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連載

#28 帰れない村

300年超続いた田植え踊りが「途絶えてしまう…」 避難者の悔しさ

道具置き場から神楽の道具を取り上げる三瓶専次郎さん=2020年10月、福島県二本松市、三浦英之撮影
道具置き場から神楽の道具を取り上げる三瓶専次郎さん=2020年10月、福島県二本松市、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
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帰還困難区域に指定され、今も住民が住めない浪江町津島地区=朝日新聞社
帰還困難区域に指定され、今も住民が住めない浪江町津島地区=朝日新聞社

衣装や道具を新調したが

「ここだ、ここだ」

福島県二本松市にある浪江町役場・二本松事務所の一室。福島市で避難生活を送る三瓶専次郎さん(72)は懐かしそうに積み上げられた収納ボックスに手を掛けた。

中に納められているのは、旧津島村に伝わる伝統芸能「田植(た・う)え踊り」の衣装や道具たち。三瓶さんは2004年から、南津島集落の郷土芸術保存会の会長として、地域の文化と伝統を守り続けてきた。

道具が真新しいのは、原発事故後、放射能に汚染された集落から衣装や道具を持ち出すことができず、最近新調したためだ。今は新型コロナウイルスの影響で踊り手が集まれず、練習することさえできない。「このままだと、集落の伝統は途絶えてしまうな……」と三瓶さんは悔しそうにつぶやいた。

地域つないだ300年超の伝統芸能

田植え踊りに参加したのは高校卒業後だった。津島では田植え踊りは毎年2月に行われ、「鍬頭(くわ・がしら)」などの役を演じる成年男子がそれぞれの衣装を身にまとい、集落の家々を回って「田植え」や「稲刈り」などの演目を踊る。農作業の順序を一通り踊って豊作を祈る伝統芸能で、300年を超える歴史があると伝えられている。

踊り手たちは毎晩のように「庭元」と呼ばれる世話人の家に集まり、三瓶さんも集落の兄貴分に厳しく踊りを指導された。大変だったが、地域の一員になれた気もして誇らしかった。

道具置き場からおかめの面を取り出す三瓶専次郎さん=2020年10月、福島県二本松市、三浦英之撮影
道具置き場からおかめの面を取り出す三瓶専次郎さん=2020年10月、福島県二本松市、三浦英之撮影

「なんとかして残せないだろうか」

原発事故後、三瓶さんはなんとかして、その「誇り」を取り戻そうとした。

しかし、衣装や道具もなく、約40人いた踊り手もどこに避難しているかわからない。何より、旧津島村は全域が帰還困難区域になり、豊作を祈願するべき田んぼさえ存在しないのだ。

「なんとかして残せないだろうか」と三瓶さんは力なく言った。

「田植え踊りは我々にとって、異なる世代を結びつけ、地域のみんながわっと集まれる『ふるさと』そのものだったんだ」

 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』と、震災直後に宮城県南三陸町で過ごした1年間を綴った『災害特派員』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
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