連載
コレクターが夢見た、お土産界の「ツチノコ」 静岡・清水での出会い
ファンシー絵みやげの保護活動をするために、静岡へ。そこにはこれまでにないありがたい展開が……。
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ファンシー絵みやげの保護活動をするために、静岡へ。そこにはこれまでにないありがたい展開が……。
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。今回の旅先は、静岡県静岡市。清水の逸話にまつわるお土産を保護していると、ある名勝が気になり始めました。導かれるようにそこへ向かうと、山下さんが「ツチノコ」と称する、ある存在を見ることに……。
私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
今回の旅先は静岡県静岡市。さまざまな逸話が残る三保からスタートします。
その日は、車で静岡市清水区の三保に向かい、ファンシー絵みやげの保護活動を行っていました。
清水といえば、講談などでも有名な侠客(きょうかく)・清水次郎長(しみずのじろちょう)の地元です。その清水次郎長ののれんを発見し、保護しました。
そして三保の松原には、天女の羽衣伝説があるため、天女をモチーフとしたファンシー絵みやげも無事見つかりました。
調査を終えて、なお時間があるのでどこか探したいと思い、キーホルダーに目をやると、「三保」とともに「日本平」と書かれていました。
そこで、名勝としても有名な日本平へ向かうことにしました。調べてみるとロープウェイがあるようなので、おそらくその乗り場にお土産を扱う売店もありそうです。
シャッターが閉まっている店も散見されましたが、それでも5店舗ほどは営業していたので、端の店から調査を開始。
次郎長や、まさに久能山のキャラクターと言うべき「いちご娘」のファンシー絵みやげを発見しましたが、少ししかありません。
そんなときに、店内で商品を確認して回っている人を見つけました。
この方は店員さんではなく、問屋さんです。卸している商品の在庫をチェックするために、取引先の店を回っているのです。ファンシー絵みやげの保護活動で、4,000店舗ものお土産店に訪れていると、どんな人がお店に出入りしているのかわかるようになってきます。
私は店の人と間違えたフリをして、「こういった商品ありませんか?」と聞きました。どのみち問屋さんはこういった質問の対応もしますので問題はありません。むしろいきなり「問屋さんですよね?」なんて声をかけて玄人ぶるほうがよっぽど心象が悪いかなと思っています。
「んー。最近見ないねぇ」と問屋さん。そして「こういうのもうないよね?」と店の人にも聞いてくれます。問屋さんは、こうして過去から現在まで数々の土産店の店頭を見ているので、この「最近見ないねぇ」が非常に信頼できる情報なのです。
問屋さんがそう言うなら望みは薄いのかなと思いつつ、いったん階段下の鳥居前で記念撮影して次の店へ。
ここにはファンシー絵みやげがありませんでした。一応情報収集しようと店の人と会話していると、先ほどの問屋さんがやってきて在庫チェックをはじめました。
せっかくなのでもう少し踏み込んで聞いてみようと「倉庫などにこういった在庫残ってませんか?」と言ってみました。「んー。もう残ってないと思うなー」とのお答え。在庫チェックがお忙しそうなので、質問はそこまでにして引き続き店の人と色々と喋り、店を後にしました。
次の店へ行くと、すでに先ほどの問屋さんが在庫チェックをしていました。そこで、展示されているファンシー絵みやげを発見。なんとか売ってもらえないか店の人に交渉しようとタイミングをうかがっていましたが、たまたま数人のお客さんが会計待ちをしていて声をかけられず、店内をうろついていました。
すると、なんと、問屋さんから話しかけてきました。
問屋さん
山下メロ
問屋さん
山下メロ
問屋さん
山下メロ
驚きの展開です。
これまでも、問屋さんと偶然一緒になって話す機会があったり、問屋さん直営の土産店で在庫のチェックをお願いしたりすることはありましたが、実際に倉庫を見せてもらえることはありませんでした。
「じゃあ、もう少しで作業が終わるから、ちょっと待っててね」
後で分かったことですが、この方はその卸会社の社長さんでした。偶然にも、決裁権のある社長自ら外回りして在庫チェックをされていたのです。一従業員であれば、誰だかよく分からない人間をおいそれと倉庫に入れる権限がありませんし、わざわざそんなことを上司に確認してくれません。
「もう残ってないと思うなー」と社長が言われていた通り、倉庫を探してもらっても、ファンシー絵みやげはなかなか見つかりませんでした。
それでも、特別に倉庫に入らせていただいたこと、そして倉庫におけるプロの動きが見られたことは貴重な体験でした。
しかも、捜索作業の途中で、社長が「まだ時間あるの?仕事があるのでちょっと出てくるから待ってて」と言って出かけてしまうなんてことも。さっき会ったばかりなのに倉庫に置き去りにされるというのも、信頼されている感じがして嬉しかったです。
作業中も、これまで気になっていたことや分からなかったことを質問し答えていただいたり、お土産業界の色々なお話を聞かせていただいたり、それはそれは楽しい時間でした。そして、いくつかのファンシー絵みやげが見つかり、保護させていただきました。
気づくとあたりは真っ暗です。すでに捜索活動は3時間を超えていました。もう久能山東照宮に戻っても、石段の上の売店は開いてないでしょう。いや、それどころか慣れない倉庫作業でとてつもなく疲れ果てており、石段をのぼる体力など残っていません。
そんな状況でなんとか東京までたどり着いたら深夜になっていました。眠気と疲労からベッドに倒れこみたい気持ちでしたが、すぐにパソコンを起動して調べものを始めました。なぜかというと、実は帰り際に問屋さんからとある依頼を受けたのでした……。この続きは、次回のコラムで詳しくお伝えします。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
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