連載
#17 ○○の世論
福島県民に9年間、聞き続けた「質問」 結果が語るシビアな現実
「福島県で元の暮らしができるのはいつですか?」。震災発生後の2011年から、福島県民に聞き続けてきた調査があります。直近の調査で「10年ぐらい」と答えた人は17%いましたが、最も多かったのは「20年より先」というものでした。「もう事故前のような社会に戻ることはない」。東京電力の福島第一原子力発電所での爆発事故をシビアに受け止める地元の気持ちの移り変わりを追いました。(朝日新聞記者・四登敬)
福島県民の世論調査は震災から半年後に初めて実施し、翌年からは毎年2月か3月に行ってきました。今年は2月22、23日に実施しました。
その中で、「福島の復興への道筋が、どの程度ついたと思いますか」という質問を、震災翌年の2012年から毎年聞いています。
2012年の調査で、復興の道筋が「ある程度ついた」と答えた人は、わずか7%。「大いについた」という人はいませんでした。92%が「ついていない」でした。
その後、道筋が「大いについた」と「ある程度ついた」と思う人は少しずつ増え、2015年は合わせて3割、2017年は4割になり、昨年ようやく半数を超えました。
インフラの復旧や除染作業の進展に合わせて変化してきたように見えます。今年の調査は「ついた」は合わせて50%で、昨年の52%から横ばいでした。
では、福島の人たちは、いつになったら、元のような暮らしができると思っているのでしょうか。そんな質問も続けています。
震災2年後の2013年は「福島県全体で、元のような暮らしができるのは、今からどのくらい先になると思いますか」と聞きました。
この年から選択肢に「20年」も加えましたが、最も多いのはやはり、いちばん遠い将来の「20年より先」でした。
2014年の調査でこの質問をしていませんが、2015年からは毎年、同じ質問をしています。
毎年同じ人に聞いているわけではありませんが、論理的に考えると、2015年に「10年ぐらい」と答えた人は、5年後の今年は「5年ぐらい」という具合に、「20年より先」は減っていくだろうと思いました。
ところが、2016年以降、ずっと半数以上が「20年より先」と答えており、いっこうに減る傾向が見られません。
どんな人が「20年より先」と答えているのか、今年の調査結果を詳しくみてみます。
男女別では、男性の方が厳しく受け止める人が多くいました。
そして年代別で見ると、40代や50代で「20年より先」と答えた人の割合が高い傾向がありました。
いま40代、50代の人は事故当時は30代、40代でした。一般的には家庭を持ち、働き盛りの世代。そして今から20年後となると、60代や70代になっています。復興の中枢を担ってきた世代の多くが、自分の代で復興を遂げるのは難しい、と受け止めていることがうかがえます。
なぜ、こうした結果になったのでしょうか。
福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの初沢敏生教授(経済地理学)は「20年より先」という回答に、「もう事故前のような社会に戻ることはない」というシビアな思いが込められている、とみます。
事故を起こした福島第一原発の廃炉作業は、40年かかると言われています。原発の周りの土地には、除染作業で出た大量の汚染土が中間貯蔵されています。汚染土は、30年以内に福島県外で最終処分されることになっていますが、初沢教授は「多くの県民が、実際にはもっとかかると考えているのではないでしょうか」と言います。
人口減少も深刻です。震災後に何年もたって避難指示が解除されても、戻ってくる住民は減っているのが実情です。
「住民が少ないので、商業施設や病院といった生活インフラを整えることが難しくなります」。初沢教授が福島県南相馬市で、2016年に避難指示が解除された地区の商工業者にアンケートをしたところ、避難先で売り上げが回復している業者ほど、元の場所に戻ってこない傾向があったそうです。
初沢教授は58歳。40代や50代で「20年より先」が多かったのは、「築いてきた生活基盤を事故でいっぺんに破壊されたので、改めて築き直すのは大変だと考える人が多いのだと思います」と推測してくれました。
福島県内には、いまだに放射線量が高く、住民の立ち入りが原則禁止されている「帰還困難区域」が約340平方キロも残っています。双葉町など7市町村にまたがり、山手線の内側の約5倍、福岡市や名古屋市の面積に匹敵する広さです。こうした区域のほとんどは、避難指示が解除される見通しさえ立っていません。
調査結果は、原子力災害がもたらす被害の途方もない大きさを、改めて感じさせるものでした。
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