配です。
芸能人だけでなく、アスリートもそうですが、メンタルの問題に注目が集まるようになったのはいい傾向だと思います。
しんどいなと思ったら休んだり、誰かを頼ったりできる環境の整備をぜひやってほしいです。
――中元さんは適応障害と診断される前も、過食に苦しみ、唯一ストレスを発散できるのが食べ物だったそうですね。15歳で乃木坂に参加し、シングルごとに「選抜」がある……そんな状況では悩みも多いのではないかと思いました。
10代ってまだまだ心がやわらかい時期で、同じできごとでも30歳と15歳では受け止め方が違うと思うんです。
当時言われたことや経験したことって、大人になってもずっと覚えている……そんな繊細な時期なんだと思います。
子どもにとっては、自分が組織で評価されなかった時、「自分が悪いんだ」「価値がないんだ」と思うしかないですよね。
アイドルの前に、ひとりの女の子として向き合ってあげる環境になるといいのかな。
――中元さんは一時復帰したあと、2017年に乃木坂46を卒業されます。著書には、当時の心境を「演じていた『ひめたん』に侵食されていき、乗っ取られそうになった」と振り返っています。
現場を離れて、そういうことだったんだろうなと考えました。
「よいしょ」と仕事モードになったときは「ひめたん」でいた方が楽だったこともあります。
たとえば、パーソナルな質問をされたとき、素の私って面白いことが言えないし、何を言ったらいいかって迷っちゃうんです。
こころの悩みを「気軽に相談できる環境が整ってほしい」と話す中元日芽香さん
でも、ひめたんでいれば、ある程度「こういうこと言うだろうな」と想像できたし、いじられキャラとして相手がほしい「返し」も臆せずできました。
素の私はアイドルに向いていないので、「ひめたん」をまとっていたときの方がラクだったんです。
それがだんだん、家でも抜けきれなくなって。「素の自分」が分からなくなってきた……という感覚だったと思います。
――「周りに求められている自分を演じてしまう」というのは、多くの人が生きづらさを感じている原因でもあると思います。
カウンセリングをしていても、そうおっしゃる方がいます。
「おちゃらけキャラ」とされているけれど、空気を読んで振る舞うのがだんだんしんどくなってきたとか。「家族の前ではいい子でいたい」という子も。会社に入っても「こう見られたい」とかってありますよね。
外向きの顔があってもちろんいいと思います。でも、ずっと求められるままに応じていると疲れてしまいます。どこかでスイッチをオフにして、頑張らない時間があってもいいんじゃないかな。
――卒業後、カウンセラーの道を進まれます。「カウンセラーになる」というのはいつごろから考えていたのでしょうか。
最初にカウンセリングを受けた時から、「なんて素敵な仕事なんだろう」って思いました。
病院でもらった薬をすでに服用していましたが、即効性のあるものではありません。
でも、カウンセリングは「1回話しただけでずいぶんスッキリしたぞ」とすごくびっくりした体験だったんです。
カウンセリングが救いになっていたそうです(写真はイメージです) 出典: PIXTA
「話す」って日常的にする、シンプルな作業ですよね。でもそれによって自分の色んな感情を思い出して、心が動いて疲れて……。
まずは自分が元気になるのが先だけれど、将来のキャリアを考えたとき、回復したら「人を支える」「誰かの力になる」立場になりたいなと思いました。
――カウンセリングの方法や心理学の養成校で学びながら、適応障害から回復していくのは大変ではありませんでしたか。
こういう理由で悩んでいる人がいるんだ、心ってこうやって回復していくんだと学ぶことで、「私もそうかもしれないな」「私はこの段階かもしれないな」と感じました。学びが回復と直結していました。
――2018年からカウンセラーの仕事を始め、現在は早稲田大学の通信で学んでいるそうですね。今後やりたいことはありますか?
人間科学部で幅広く学んでいますが、いま研究しようとしているのが「過剰適応」と呼ばれる、いわゆる「いい子」な子どもたちのことです。
小さな頃に問題行動が出た子は、先生から注意されたり、理由を聞かれたりします。けれど、「いい子」は困っていると思われないので、自分の心情を話す機会がありません。
そういった子が、大人になってからメンタルを病んでしまったり、会社でうまくいかず気持ちを吐き出すのが苦手になってしまったり、様々な問題を抱えています。ルーツをたどると幼少期の過ごし方がリンクしているんです。
いつも「いい子」だった人が大人になって、「誰かに頼る術」をどうやって得ているのか。研究していきたいと思っています。
――コロナ禍で人に会う機会や雑談もなくなり、「頼る術が分からない」問題は多くの人が抱えているかもしれませんね。中元さんそんな人たちにどんなふうにSOSを出してほしいと思いますか?
カウンセラーの仕事でも感じるのは、モヤモヤやイライラといった漠然としたネガティブな感情を抱えていて、その原因が分からないという方が増えてきたなということです。
コロナで生活環境が変わり、ランチしたり小旅行したり、雑談したり飲み会をしたり……そんな気分転換がセーブされている状況ですし、おうちの中で行動できることって限られています。
特別いやなことがあったわけではなくても、イライラがたまっていることもあると思います。そのイライラをひもといてみる。「以前はこんなことに癒やされていたな」「こんなことが楽しかったな」とか、掘り下げてみてもいいのかなと思います。
もしひとりで自分を客観視するのが難しければ、カウンセラーでも、企業の産業医さんやスクールカウンセラーさんを頼ってもいいと思います。そうすればモヤモヤが大きくならずにすむのではないでしょうか。
――乃木坂46での6年間を振り返ってみて、もし心を壊していなかったらアイドルを続けていたと思いますか?
「やりたいことが次に見つかるまでやろう」って思っていました。だから、見つからなくて長くいたとしても、どっちみちそこで「セカンドキャリアはどうしよう」って悩んでいた気がします。辞めてから分かったことですが、アイドルって本当にすごい仕事だなって思います。
「倒れてよかった」とは思っていませんが、自分の夢にたどりついて、日々楽しく仕事ができている。通った道への後悔は全くありません。
――著書にも書かれていましたが、意を決して2019年の夏、乃木坂46のライブを見にいかれます。その後、「プツッと切れてしまったきっかけ」でもあった「仕事どう?」という質問に、「楽しいよ」と答えられていましたね。
びっくりするぐらいスッと「楽しいよ」という言葉が出てきました。
無理に繕っている様子もなくて、心からそう思っているんだと感じました。客観視している私が「よかったな、これが言えるまでに回復したんだ」って安心しているような感じでした。
――自分を救ってくれたカウンセラーの仕事が、中元さんにとっても支えになっているんですね。
カウンセリングの時間は、「かっこいいところ」だけじゃない素の自分を見せられる、見せてもいいところです。そんな居場所を提供できていたらうれしいなと思っています。