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#9 クジラと私

日本の決断「尊重すべき」反捕鯨の米国・動物保護団体の意外な反応

海面でジャンプするザトウクジラ=東京都小笠原村の父島沖
海面でジャンプするザトウクジラ=東京都小笠原村の父島沖 出典: 朝日新聞社

目次

「反捕鯨国」の代表として知られるアメリカには、捕鯨に批判的な立場をとる動物保護団体も少なくありません。日本に対してどのように見ているのか。批判を覚悟してたずねると「世界は、日本の決断を尊重したほうがいい」と意外な声を聞くことができました。「反捕鯨国」で感じた多様さから、水掛け論に終わらない捕鯨の賛否について考えます。(朝日新聞名古屋報道センター記者・初見翔)

「1頭もクジラを殺すべきではない」

訪ねた動物保護団体は、ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル(HSI)と国際動物福祉基金(IFAW)の二つです。ともに「動物福祉」と呼ばれる考え方をとり、国際捕鯨委員会(IWC)などで日本の捕鯨に反対してきました。

なかでも日本に厳しい意見をつきつけたのは、HSIのキティー・ブロックさんです。キティーさんはHSI代表として国際捕鯨委員会(IWC)の会議にも参加してきました。

キティーさんは「日本は1頭もクジラを殺すべきではない」と言います。

キティーさん「市場のためにクジラを殺し、肉を取り、骨を利用する行為そのものが、この現代に不必要です」「クジラは繁殖に時間もかかり、気候変動などの影響も受けている。守るべき存在です」

キティー・ブロックさん=米ワシントン、初見翔撮影
キティー・ブロックさん=米ワシントン、初見翔撮影

クジラと他の動物の違いは?

きぜんとした態度のキティーさんに、私は疑問もぶつけました。

私「人間は食べないと生きていけません。クジラの他にも人間が食べる動物はいますが何か違うのでしょうか」

キティーさん「クジラは自然界で何頭生息しているかという実態がつかめていません。またいまのやり方ではクジラを即死させられず、人道的ではありません。ただ、私たちは世界中で食肉の消費を減らすこともめざしています」

私「ということは全く肉を食べない世界をめざしているのでしょうか」

キティーさん「そうではありません。家畜についてはもっと人道的な扱いを広めようとしています。いまの人類はあまりにも多くの肉を消費しています。そのせいで動物が狭いところに閉じ込められています。私たちは規模の小さい農家と連携しています」

私「昔はアメリカも捕鯨をしていました」

キティーさん「確かに、かつてはおそらく世界で最もクジラを捕獲していた国でしょう。ただ、だからこそクジラの将来を守る責任があると感じています。アメリカがモラトリアム(商業捕鯨の一時停止)を主導したことを誇りに思っています」

米国最古の捕鯨帆船チャールズ・W・モーガン号
米国最古の捕鯨帆船チャールズ・W・モーガン号 出典: 朝日新聞社

「日本をたたくのではなく『お辞儀』をするべき」

IFAWのパトリック・ラマージさんからは少し新鮮な意見も聞くことができました。

キティーさんと同様、「クジラを殺すことは残酷で、21世紀に捕鯨は不要だ」という一方で、「日本の文化、特に食文化には深い敬意をもっている」と話します。

私「日本がIWCを脱退したことをどう思っていますか」

パトリックさん「クジラにとっても日本にとっても良いニュースだった。日本はこれまで、調査目的という隠れ蓑を使って捕鯨を続けてきましたが、これを辞め、結果的にクジラの保全に貢献することになりました」

IWC脱退によって日本が南極海での捕鯨から撤退し、捕獲枠を年間300頭以上減らしたことを評価します。さらに続けます。

パトリックさん「アメリカやヨーロッパの国々は、かつて自分たちが捕鯨に携わってきた歴史を忘れかけているのではないか。日本に捕鯨を辞めてもらうためには、海外が日本をたたくのではなく、もっと『お辞儀』をすべきです。日本の決断を尊重したほうがいい。そういう意味で、今回の日本政府の決断は日本の捕鯨の『終わりの始まり』になるのではないか。称賛に値します」

IWC脱退を批判されるもの、と想像していた私にはとても意外な意見でした。若い世代を中心にクジラを食べる人が減っているうえ、政府からの補助金がなくなれば捕鯨船の操業が難しくなる。そんな見方のもと、商業捕鯨の再開が日本の捕鯨中止につながると予想するのです。

パトリック・ラマージさん=IFAW提供
パトリック・ラマージさん=IFAW提供

「とにかく捕鯨反対一辺倒」とは言えない

アメリカでは他にも、日本でイメージする「反捕鯨」とは違う意見に接することができました。

マサチューセッツ州やコネティカット州にある捕鯨に関する博物館計3カ所を訪ね、10人ほどの学芸員やガイドから話を聞きました。

そのなかの1人がこんなことを言っていました。

「アメリカは銃を買って持ち歩くことができて、子どもを何人も撃ち殺す人もいるのに、クジラには指一本触れることが許されない。おかしな状況だ」

アメリカでの取材を終えて「とにかく捕鯨反対一辺倒」というイメージは少し変わりました。そしてそれはひるがえって日本国内で聞く意見への違和感にもつながりました。

「全米ライフル協会」の展示会で拳銃を手にする女性=2019年4月、インディアナ州、ロイター
「全米ライフル協会」の展示会で拳銃を手にする女性=2019年4月、インディアナ州、ロイター

「正義は時代とともに変わる」

例えば日本でありがちな「アメリカも昔やっていたのだから、自分たちもやっていいんだ」という主張。

キティーさんが言うように「かつて捕鯨をしていた国だからこそ、それを反省してクジラを保護する責任がある」というのが、アメリカで捕鯨に反対する立場の人たちの一般的な考えのようです。子どものけんかのような主張をしても水掛け論から抜け出せません。

さらに、これと似た文脈で使われる「油しか取っていなかったアメリカの捕鯨と比べて、肉や内臓を食べ、骨まで利用する日本の文化は優れている」という主張にも、あまり賛同できなくなりました。

博物館の展示をみたり小説「白鯨」を読んだりして感じたのは、かつてアメリカにはアメリカなりの豊かな捕鯨文化があり、誇りをもって仕事をしていた人たちがいた、ということでした。

無駄なく利用すること自体は誇りを持っていいと思いますが、他の文化と比較して優劣をつけようとすることは、クジラを食べる文化を否定する姿勢とあまり変わらないように感じました。

それでも確かなこととして思ったのは「正義は時代とともに変わる」「絶対的な正義などない」ということです。

捕鯨を続けることを正義と思う人たちも、捕鯨をやめさせることを正義と思う人たちも、まずはその正義を一度疑ってみるところから対話の糸口が見えるのではないでしょうか。

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