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下された診断は「窃盗症」元マラソン代表・原裕美子さんが明かす過去

摂食障害に苦しみ、万引きで7度の逮捕。過去を詳細に明かした理由は――

「楽しいから走る」という気持ちがわいてきたのはここ最近だと話す原さん(写真・貴田茂和、双葉社提供)
「楽しいから走る」という気持ちがわいてきたのはここ最近だと話す原さん(写真・貴田茂和、双葉社提供)

目次

現役時代の厳しい体重制限から、食べたり吐いたりを繰り返す摂食障害に陥り、窃盗症にも苦しんだ元マラソン日本代表の原裕美子さん。長年、自分の苦しみを打ち明けられず「ダメな自分が許せなかったし、頼ることは負けだと思っていた」と振り返ります。自身の過去を包み隠さず明かす『私が欲しかったもの』(双葉社)を出版した理由とは――。(withnews編集部・水野梓)

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原裕美子(はら・ゆみこ)さん:1982年、栃木県出身。2000年に京セラに入社し、2005年に名古屋国際女子マラソンで優勝、世界陸上マラソンで6位入賞。2007年には大阪国際女子マラソン優勝。ユニバーサルエンターテインメントに移った2010年には北海道マラソンで優勝した。現役時代から摂食障害と窃盗症に苦しみ、2018年2月の執行猶予中の万引きを含め、計7度逮捕された。

また家族を傷つけないか、葛藤はあった

――ご自身の経験や、当時感じていた生きづらさをつまびらかに書くことにためらいはありませんでしたか?

万引き事件を起こして家族にものすごく迷惑をかけたので、本を出すことでまた家族を傷つけないか、今の勤め先やバイト先にも迷惑をかけないかと悩みました。

現役時代の厳しい体重管理から、食べては吐くを繰り返していた原さん。食べ吐き用の食べ物を万引きするようになってしまいました。

“ふとした瞬間に「おかしな人が大量買いしている」と思われている気がしてならず、万引きを繰り返すようになっていました”

“全神経を集中して万引きを成し遂げ、店を離れると、ピリピリした気持ちが一気に緩みます。その緊張からの解放が、快感になっていました。今抱えているストレスを、一瞬だけすべて忘れさせてくれました。それを味わうため、私は繰り返し万引きをしていたのです"

――『私が欲しかったもの』(双葉社)より
――それでも出版する背中を押したのは何だったのでしょうか。

私が苦しんでいたとき、「こんな風に治った」と参考にできるような本はありませんでした。
自分の体験を本にして読んでもらえば、いま苦しんでいる多くの人が救われるんじゃないか――と考えました。

2018年、執行猶予中にまた万引きで捕まり、留置場で死のうとしたけれど死ねませんでした。
弁護士の先生にそう伝えたら、「原さんが病気を克服することで、同じ病を抱える人たちに勇気を与えることができる」という言葉をいただきました。
“摂食障害も、窃盗症も、隠そうとすればするほど、抱えきれなくなって、自分を追いつめていました。病気を隠すことよりも、克服することにエネルギーを使うことで、こんな私でも誰かの役に立てるのかもしれない、と初めて思えたのです”
――『私が欲しかったもの』(双葉社)より
その言葉があってから、「絶対に治してやろう」「誰かの助けになりたい」と前向きに考えられるようになりました。
普通に暮らしたい。
食べ吐きすることも万引きすることもなく、ただ平穏に1日を過ごす。
私にとって、それがどれだけ大変なことか、身に染みてわかっているからこそ、この時、そう強く願いました”
――『私が欲しかったもの』(双葉社)より

ふたたび「死のうかな」が頭をよぎったこともありましたが、先生の言葉を何度も何度も思い返して、2カ月間の長い留置場での生活を過ごしていましたね。

コントロールできなくなる病気がある

原さんが初めて万引きしていることを打ち明けたのは、摂食障害の治療で通っていたクリニックのカウンセラーでした。2011年、勧められるままに専門病院へ入院しましたが、当時は自身が「窃盗症」という病気だとは思えなかったといいます
――15年以上苦しんでしまった一番の理由を、原さんはどう振り返っていますか?

抱えているものを誰にも打ち明けられず、一人で抱え込んでいたことですね。

――初めて入院した時は、自分が窃盗症という病気だとはなかなか思えなかったそうですね。

「万引きなんて自分は絶対にやらない」と思っていたのに手を染めてしまい、さらにはじめの頃は気持ちでやめられたので、まさかやめられなくなる病気につながるとは思わなかったんです

いま、コロナで仕事などが思うようにいかず、軽い気持ちでやってしまう人もいると思うんです。手遅れになる前に治療してほしいと思います。

――著書では、病を乗り越えていくには「治す気持ち」「新しい環境」「適切な治療」が大切だと訴えられていましたね。

そうですね。そして「一人で悩まないで」と伝えたいです。心の鎧を脱いだら、思わぬ人が手をさしのべ、力になってくれました
 
2005年、世界選手権でマラソンを走る原裕美子さん(左)。すでに食べ吐きが日常化していたといいます
2005年、世界選手権でマラソンを走る原裕美子さん(左)。すでに食べ吐きが日常化していたといいます 出典:食への執着と窃盗症「狂っていった」 元陸上代表の告白:朝日新聞デジタル

頼ることは負けじゃない

――いまでも「食べてスッキリしたい」と思うときはありますか。

そう思うときはありますが、今は音楽を聴いて気分転換するという方法を見つけました。
朝落ち込んでいても、聴いていればいつの間にか歌を口ずさんでいて、「あれ?なんか楽しいな」と気づきます。
あとは走りにいきます。心も体も軽くなるんですよ。

それでもダメなときは、頼れる、信頼できる友達に連絡をして、話を聞いてもらったりしています

友達を頼ってみたら、なんとかしようと親身になって考えてくれるし、そんな友達がいるからこそ、「後戻りして傷つけたくない」「大切にしたい」とも思います。

打ち明けてから、頼ることって負けじゃないんだ、大切なことなんだと気づきました。
“これまでの人生において、誰かに助けを求めるという選択肢が私の中にはありませんでした。いつもどこかで、マラソンという競技と生活のすべてを繫げていました”
“「自分がこんなに弱いのは努力が足りないからだ」と考えていました”
――『私が欲しかったもの』(双葉社)より
――仕事やバイト先、市民マラソンのお手伝いなど、いくつかの居場所がある大切さは感じますか?

共通しているのは元気になれる場所だということですね。どんなに疲れていても、笑顔に、元気になれる。自分にはなくてはならないものです。

マラソン大会をお手伝いするようになり、市民ランナーや運営ボランティアの方とのふれあいがあって、あの人に会うのが楽しみだなぁとか、「走る速度はそれぞれでいいんだ」と思えるようになりました。

――マラソン関係者の皆さんも原さんを応援したい気持ちがあるんでしょうね。

陸上の関係者だからこそ、もうあきれられた、受け入れてもらえないと思っていたんです。
実はその逆で、「戻ってきてうれしいよ」「幸せになってよ」と声をかけてくださる人ばかりでした。
今は、走ることが「気分転換」にもなっています(写真・貴田茂和、双葉社提供)
今は、走ることが「気分転換」にもなっています(写真・貴田茂和、双葉社提供)

「楽しいから走る」気持ちがわいてきた

――これまで原さんは「自分が心地よいから、楽しいから走っている」という感覚はなかったんですね。

現役時代は、自分のために走るなんてことは全くなかったです。
「学生まではお金を払って陸上をしている。社会人になったらお金をいただいて陸上をさせてもらっているんだ」と指導を受けていました。走ることは仕事で、結果を出さなきゃいけない。その通りだと思うんです。

勝てばみんなが喜んでくれる、大会後にこんなに楽しくおいしくごはんが食べられる、だから勝ちたい、という方が大きかったです。

「走っているのが楽しい」という気持ちがわいてきたのは、本当にここ最近ですね。市民ランナーとして、マラソン大会に出るようになってからです。
 

捨てた体重計「今はゆるさがある」

――今は体重を気にすることはありますか?

体重計は捨てちゃったし、今は気にすることはありません。
会社の健康診断で久しぶりに乗っただけ。だいぶ増えていましたけど、標準の範囲内だから、いっか、と。気にしていません。

走って身体を引き締めることもありますが、雨の日は走らないし、今はそういう「ゆるさ」がありますね。

――居酒屋のバイトもすごく楽しいとおっしゃっていましたね。

以前は、お客さんに自分の過去を知られるのが「どう思われるのかな」と不安でした。
先日は遠くから来て下さった方が私に気づいて検索していましたが、以前よりも気にならなくなりました。その人も「また来るからね~」と言ってくれました。

本当にありがたいことに、私のまわりは私の過去を知っていながら、悪い部分も含めて受け入れてくれる方が非常に多いんです。

ダメな自分を平気で出せているし、隠さなくていいことがとても楽で、打ち明けてよかったなぁと思います。冗談を言うとか、素の自分で色んな人と接することができていて、非常に楽です。
 
陸上やフィギュアスケートなど多くのアスリートが摂食障害に悩んでいます
陸上やフィギュアスケートなど多くのアスリートが摂食障害に悩んでいます 出典:「おまえが重いからだ」女子選手襲う摂食障害 残る影響:朝日新聞デジタル

「幸せになっちゃいけない」からの変化

――著書の中の「捕まった人は幸せになっちゃいけないと思っていた」という言葉が印象的でした。いつごろから「そんなことはないんだ」と考えられるようになりましたか?

過去にあんな過ちを犯した自分であっても、好きになってくれる人がいるんだ、と知ったころですね。
過去に負い目があって「自分は表には出られないんだ」と思っている人っていると思うんです。そうじゃないんだよ、と伝えたくて、本の中でもふれました。

――間違ったことをしても、やり直せる社会であってほしいですよね。

最後の判決後に入院し、退院した後、いろいろな人にこう言われました。
「しっかり反省したあとは、自分が前に進むためにはどうしたらいいか、考えることの方が大切なんだよ」と。

――そのひとつが「伝えていくこと」であり、それを通じて苦しんでいる人の役に立つということなんですね。

そうですね。どう立ち直っていくか、それには何をするべきかを考えて行動した方が、自分も家族も友達も笑顔になってくれると思っています。

原裕美子『私が欲しかったもの』(双葉社)
【インタビュー後編はこちら】苛烈な指導が生んだ「食べ吐き」元マラソン代表・原裕美子さんの後悔

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