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見送られた聖火リレー「福島コース」走ってみた、住民の意外な反応
3月26日午前10時。この時間に聖火リレーが全国に向けて出発する予定だったスポーツ施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)の上空は雲に覆われていました。「復興五輪」の象徴として福島県を出発し、全国を巡る予定だった東京五輪の聖火リレー。新型コロナウイルスの感染拡大で二転三転の末、見送られました。スタートするはずの日、記者がルートの一部を走り、いまの福島の姿を感じました。(朝日新聞福島総局記者・小手川太朗、力丸祥子)
3月26日、出発式典が予定されていた「Jヴィレッジ」9番ピッチに私たちはいました。五輪マークやトーチを掲げて走るピクトグラムなどが描かれた特設ステージが残っています。午前中、ヘルメットをかぶった人たちが脚立や台車を運び込み、解体作業が始まりました。
作業を手伝った千葉市の電気工事業高野宏一さん(47)はステージの電気系統の設営も担い、晴れ舞台を心待ちにしていたと言います。
「今日はスーツを着てスタートに立ち会うはずだった。楽しみにしていたので、残念です」
高野さんは聖火とともに全国を回り、各地の聖火イベントの会場設営を担う予定でした。「数カ月間の仕事のスケジュールが白紙になってしまった」と、落胆した様子で話しました。
Jヴィレッジは1997年、国内初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されました。9年前の東京電力福島第一原発事故の後、事故対応の拠点となり、2019年4月に全面再開。「復興五輪」の象徴の一つとして、聖火リレーの出発地に決まりました。
浪江町出身で茨城県筑西市から車で来た浦島喜久子さん(77)は、沿道から聖火ランナーを応援するのを楽しみにしていました。「会場を見られただけでも感無量。津波の被害を受けたところと、原発の被災地では復興の状況も違う。そんな様子が伝わるリレーを1年後に期待したい」と話しました。
リレーの第1区間は最寄りのJR「Jヴィレッジ駅」までの約700メートル。沿道にはリレーを盛り上げるのぼり旗は見つからず、人の姿もほとんどありませんでした。
次に向かったのは、福島第一原発が立地する大熊町。2019年4月に町の一部で避難指示が解除され、町民約160人が暮らしています。
東電の社員寮と災害公営住宅が向き合う町道約1キロが聖火ルートでした。正午ごろ、交通規制を知らせる立て看板を撤去していた仙台市の男性(38)は「1週間ほど前に看板を立てるときはワクワクしたけど、今日はがっかり」。看板をワゴン車の荷台に積見込んでいました。
「五輪もリレーも興味ない」と話すのは災害公営住宅で暮らし、縁側で知人と語り合っていた山本重男さん(70)。昨年7月、いわき市の仮設住宅から戻って入居したといいます。自宅は帰還困難区域でバリケードの向こう側です。
「汚染水問題や廃炉の進め方など課題はたくさんある。復興どころじゃない」と語気を強めました。
その隣町、4日に避難指示が解除されたばかりのJR双葉駅(双葉町)では、聖火はきれいに舗装された駅前広場の約500メートルを周回する予定でした。走ってみて「えっ、ここだけ?」と、あっけにとられました。
少し裏道に入るとガラス戸が割れた薬局や棚が倒れたままの雑貨店など原発事故から時が止まったままの街の姿が残り、真新しい駅舎とは対照的な光景が広がっています。知人を案内するために訪れたいわき市の大谷慶一さん(71)は「双葉はまだまだこれから。1年経ったら町の景色も変わるだろうし、聖火ルートは変更になるかもしれないね」と話しました。
浪江町では、聖火は国家プロジェクトとして整備する工業団地内の約600メートルを走る計画でした。団地内には世界最大級の水素製造施設が完成し、聖火台と聖火リレートーチの燃料に使われる予定でした。
一方、民家の取り壊しや新しい店の建設が進む町中心部から約3キロ離れた沿岸部にあり、住民からは「国が新しい施設をアピールしたいだけ。せっかくなら町中を走り、良いところも悪いところも見てほしかった」との声も上がっていました。
1日目のゴール地点となる南相馬市では、俳優の斎藤工さんやアイドルグループ「TOKIO」のメンバーも走ることもあって、大勢の人出が見込まれていました。
午後4時半、騎馬武者の聖地として知られ、今回は式典が予定された雲雀ケ原祭場地を訪れると、ウォーキングをする人が数人いるだけでした。
ランナーの1人、市立石神第一小6年の早坂優一さん(12)はTOKIOのメンバーにトーチを渡す役でしたが、中止を知ると「頭が真っ白になった」と言います。
トーチはデザイナーの吉岡徳仁さんが15年10月に復興支援として小学校を訪問。早坂さんらと桜の絵を描き、その体験をもとにデザインされました。早坂さんは「来年はより多くの人が来てくれるはず。堂々と走りたい」と前を向きました。
Jヴィレッジや産業団地、きれいに整備された駅前。「聖火は福島のきれいな場所しか走らない」と、約50キロあるコースのうち一日目のコースの16.2キロの一部キロを走ってみて、率直にそう感じました。
福島で普段生活していると日常的に目に入る除染廃棄物のフレコンバッグや、放射線量が高い帰還困難区域を隔てるバリケードなどはルートからは見えませんでした。「本当の姿が伝わらない」という住民の不満も納得できました。
一方、聖火を心待ちにしている人たちがいるのも、また事実でした。印象的だったのは、大熊町の公営住宅に住む村井光さん(70)です。
2019年11月に話を聞いた時は、「聖火なんて興味がない」と話していました。しかし、この日は「知り合いが走るはずだったんだ……」と少し落ち込んだ様子でした。聖火リレーや五輪が、避難で離ればなれになった住民が再開するきっかけになっていることも知りました。
福島県に住んで取材を続ける記者として、復興が進む姿と、まだ手つかずの状態の両方を報じることが大切だと改めて感じました。
来年、聖火リレーは福島から再スタートします。その間、復興が進む街並みもあれば、変わらない現実もあります。聖火リレーを通して、世界に伝えたい被災地の姿とは何か。「復興五輪」を掲げるならば、光だけでなく、影も発信するため、ルートを再考する余地があるかもしれません。
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