連載
#148 #withyou ~きみとともに~
「9月1日」樹木希林さんが語りかけたこと 娘が明かした病室での涙
俳優の樹木希林さんが、亡くなるわずか2カ月前、生きづらい若者たちに向けて送ってくれた1枚のファクス。どんな思いで、あのメッセージを書いてくれたのか。長女で文筆家の内田也哉子さんが、「繰り返し何かに語りかけていた」という樹木さんの想いを教えてくれました。
連載
#148 #withyou ~きみとともに~
俳優の樹木希林さんが、亡くなるわずか2カ月前、生きづらい若者たちに向けて送ってくれた1枚のファクス。どんな思いで、あのメッセージを書いてくれたのか。長女で文筆家の内田也哉子さんが、「繰り返し何かに語りかけていた」という樹木さんの想いを教えてくれました。
私が樹木さんにインタビューを申し込んだのは亡くなる2カ月前の昨年7月でした。夏休み明け近くは、子どもの自殺が多くなる傾向がある。「9月1日」に向けて、生きづらさを抱える子どもたちに、何かメッセージを届けたいーー。
まだ自宅にいて、仕事を選びながらこなしていた樹木さんは、寄稿を申し出てくださいました。電話越しで何度も「どうしたら伝わるのかしら」と考えをめぐらせていました。「本当に無力よね、まったく書けないの」と自らを叱咤しながら、送ってくれたファクスでした。
8月31日に記事を掲載。SNSで広く拡散されました。
内田さんが今月出版した「9月1日 母からのバトン」には、この時期の樹木さんのもう一つの物語が描かれていました。
「死なないで、ね……どうか、生きてください……」
去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、母は涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。
あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それからなぜそんなことをしているのか問いただすと、
「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」
「もったいない。あまりに命がもったいない……」
と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。
出典:「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)
樹木さんが亡くなったのは、この2週間後でした。
最後の1カ月は何度も危篤状態になっていたといいます。
そんな状況でも、樹木さんがしんどい子どもたちに思いを寄せずにはいられなかった「9月1日」。
命を絶つ子どもが増える時期と言われています。
あのファクスに込められた樹木さんの思いについて、現在イギリスに滞在している内田さんは思いを馳せ、メールでつづってくれました。
「自分の体も儘(まま)ならない時でした。でも、だからこそ、想いを振り絞って伝えようとした、母の頼もしさを感じます」
「もったいない命。当時の母の原動力は、この一言につきます」
樹木さんはひょうひょうとした自画像を添えて、「こんな姿になったっておもしろいじゃない」とファクスをしめくくっていました。
「どんな時も、ユーモアをたずさえ、堅苦しい『せねば!』にしない人でした」
「9月1日 母からのバトン」には、樹木さんが不登校の子どもたちに語りかけた印象的な言葉も収録されています。
「不登校でも、ある日ふっと何かのきっかけで、学校はやめるかもしれないけど、もっと自分に合った、自分がいることによって、人が、世の中が、ちょっとウキウキするようなものに出会うことが、絶対にあると思うの。
だから、9月1日に『嫌だなあ』と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って、世の中を見ててほしいのね。必要のない人なんていないんだから。
必ず必要とされるものに出会うから。そこまでは、ずーっといてよ。ぷらぷらと。
年を取れば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。
無理して、いま死ななくていいじゃない」
出典:「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)
昨年の9月1日に樹木さんが見せた切実な思いが、内田さんを本の出版に駆り立てたと言います。内田さんは「何かこの火種を持続できないかと思うようになった」と振り返ります。
まだ母が亡くなって間もない頃、驚くほど様々な母に関する執筆依頼がくる中で、うまく応えられずにいました。
心の準備も整理もできていなかった時に、ある編集者から、母が生前、気に掛けていた不登校問題について、残された講演録や新聞記事などを一冊の本にしたい、との依頼が舞い込みました。
そして、それらの文章を読ませてもらううちに、自分の中でも何かこの火種を持続できないか、あるいは、もっと掘り下げることはできないかと思うようになりました。
こんな現実があることを、それまで知らずにいた自分にある種の悔しさを覚え、目の前で消えていく母がまさしく生きる私に遺してくれたバトンだと感じました。
「9月1日 母からのバトン」には、生前、樹木さんが「不登校新聞」で語ったインタビュー(「難の多い人生は、ありがたい」)や、不登校の子どもやその親の集いに参加して語りかけた言葉が収録されました。
しかしそれだけではなく、内田さんは編集者に「様々な方に会い、お話を伺う旅に出たいと逆提案」したそうです。
不登校をしていた20歳の女性。
自殺未遂をした子どものカウンセリングをしたバースセラピスト。
「不登校新聞」編集長の石井志昴さん。
日本文学研究者のロバート・キャンベルさん。
当事者に接し、自身も3人の子どもを育てる親として、苦しい子どもにどう向き合うか、本当に子どもにとって幸せな環境は何のか、学校や社会で学ぶ意味を考えていきました。
私の拙い疑問の数々に、真摯に答えて頂けたことで、扉がひとつひとつ開き、ゆっくりとでも確実に、この問題の輪郭が表れたように思います。
まずは、もっとたくさんの方々に、この現実を”通り一遍”ではなく、少し立ち止まって知り、考え深めてもらうことが必要だと、改めて思いました。
そこから、「自分は、社会は、どんなことができるのか?」が、より鮮明に見えてくるのではないでしょうか。
母、樹木さんの切実な思いに触れながら、自らの方法で掘り下げていった内田さん。
著書では見えてきた答えに触れています。
「母の意とした『もったいない』は、『せっかく生まれたのなら無理して急がず、最後に自分がどんなわだちを残せたり、どんな景色を見られるのか、それを楽しみにしていきましょうよ』。そんなことではないかと、今なら共に感じられるのです」
出典:「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)
今、生きづらさ、苦しさを抱えている人に、著書の中で、内田さんはメッセージを送っています。
「たとえ、長く暗いトンネルに入り込んでしまっても、いつかは必ず出口に辿り着ける、と不登校の経験者たちは語ります。
(中略)決して周りにいる自分を想ってくれる人たち、すなわち、あなたの人生の伴走者の手を離さず、何より自分自身を見捨てず、その闇なくしては、自分がそこに生まれてきたほんとうの意味(ギフト)を受け取ることはできないのだ、と信じてください。
そうして、心ゆくまで漆黒の闇と対峙したあなたを待つのは、思わず立ちくらみするほどの眩しい光かもしれません。
あるいは、一寸先をほんのり灯すほどの柔らかい、でも確実に足元を照らす光かもしれないのです。
(中略)
いつしか気づけば、「9月1日」という日が、誰にとってもつらくやるせない日ではなくなり、なんの変哲もないけれども、穏やかでかけがえのない日になることを切に願います」
出典:「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)
1/8枚