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被災地の再興「普通の人」が抱いた不安 「行政が計画潰そうと…」
変わりゆく故郷を支えた底力
もうすぐ東日本大震災の発生日、3月11日を迎えます。福島県相馬市に住む男性は、津波によって故郷を一度失いました。「それでも、海の匂いがする街に帰りたい」。そんな思いから、漁師町をよみがえらせようと、住民のリーダーとして力を尽くしてきました。これまであまり語られなかった、当地に住む「普通の人」の10年間。安心して生きられる土地を手に入れるまで、そして被災の記録集を編もうと奮闘した日々について、男性の手記「凡人の十年」を基に振り返ります。(withnews編集部・神戸郁人)
2011年秋、相馬市に住む理容師・立谷幸一さん(67)は悩んでいました。行政に示した、市沿岸部の土地の高台移転を求める嘆願書に対し、何の反応もなかったからです。
海沿いの「東部地区」に住む人々の多くは、津波により自宅を失っています。そこで立谷さんが住民有志と立ち上げた組織「東部再起の会」は、安全な土地への移住を望む、1400人分の署名を集めました。そして、その年の夏、市・福島県・国に提出したのです。
ところが3カ月以上、全く音沙汰がありません。「行政は会を嫌い、潰そうとしている」。周囲では、そんな心ない噂(うわさ)まで立つ始末です。
「俺たちの思いは伝わらなかったのか……」。立谷さんは落胆しつつも、辛抱強く返事を待ち続けることにしました。
すると10月になって、立谷さんの携帯電話に、相馬市長から直接連絡が入ります。「東部再起の会の会長と、市長室に来てほしい」。「一体何だろう?」。立谷さんたちに、緊張が走りました。
そして市長は、二人と対面すると、こう告げたのです。
「一緒に東部地区を造ろう」
願いは、確実に届いていたのでした。立谷さんは、手記で感情を爆発させています。
「あのときは、もったいぶって『一度持ち帰らせてください』と返事をしたけれど……。本当のところ、会長さんと二人で『やったなぁ』という思いで、喜びをかみしめました」
その後、会としても、市長の提案を了承します。いよいよ東部地区の移転に向け動き出したものの、課題は山積みでした。
まず元々の住宅地から内陸寄りの高台にある、候補地の地権者から、土地を買い取らねばなりません。そして実際に交渉を始めると、「別の高台に住みたい」という声が一部の住民から出始めたのです。
立谷さんたちは、東部再起の会会員の親戚から説得を始め、徐々に対象者を広げていきます。「浜が望め、安心して過ごせる土地で生活しませんか」。会の活動に不信感を抱く人にも、粘り強く働きかけました。
こうした活動のさなか、立谷さんにとって、うれしいニュースが舞い込んできました。2012年3月8日、約1年前に津波で流された理容店を、内陸部で再開したのです。更に同じ日、息子の陽一郎さん夫婦に、男の子が産まれたのでした。
立谷さんの中で、故郷再建への思いが、一層大きくふくらんでいきます。熱情に背中を押され、市と協力を続けた結果、2014年1月に全ての住宅用地を取得できました。その後、同年9月になって、ついに土地の造成が完了したのです。
「素人の発想から、このような土地ができあがるとは、感動で涙がこみ上げてきます」。立谷さんは、手記に喜びをつづっています。
そして2015年春、2カ所・計9ヘクタールほどの土地に建てられた、約120戸の災害公営住宅で、待ちに待った入居が始まりました。
一人ひとりの微力も、組み合わされば、地域を動かす強力(ごうりき)になる――。立谷さんは、そう実感しました。
ところで立谷さんには、もう一つ気がかりだったことがあります。震災や津波の脅威にまつわる資料を、どう後世に残していくか、という課題です。
集団移転計画が本格化し始めた、ある日。立谷さんは新聞社や出版社が刊行した、被災地の写真集に目を通していました。
各地の惨状をとらえた写真が、数多く掲載される一方、相馬市に割かれていたのは数ページほど。500人近い住民が、津波で犠牲になったにもかかわらず、ごく小さな扱いでした。
「これでは、現状を伝え残せない」。立谷さんは危機感を強め、自ら先頭に立ち、地域独自の記録集を編むことにしたのです。
2012年9月、東部再起の会のメンバーや、理容店のお客さんに、震災後に撮影された写真の提供を依頼します。ほどなくして、大量の関連画像を撮りためていた、市内の男性のもとに行き着きました。
受け取ったデータのうち、とりわけ圧巻だったのが、街に襲い来る津波を収めた写真群です。中学生の息子が、高台にある自宅の2階でシャッターを切り続けたといい、見る人に劇的なインパクトを残す構図でした。
約1カ月で2千枚ほどの写真が集まると、地元の印刷業者も巻き込み、編集作業に取りかかります。関連費用は100万円ほどに膨らみ、「個人で支払えるのか」と心配する立谷さん。しかし、知人が寄付金で一部賄ってくれたこともあり、冊子の試作に打ち込みました。
そして2013年3月11日、100ページの記録集「2011.3.11を忘れないために! 永遠(とわ)にあなたの心に…」を発行します。津波に押し倒された標識、壊滅した立体駐車場、人がひしめく避難所……。市内全域の状況を、生々しく伝える内容に仕上がりました。
「見たいけど、見たくない」「ほしいけど、つらい」。1200冊を市内の被災者に提供すると、誰もが複雑な思いを抱きつつ、受け取ってくれました。あまりの需要の高さを受け、増刷がかかり、300冊ほど追加で届けることになったのです。
変わりゆく故郷を支えたいとの思いが、実を結んだ瞬間でした。
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