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40年以上前に作った「こけし」今どこへ?ついに帰宅「これこれ…」
「ファンシー絵みやげ」を求め全国を旅する山下メロさん。ひょんなことからとある「こけし」を探すことに…。
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「ファンシー絵みやげ」を求め全国を旅する山下メロさん。ひょんなことからとある「こけし」を探すことに…。
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。旅にはさまざまな出会いがありますが、静岡県静岡市を訪れた山下さんは、ひょんな出会いからある「お願い」をされました。それは、とある「こけし」の数十年越しの「帰宅」です。
私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
今回は前回に引き続き、静岡県静岡市の清水で保護活動を行っていたときの出来事です。
地元出身の侠客(きょうかく)として知られる、清水次郎長(しみずのじろちょう)や、三保の松原に残る「天女の羽衣伝説」にまつわるファンシー絵みやげを保護した山下メロ。
更に名勝・日本平に向かうべく、ふもとの土産店を調査していると、土産店に商品を卸す問屋の社長に出会う。社長の厚意によって、初めて問屋さんの倉庫に足を踏み入れ大興奮。目的のファンシー絵みやげはわずかしか見つからなかったが、貴重な体験にホクホクしていると、社長からある話を聞くことになるーー。
3時間もかけ、質問などしながら倉庫を見終わった後でも、なお聞きたいことは止まりません。お土産業界の歴史について社長に色々と教えてもらう中で、これまでの会社の歩みについての話になりました。
「うちは親の代の頃は、土産も作っていた。東北から職人さんを呼んで、作っていたのがこけし。この倉庫も、もともとはその工場だったけど、時代の流れでそれもやめて、今は自社で商品を作っていない」
80~90年代に「ファンシー絵みやげ」が登場するまで、お土産といえばその土地にまつわる工芸品を売っていたのが主流でした。その時代に、静岡でこけしを作っていたというお話自体が非常に貴重です。
清水次郎長のこけしが売られるとすれば、彼の地元である清水エリアです。しかし、実際に見かけることはありませんでした。少なくとも、40年以上前の品物なので、現在のお土産店での取り扱いはなさそうです。
となると、アンティークショップなどに、中古品が出てくるのを待つしかありません。私は、古物商をやっている知り合いたちにも情報提供を呼びかけました。ヤフーオークションなどでも出品されたことがあったようなので、ヤフオクの出品アラートも登録しました。
こけしはコレクターの多い分野で、仮に見つかったとしてもプレミア価値がついて高額な上に争奪戦になるのではないかという危惧もありました。調べると、過去にヤフオクで高額で購入されている履歴も見つかったのです。しかし一度出品されていれば、また誰かが手放す可能性もあります。
その日、私は早朝よりバスで移動し、9時半には静岡駅に到着しました。静岡駅から清水の問屋さんまでは直線距離で10kmほど。静岡市では格安なレンタサイクルを貸し出しているので、今回はこれを利用して、問屋さんに向かいながら、保護活動をすることにしました。
ホテルなどがそれぞれ自転車を貸し出しているのですが、貸し出し時間はバラバラ。徹底的に調べて、終バスまで実に10時間以上借りられるものを選びました。
10時に登呂遺跡に到着しましたが、現地ではファンシー絵みやげが見つかりませんでした。しかし、問屋さんで保護したこのキーホルダーがあったので、一緒に記念撮影してきました。社長曰く「もう現地に土産店はない」ということでしたが、おかげで調査すべき箇所を知ることができました。
登呂遺跡を11時近くに出発し、次は久能山東照宮を目指しました。ここは、前回訪れたときは時間がなく、東照宮に向かう長い階段を上るのをあきらめて参道のお土産店だけで保護活動した場所です。
東照宮近くからは、名勝「日本平」に向かうロープウェイの乗り場があるのですが、そこお土産店があるかもしれないと踏んでいました。
ひたすら海沿いを走って、ふもとの参道にたどりついたのは11時半ごろ。
非常に暑い中ずっと自転車を漕いでいたので、私はもう疲れ切っていました。しかし、前回の忘れ物を、1159段の石段の上に取りにいかなければなりません。(地元の人によると、1159段は「いちいちご苦労さん」のゴロ合わせで覚えるとか。つまりそれだけ参拝は大変ということ……)
片道20分はかかると言われましたが、約束があるこの旅。私は疲れた体を引きずって、休む間もなく登り始めました。
必死の挑戦にもかかわらず、残念ながら売店にファンシー絵みやげはありませんでした。しかし、非常に良い眺めを見ることができました。
また大急ぎで石段を降りて、次は三保の松原へ再訪です。三保の松原は前回も保護活動に訪れましたが、お店の方がファンシー絵みやげを探しておいてくれたり、新しい情報をくれたりするので、何度も訪ねる必要があるのです。
さらに1時間半ほど自転車を漕いで、到着したのは14時近くなっていました。
なんと、以前調査した3店舗はすべてシャッターが閉まっていました。残念ですが浜まで行って、こちらも以前問屋さんで保護した「三保 松原」と書かれたキーホルダーと記念撮影。そして三保マリーナなど周辺を調査して回り、さらに清水にある有名なお寺なども調査しました。
保護活動も一区切りついたので、約束の「こけし」を渡すため、私は問屋さんへ向かいました。
28体のこけしが並んでいるだけでなく、台の背景となる富士山や松などがついたセットになっています。モデルとなっているのは清水次郎長とその子分たちの28人衆ですが、みんな旅がらすのような装束なので、パッと見はほとんど差がないように見えます。
「こんな高価なものもらっていいの?」社長に訊かれました。確かに安くはなかったのですが、問屋さんの倉庫を見せてもらった経験はプライスレスですので、「私が集めているものとは違いますし、我が家にあってもしょうがないのでよかったらもらってください」と言って引き取ってもらったのです。
長い年月をかけて、無事、こけしセットが作られた場所に戻りました。
社長に別れを告げ、私は帰路につきました。
自転車の漕ぎすぎで疲れ果てた体のまま、東京行きの終バスに乗りました。ホッとして振り返ると、今回の保護活動は問屋さんで保護できたキーホルダーに導かれ、助けられていた旅だったことに気づきました。
そして、そうやってお世話になった問屋さんのお役に立てたことを嬉しく思いました。
過去の遺物ともいえるファンシー絵みやげを集めて発信する私の活動は、「今の売れ筋商品を紹介する」といった行為と真逆なので、あまり土産店や問屋さんの役に立ちません。色々お話しする中で仲良くなっても「一緒に何かやりましょう!」とはならないのです。私は常々それを苦々しく思っていました。
なので、少しでもお役に立てたことが、とても嬉しいのです。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
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