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連載

#20 帰れない村

我が子のように育てた牛が…原発事故で殺処分になった乳牛、紙芝居に

震災直後の状況を紙芝居で伝える石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之撮影
震災直後の状況を紙芝居で伝える石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
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紙芝居、飼育の牛モデルに

昨年10月、福島市で避難生活を送る石井絹江さん(68)の「石井農園」で小さな収穫祭が開かれた。

ボランティアら約30人が集まり、栽培したエゴマを収穫した後、参加者には石井さんの故郷・旧津島村の郷土料理が振る舞われた。栗おこわにキノコ汁。エゴマを使った、食べれば十年長生きするといわれる「じゅうねんぼた餅」……。

ボランティアらと一緒にエゴマの収穫をする石井さん(右)=2020年10月、福島市、三浦英之撮影
ボランティアらと一緒にエゴマの収穫をする石井さん(右)=2020年10月、福島市、三浦英之撮影

会場では、紙芝居も披露された。

タイトルは「浪江ちち牛物語」。原発事故後に放置された乳牛が、酪農家によって安楽死させられていく物語だ。擬人化された牛たちが、原発事故や人間たちへの思いを語る。飼い主を信じ、慕い、やがて殺されていく牛たち。石井さんがかつて飼育していた牛がモデルになっている。

震災直後の状況を紙芝居で伝える石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之
震災直後の状況を紙芝居で伝える石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之

殺処分のシーンで潤んだ声

震災前は町職員だった。原発事故後、仮設住宅暮らしで酪農家の夫が体調を崩したため、体を動かして仕事ができるよう、2015年に避難先でエゴマ栽培を始めた。

エゴマ畑を背景に写真を撮る石井さん(右)=2020年10月、福島市、三浦英之撮影
エゴマ畑を背景に写真を撮る石井さん(右)=2020年10月、福島市、三浦英之撮影

その際、農業委員会の活動を通じて知ったのが、「浪江まち物語つたえ隊」の紙芝居だった。自らの経験を話し、紙芝居の作品に仕上げてもらった。

乳牛の出産時、牛の胎児は人間が胎内から引っ張り出さなければいけない。何時間も掛けて必死に取り上げ、夫が我が子のようにして育てた牛たちは、原発事故で多くが殺処分になった。

震災後、夫が話してくれた。「殺処分のトラックに乗せられる時、牛がとても悲しそうな目をするんだよ。わかるんだろうな、牛たちもきっと」

そんな記憶と重なったのか、紙芝居の殺処分のシーンでは、声が潤んだ。

「悲しくて、切なくて、耐えがたい思いでした。でも、紙芝居を読むことで、当時の気持ちを多くの人に知っていただければと思っています」

生後3カ月の孫を抱きかかえる石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之撮影
生後3カ月の孫を抱きかかえる石井さん=2020年10月、福島市、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者

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