連載
#6 テツのまちからこんにちは
鉄道ファンをうならせた…SL名車の案内板に書かれた「締めの言葉」
日本の近代化を支え「誕生の地で休養をとることに」
今年で100周年を迎える日本有数の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。笠戸島の宿泊施設「国民宿舎 大城(おおじょう)」には、「鉄道のまち」らしくグリーン席がソファとして使われていますが、鉄道ファンをうならせるものが外にもあります。
瀬戸内海に面した丘の上に展示されていたのは、往年の名車。その説明版に書かれていた言葉は……。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)
オーシャンビューのロビーに、新幹線で使われていたグリーン席が置かれていた「大城」。取材で一度行ってから、必ず泊まりに行きたいと思っていました。1月初め、満を持して1泊。名物のヒラメ料理や瀬戸内海に沈む夕日を満喫しました。
翌日、チェックアウトを済ませて車で宿を後にすると、外の駐車場に黒光りする大きな車体が見えました。「機関車がある!?」。すぐ引き返し、第3駐車場に立ち寄りました。
大城が建つのは小高い丘の上。そこには一両の蒸気機関車が展示されていました。前方には、「D51 592」の文字が書かれ、海の先に下松市街地を望むようにたたずんでいます。側面には、「日立」のプレートが付いていました。
D51といえば、昭和の鉄道輸送を支えた最もポピュラーな機関車の一つ。「デゴイチ」の愛称は蒸気機関車の代名詞にもなっています。その592号機で、日立製作所が当時の呼び名の笠戸工場でつくった車両でした。
昭和48年(1973年)に下松市が設置した説明書きのプレートには、こう書かれていました。「このD51型式592号機関車は昭和15年11月本市の(株)日立製作所笠戸工場で誕生し主に山陽本線を32年間走りつづけてきました」
D51は、1936年から45年にかけて全国各地で1100両あまりがつくられました。「大きくて力持ち」な車両で、主に貨物輸送のために活躍してきました。全盛を誇った名車も、現在国内で線路を走る姿が見られるのは2両だけになりました。一つがJR東日本の「SLぐんま」などの498号機で、もう一つがJR西日本で使われている200号機。「動態保存」と呼ばれるレアなケースです。
200号機は、JR山口線の新山口(山口市)―津和野(島根県津和野町)駅間を走る「SLやまぐち」でも使われ、私も昨年拝むことができました。当時客車を引っ張っていたレギュラーの蒸気機関車C57が突然故障して、その代役で京都から駆けつけてくれたのです。今年は定期点検のため、残念ながら山口線で見られる見通しは立っていません。
一方、博物館や野外で展示されているものは「静態保存」と呼ばれています。私が生まれ育った川崎市の公園にもありました。至る所に残されていて、珍しいとまではいきません。しかしここ下松の車両は、製造されたまちで保存されている点では、特別な存在だと言えるでしょう。しかも笠戸事業所100周年の節目に見られて、一段と胸が熱くなりました。
というのも、592号機の説明プレートがこう締めくくられていたからです。「動力の近代化がすすむにつれて蒸気機関車が姿を消すようになり力強く勇そうに走りつづけたこのD51型式592号機関車も我が国鉄道開通100年の記念すべき年に当り誕生の地下松で休養をとることになりました」
今週のテツ語「SL」
蒸気を動力源にして走る機関車のことで、「Steam Locomotive」の略。国産のものでは、1893年製造の860形が最初でした。電車やディーゼル機関車に置き換えられ、一度1970年代半ばに国鉄の営業運転からは姿を消しましたが、同時に動態保存の動きも加速していきました。近年はJR各線のほか、大井川鉄道、秩父鉄道などの私鉄でも乗ることができます。昨年11、12月には、人気漫画「鬼滅の刃」とコラボし、「無限」のヘッドマークを付けた8620形(通称「ハチロク」)が九州で運行し、注目を浴びました。
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