連載
#14 ここにも「スゴ腕」
「かわいい明朝体」の貂明朝、お手本は鳥獣戯画 アドビ職人の結晶
クリエーターが商品のパッケージなどをデザインし、そこに文字を載せるとき、どんなフォント(書体)を使うかはこだわるポイントの一つです。イラストレーターやフォトショップなどのソフトを提供するアドビシステムズで、フォントづくりを担当するのは5人のみ。その一人で、「かわいい明朝体」と評判の「貂(てん)明朝」を生み出した西塚涼子さん(47)は「プライベートでも『文字の形』が頭から離れない」と語るほどの文字好きです。「鳥獣戯画」を意識した貂明朝の制作秘話や文字へのこだわりを聞きました。
西塚さんは、アドビのチーフタイプデザイナーです。1997年に入社して以来、20年以上にわたりフォントをデザインしています。
フォントは明朝体、ゴシック体など様々な種類があります。その文字を一つずつ作るのが西塚さんの仕事。話を聞いて特に驚いたのが、明朝体でした。
ひらがななどの仮名文字は、筆などを使って書くことから始めるというのです。確かに、パソコンが並ぶオフィスで、西塚さんの机の上には筆や墨汁がありました。では、どのように作るのでしょうか?
ひらがなの明朝体の「原字」となるデザインはまず、筆で2~3cm四方の枠に書いていきます。太さの異なる数種類を使い分けるのがこだわり。「穂先が長すぎず、太すぎない筆を選んでいます」
線の書き出しは大きく太く、途中は力を抜いて細めにし、最後にまた力を入れて止める――。
このようなイメージのもとで、同じ文字を10個ほど繰り返し書きます。それをじっくり見くらべ、気に入ったものを選び、パソコンに取り込みます。あとは画面のうえで、大きくしたり縮めたりしながら、細かな修正を加えていきフォントを完成させるそうです。
なぜ筆で書くのか聞いたところ、「目と手をしっかり動かして実際に書かないと美しい形がつくれない」からだといいます。
アドビでこれまで、制作に携わった明朝体は約7万3千字にのぼるという西塚さん。代表作の一つが2017年に発表した「貂明朝」という書体です。
このフォントで西塚さんがめざしたのは「かわいい明朝体」。念頭に置いたのは、京都・高山寺所蔵の国宝「鳥獣戯画」に登場する愛くるしい動物たちでした。
それから江戸時代の瓦版や浄瑠璃の台本、昭和時代のホーロー看板など、様々な文字を眺めてイメージを膨らませていきました。
できあがったフォントは、通常の明朝体よりも横線がちょっと太めで丸みを帯びています。ひらがなの線が少し、のたくっているのも特徴のひとつです。
フォントの出来栄えは、作り手では判断できません。ユーザーから評価されないと意味がない。だから、大勢の人がぱっと見て「かわいい」と言われるかがカギだと西塚さんは感じていました。貂明朝をリリースしたときに「かわいい書体だ」とSNSなどで話題になったのがうれしかったといいます。
スマートフォンやタブレットといった、デジタル端末の小さな液晶画面で長い文章を読む機会が増えてきました。画面で文字を読んでいく上で、違和感なく読んでもらうために細かな工夫をしています。
例えば「あ」。同じデザインにみえる文字でも、縦書き用と横書き用があり、縦書き用のほうが2%ほど小さくしているそうです。同じ大きさの文字でも、縦書きにすると目の錯覚で大きめにみえてしまうからだという。
また、ふりがなに使われる文字は通常の4分の1サイズなので、線を太めに修正することでより見やすくしています。こうした修正を加えていく結果、例えば、貂明朝では「あ」の文字だけでも6種類あります。
文字のデザインとの出会いは、武蔵野美術大でのレタリングの授業でした。他の学生はそれほど楽しんでいるようにみえなかったこの授業に、西塚さんはのめり込み、卒業制作も書体づくりにしました。
プライベートでも「文字の形」が、なかなか頭から離れないといいます。小説を読んでいても、フォントが気になってしまい「だんだん内容が入ってこなくなるんです」と話します。
専門誌に連載するほどの立場になった今でも「もっと訓練が必要だ」と痛感することが多いといいます。
貂明朝は約8千字つくりましたが、1日で制作できる文字は40字ほど。構想中の文字のアイデアはまだたくさんあるが、人生で仕事にあてられる時間を考えると、すべて実現させるのは難しいかもしれないと感じているそうです。「『時間が足りない』って今から思う。人生が短いと感じてしまう職業かもしれないですね」
取材を続けるにつれて、どんどん西塚さんの文字好きなところに引き込まれていきました。ひらがなから少しずつフォントをつくり、漢字ができ、どんどん文字数が増えていく様子を西塚さんは「ことばを覚えていく子どものよう」と話していました。街中や身の回りにはたくさんの文字であふれています。時にはじっくりと見て、作り手の生み出した工夫や思いやりを見つめていきたいと思いました。
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