お金と仕事
後進の「キャリアモデル」を目指し…銀行の総合職とバスケ選手を両立
「SMBC TOKYO SOLUA」の平田彩乃さん

お金と仕事
「SMBC TOKYO SOLUA」の平田彩乃さん
18日に開幕する女子バスケトップリーグの「Wリーグ」2部に、メガバンクが親会社となる「SMBC TOKYO SOLUA」が参画することになりました。その立ち上げに奔走したのは、総合職として働きながら、選手としても活躍する平田彩乃さん(33)です。仕事や家庭生活に集中しようと引退しましたが、1年半のブランクを経て復帰。会社員とアスリートを両立する上で意識していることとは――。(ライター・小野ヒデコ)
平田彩乃(ひらた・あやの)
「スタッフとして関わるつもりが、周りからは『いつ復帰するの?』と言われて。ケガをした選手の代わりに、練習に助っ人としてバスケをする機会が増えていくにつれて、『やるならちゃんとやりたい』という感情が芽生え始めました」
「SMBC TOKYO SOLUA」で選手として活動していくことについて、そう語るのは、長崎県出身の平田彩乃さんです。
バスケットボールを始めたのは小学3年生。高校ではインターハイやU18の代表選手に選出され、全国大会優勝の常連校の選手たちと切磋琢磨する機会を持ち、「恵まれた環境で過ごしました」と言います。
その一方で、トップクラスのレベルの高さを肌で感じ、「プロまでは無理だろうな」という思いを胸の片隅に抱いていました。その時の気持ちを「努力で埋まるものと、埋められないものがあると思った」と表現します。
大学は早稲田大学に進学し、4年間バスケに情熱を注ぎました。しかし最後の全日本学生選手権(インカレ)につながるリーグ戦まであと1週間となった時、アキレス腱を切ってしまった平田さん。ベンチ入りもできず、客席からチームメイトたちを見守ることしかできませんでした。
「あの時は、人間的に試練を与えられたと思うしかありませんでした」と言います。
同じタイミングで、地元の長崎で国体が開催されました。国体選手としても出場予定だったにもかかわらず、その機会も奪われてしまいました。
「地元の国体で優勝、そして大学リーグも優勝できたら、バスケット人生としては“有終の美”なんです。でも、そのどちらも叶わなかった。その時の悔しさが今につながっているのかもしれません。ケガをしていなかったら、大学で引退していたはずです」と振り返ります。
将来の仕事を考えたときに、「バリバリ働きたい」という思いもあり、就活に励んで三井住友銀行に入行しました。
社内の女子バスケ部に入部し、土日の試合には出続けていました。そのバスケ部の引退を決意したのは入社7年目の頃。「仕事はもちろん、婚活をしたかった」といいます。いったん、約20年のバスケ生活に終止符を打ちました。
その後、結婚して思い通りバリバリ働いていたなか、選手の数が足りなかったため、一度は古巣の女子バスケ部に「半年」という約束で戻りました。半年が経った後もマネージャーとしては関わり続け、試合観戦には行っていました。
出向先の日興証券で営業としてキャリアを積み、管理職になる目前のタイミングだった2023年、転機が訪れました。
「当行として女子バスケトップリーグのWリーグに挑戦するか否かを話し合うプロジェクトチームに呼ばれました。考えた挙句、そのオファーを受け、銀行に戻る決断をしました」
そして、「SMBC TOKYO SOLUA」が誕生し、女子バスケのトップリーグ「Wリーグ」2部に2025-26シーズンから参画することが決まりました。
当初、平田さんは選手ではなく、スタッフとして関わっていくつもりだったといいます。
「自分で決めて引退したので、選手に戻りたいという気持ちは特になかったですね。食生活などの日常生活を一般的なものに戻し、体重を7kgほど落としました。それくらい自分の中で区切りをつけていました」
当初は、周りの「いつ復帰するの?」という言葉も「冗談」だと思っていたそうです。
「プロジェクトを進めていくうちに、仕事と競技の両立の大変さを身に染みて理解しているのは自分だとも思い始めたんです」
ヘッドコーチからも「(練習だけして試合に出ないのはもったいないから)やるならちゃんとやれば」と言われたことで、3回目の復帰を決断したといいます。その決断をするまで、何度も逡巡したと振り返ります。
「結婚したばかりで思い描いていたライフプランもあったため、迷いました。そんな中で、夫も応援してくれて、『やってみれば』という言葉が後押しになりました」
チームメイトやコーチ陣は旧知のため、環境的には復帰のハードルは低かったそう。最年長選手なので、「最前線でバリバリ頑張るフェーズではなく、チームの底上げをするのが自分のミッション」と話します。
今年10月から始まるシーズンに向けて、週6で練習に励みました。そうは言っても、平田さんは総合職のフルタイム勤務。平日は17時30分前後に終業後、練習場所へ急いで向かい、20時まで練習。その後自主練をし、体育館を出るのは大体21時半だといいます。
「これまでに筋肉をつけて8kg体重を戻しました。ベンチプレスは40kgを上げられるようになりました。大学時代は32kgが限界だったので、更新しています。以前に比べて疲労は溜まるので、リカバリー(回復)の時間はきちんと取っています。こんなに練習したのは大学時代ぶりです」と苦笑いします。
現在の平田さんの仕事は、社会的価値創造推進部で、キャリアとバスケを両立することがミッションです。そのための体制整備をすることや、自身がキャリアモデルになることが評価対象になると言います。
自己肯定感はあまり高くなかったと話す平田さんですが、社会人になってから少しずつ考え方が変わっていったといいます。
「多くの方々に支えられ、応援してもらっている中で、『私なんか』と言ってしまったら、その人たちの思いや行動を無駄にするのでは、と思うようになりました。ネガティブな発想とか発言は、なるべくしないよう意識するようにしています」
チームメイトのほとんどは時短で働く20代。「どういう仕事をやりたいか、どんな資格を取っておいた方がいいか」といったキャリアの相談を受けることも多いといいます。
平田さん自身、競技と仕事、そして家庭を両立する日々を送っています。そのポイントは「溜め込まずに来たものをどんどんさばくこと」と話します。
「営業時代の習慣で、何事も予測します。例えば、明日この報告をしたら上司はどういう反応をするかのパターンをA ,B,Cの3つ想定し、それぞれの場合にどう返すか、どの資料を用意するかを考え、着地したい方向への方法を考えます」
またミスをすると、挽回に3倍の時間がかかることが多いため「石橋を叩いて進むことがタイムマネジメントに繋がると思っています」と話します。体力的にハードな生活を送っているものの、復帰後は食事や睡眠を徹底的に管理したことで体調は崩さなくなったそう。
現役生活は、「1シーズンだけという気持ちです。でも、辞めてもまた復帰するんでしょ?と言われてしまいそう」と笑顔を見せていました。
「今の生活スタイルを続けるには、夫の支えがないと不可能です。家のことは夫のおかげで回っている面は大きいです」
総合職のバスケ選手として、新たな道を切り開いている平田さんは、「直接的に収益を生み出す営業から、お客様との接点がなくとも間接的に利益を生み出す今の仕事に就き、視野が広がったのは間違いありません」と言います。
銀行も、今では働き方や仕事内容の多様化で、誰もが支店長や頭取を目指すのではなく、各分野でのエキスパートを目指す方向にシフトしているそうです。
「営業を突き詰めるのは一旦やめました。今後、若い世代から『キャリアも築きながら選手としてもやっていきたい』という人が出てきた時のため環境整備や土台作りに新たに挑戦していきたいです」
そして、「バスケとキャリアをしっかりと両立しつつ、選手を引退したら、社内のキャリアの山の一角を登っていきたいです」と見据えます。
ライフステージでの変化を大きく受けるのは女子アスリートの特徴でもあり課題でもあります。
若い世代のアスリートに向けて、平田さんは「様々な選択肢がある中で、自分にとって何が最適かをよく考えて、やりたいと思ったらやったらいいと思います。自分に制限をかけずに、チャレンジしてほしいです」とエールを送っていました。
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