連載
#221 #withyou ~きみとともに~
聴覚障害のあるギャルの〝虚勢〟解かした友「一緒にいると楽しいよ」
「ギャルが来たぞ!」
ギャルの格好をすることは、私にとっての「虚勢」だった――。聴覚障害のあるギャルが、高校生活で出会った、意外な仲間たち。女性の当時の記憶を、イラストレーターのしろやぎ秋吾さんが漫画にしました。女性が、仲間たちと過ごした時間で得たものはなんだったのか、書面で聞きました。
神奈川県に住む30代のとも子さん(仮名)は、「いわゆる高校デビューでした」と、膝上丈のスカートにルーズソックス、ギャルメイクをほどこし高校時代を過ごしました。
とも子さんは、先天性難聴の当事者で、中学時代は突発性難聴の治療のため、入退院を繰り返す生活。本格的に学校生活を謳歌できるようになったのが高校生になってからだったため、入学直後からプリクラやカラオケなど、当時の女子高生の流行を目いっぱいに楽しむ毎日で、「友だちと話すのがとにかく楽しくて仕方なかった」。
「高校に入るまでは、ステロイドの副作用などで太ったりしていて、見た目がぼろぼろだったんですよね。でも、高校に入ってからは、ダイエットをしたり、髪を染めたり、ピアスの穴をあけたりしました」
派手な格好をする理由の一つに、とも子さんの「『聞こえない人はおとなしいというイメージ』を打ち消したい」という思いがありました。
「聞こえなくても、流行を知っていると思われたかった。虚勢を張っていたんです」と、当時の心情を振り返ります。
ギャルの格好をしていると、自然に周りにもギャル仲間ができました。
当時のとも子さんの聞こえには波があり「私、耳がこっち(比較的聞こえ、補聴器をしている右耳)しか聞こえなくて、病気で聞こえなくなったりするんだ」と、仲間たちには伝えていていました。
仲間たちからは「そうなんだー」とか「いまは聞こえてるんだね」といった反応があり、筆談で会話をしてくれたり、聞こえないことに対して嫌みを言う先生に文句を言って戦ったりもしてくれていたそう。
しかし、とも子さんの症状には波があり、全く聞こえなくなってしまう期間もありました。
そうなると仲間たちの反応や、自分自身の心境にも変化が。
「いざ聞こえなくなると会話がなくなってしまい、一緒に行動する自分自身がいたたまれなくなりました」。そして、「ああ、自分はこっち側の人間には、なれないんだな」と感じるように。
元々、人と話すことが好きで、さみしがり屋だったとも子さんは、集団の中でひとりになる怖さを感じたといいます。
仲間たちからも、「なんでうちらと一緒に来るの?」と言われたり、拒否するような態度をとられたりすることも増え、とも子さんから一緒に行動することをやめました。
「必要以上にひっついて、疎まれることがいやだった」。入学して1カ月が経った頃でした。
とも子さんは、「この頃は、『自分だけの病気だし、周りは聞こえている。なにを言っても伝わらないし、気持ちを理解してもらえない』と思い込み、卑下し、気持ちがひきこもっていた」と振り返ります。
とも子さんの症状の一つに、聞こえなくなる前にひどい耳鳴りで音がどんどん遠くなるというものがありました。
そんなときは体を休ませ、眠ることにしていましたが、「これで寝たらもう明日には聞こえなくなるな」と落ち込むしかなかったといいます。
そして起きると案の定聞こえなくなっていて、「起きて、聞こえないことを実感するたびに泣きました」。
気持ちがふさぎ込んでいたとも子さんでしたが、同時期に新たな出会いがありました。
ギャル仲間から距離を置きだした頃の、美術の授業中のこと。
先生から「絵を描くスピード速いね。美術部に興味ない?」と誘われたのです。
元々絵を描くのは好きで、中学時代も美術部だったとも子さんは、声をかけられたことで美術部に関心を持ち、入部することに。
すると、そこには、いまでも二科展に作品を出すような「ガチ部員」や、マンガ家を目指す同級生など、個性豊かなメンバーがそろっていました。
「絵を描くわけでもなく、ただ『たまっている』という感じでしたが、突然粘土をこねだしたり、油絵を描きだしたり、七宝焼を焼き出したり…ポテンシャルが高い人が多く、ギャップがおもしろかった」
一方で、美術部に現れたとも子さんの見た目はギャル。
「『なんかギャルが来たぞ!』『え?入部?本気?』と言われたことも覚えています」と楽しそうに振り返ります。
実際、美術部に入部してからは、楽しいことの連続で、「入退院を繰り返していた中学時代にはできなかった、恋愛や、人との関わりを持つことができた。楽しくて、『青春!』な高校時代でした」ととも子さん。
美術部でのとも子さんとのコミュニケーションは、スケッチブックにイラストや文字を書くことで成り立っていました。
「私が声をだすこともありましたが、漫画的な表現で、スケッチブック上で筆談していることがほとんどでした」
とある先輩は、とも子さんの聞こえを自ら疑似体験してくれました。
「『どういう風に聞こえないの?』と聞かれたので、『ずっと耳鳴りが止まなくて、スカスカした遠い音がしている感じ』と説明すると、耳鳴りがわりの音楽をヘッドホンでガンガンに流しながら、音が聞こえにくい状況を作って体験してくれました」
すると先輩は、「これはしんどいね。人の気配も感じられないし、寂しくもなるね」と共感してくれたそう。
それからは、道を歩いているときも、自転車が後ろから来たときに声をかけて安全な場所に誘導してくれたり、遠くの友人から話しかけられたときに通訳をしてくれたりしたのだそうです。
そんな経験を重ねる中で、とも子さんは、少しずつ変わっていきました。
美術部に入る前までは、「聞こえない自分はお荷物だ」「邪魔者だ」「価値がない」など、自分を否定していました。
ただ、美術部の仲間たちから「なんでそんなに自分を落とすの?」「一緒にいると楽しいよ」と声をかけられたことで、「少しずつ『聞こえない自分』を受け入れつつ、自己肯定感を高められるようになったと思う」ととも子さん。
「聞こえるか聞こえないかは関係なく、なんとか殻を破るきっかけだったり糸口をみつけることができたら、きっと変われます」と「いま悩みを抱えている人」にエールを送ります。
20歳のときには、遺伝子の変異で起こる「前庭水管拡大症」と診断されたとも子さん。
最後に、聴覚に障害のある当事者として、関わる人たちに伝えたいメッセージも送ってくれました。
「(聴覚に障害がある人にとって)聞こえないだけで『あ、いいです』『なんでもないです』と、会話を避けられるのは本当に寂しい行為です。聞こえないことで聞こえる人から拒否されていくのは、『社会から外れてひっそりとしなきゃいけないのか』と切り捨てられるようなつらさがあります」
聴覚に障害のある人と関わる時に考えてほしいというのが、「手話以外にどうコミュニケーションをとればいいか」ということだといいます。
とも子さんは、「手話はハードルが高いというのは理解できる」とした上で、「ジェスチャーでも通じるものがあるし、筆談も堅苦しく考えずに、ただサラッと一言だけでも伝わります」
「自分がもしそういう人と会ったら、どうコミュニケーション取ってみるかを考えてもらえたら嬉しいです」と、とも子さん。心のバリアフリーがなくなることを願っています。
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