連載
#12 ここにも「スゴ腕」
「ソニーは最近、何作ってるの?」に発奮 生まれた半径15㎝のアロマ
ソニーは、かつてウォークマンやプレイステーションで世界を驚かせたあのDNAをふたたび奮い立たせようと、2014年から新事業アイデアの社内公募を始めました。そこからうまれた製品のひとつは、まさに「最近のソニーは何をつくっているの?」と海外の友人に聞かれて満足のいく答えをできなかった研究者の悔しさが開発の原点になったそうです。晴らせたのでしょうか。(朝日新聞経済部・志村亮)
アロマ(香り)を室内に拡散する製品はたくさんある。いつでもどこでも、ひとりで楽しめるものを作れないだろうか。
藤田修二さん(38)はそう考え、新事業アイデアの社内公募に手をあげた。そして実現させたのが、2016年にソニーが売り出した「AROMASTIC(アロマスティック)」だ。
頭部のダイヤルをコリコリ回し、好みのアロマに合わせる。鼻に近づけ、ボタンを押すとシュッと香りが噴き出す。ただし、香る範囲は半径15㎝以内かつ一瞬だ。100回は試作したという円筒形の本体と交換式のアロマカートリッジには、簡単にまねできない工夫が詰まっているそうだ。
現在ソニーでプロダクトマネジャーの藤田さんは、幼少のころから「図鑑好き」だった。
生命の起源や宇宙にあこがれ、母が購読する科学雑誌「Newton(ニュートン)」のページをめくった。東京大理学部から同大医科学研究所に進んだ。がん遺伝子やゲノムを研究し、助教就任がほぼ決まっていた。
だが、08年に米国のある学会に参加したのが転機になった。
そこで会った米国の研究者たちは日本なら時間が2~3年はかかるはずの研究を1週間で終わらせていた。使っている装置の能力差だとわかり、打ちのめされた。
「竹やりでマシンガンと戦っているように思えました」
進路に迷いがうまれた。ソニーの面接を受けた。「一発当てたいんでしょう」と面接官に聞かれ、うなずいた。自分の思いをうまく言い当ててくれたと感じたのだ。
研究職に就き、12~13年に米ハーバード大に留学する。
そのとき、同僚が尋ねてきた。
「最近のソニーは何をつくっているの」
高いシェアを誇るカメラ用のイメージセンサーを挙げた。
「君のスマホにも入っているよ」と胸を張った。
しかし、相手は複雑な表情をみせた。
ソニーといえば世界を変える革新的な製品だろう。携帯音楽プレーヤーの「ウォークマン」、鮮やかな画像の「トリニトロンカラーテレビ」、家庭用ゲーム機の「プレイステーション」……。
そういう答えを期待されているのだと察し、決心した。
「部品だけではだめだ。消費者に近い最終製品をつくろう」
その頃のソニーは業績不振にあえいでいた。
そんなソニーが、12年に就任した平井一夫社長(当時)の肝いりで、14年に始めたのが「Sony Startup Acceleration Program」と呼ばれる事業アイデアを広く募り、事業化を支援するしくみだ。
米国から戻った藤田さんは、研究職の仲間とチームを組んだ。アロマスティックのアイデアを15年の公募にぶつけ、選考を勝ち抜いた。
もともと嗅覚(きゅうかく)の分野は、開発の余地が大きいと考えていた。人間の五感で、記憶や感情と直接結びつくのは嗅覚だけとされる。
友達の家のにおい。夕暮れ時のカレーのにおい。においと思い出は関係が深いが、他の感覚より軽んじられているように感じていた。
試作やユーザーテストを繰り返し、発売にこぎつけた。
あるとき、平井社長が怒っている、と言われた。
ある問題を解決するため、少しだけ本体を改良した。ただ、ユーザーにとっては使い勝手が悪くなる恐れもある改良だった。「仕方がない」と推し進めた。自身がユーザーでもある社長が、それに気づいたというのだ。
お前が直接行けと命じられ、社長室を訪ねた。怒られた。ただ、社長の思い入れの強さは伝わってくる気がした。
いま販路を広げようとしているが、甘くはないようだ。売れ行きについて「まだまだ頑張らないといけません」と言う。
ヒントはいろいろあるのだという。
パニック障害の症状が出たときに嗅いだら落ち着いたという利用者がいた。
車酔いをごまかせるという声があった。
苦しい抗がん剤治療の間、リラックスできたという人がいた。
禁煙に挑む際のたばこの代替品にならないかも、探っているところだ。
嗅覚体験とゲームの組み合わせにも可能性を感じている。
今年3月に米国で開催された先端技術のイベント「サウス・バイ・サウスウェスト」に参加。人気ゲーム「テトリス」のVR(仮想現実)体験として、ブロックをそろえて消すたびにごほうびとして香りが噴き出るしくみを出展すると、SNSで話題になった。
今のところ、アロマスティックは海外では売っていない。
あの米ハーバード大の同僚が来日した。「おれがつくったんだ」と言って、お土産として渡すと大喜びしてくれた。
帰国後も、周囲に自慢してくれているそうだ。
1980~90年代にソニー社長だった故・大賀典雄さんは不振事業の責任者が廊下の真ん中を歩いているのをみると「恥ずかしそうに端を歩け!」と怒鳴ったといわれる。
今のご時世ならハラスメントといわれてしまいそうなこのエピソードが「好きだ」という。
かつてウォークマンは聴覚体験を個人化し、世界を変えた。
アロマスティックはどうか。
「いつか胸を張って廊下の真ん中を歩きたい」
まだ挑戦は始まったばかり。ただ、そう意気込む表情は、研究者というよりも、すでに商売人、勝負師のようにみえた。
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